“旅と写真”というサプリメント

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2004年8月12日付「“旅と写真”というサプリメント」より)。

真夏の金沢

 【2004年8月5日~6日】
 旅は季節と共に道連れ――。
 この夏、石川県金沢市へ訪れた。私は何故か、少年になった気分で町を散策した。暑さのせいだろうか。大人の心持ちでカメラを構えたつもりでも、したたり落ちる汗の雫が、アスファルトに一滴落ちるまでの、その微塵の時間に、私は音も立てずに少年の心に戻ってしまうのであった。
 それは、金沢という町に対する好奇心であろうか。あるいは、ゆるりと路地を歩く女性と老人の、小さな靴音であろうか。五感が鋭敏になって、その方を向き、レンズの先が一つの建物に集中した。“石川近代文学館”である。
 建物は、明治22年(1887年)に造られた赤煉瓦式洋館で、パリで西洋建築を学んだ久留正道氏設計である。竣工の翌年より、第四高等中学校の校舎として使用された(現在、国指定重要文化財)。ここには、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星ら、石川県ゆかりの作家たちの原稿・遺品などが展示されており、文学的歴史について知ることもできる。

郷愁と友愛

 金沢という町に訪れたこと、そして室生犀星の詩集を読んで、広い郷愁の世界に浸った。それは様々な憧憬であり、私の人生に大きく影響を与えた(もしくは与えるだろう)他者との友愛における、幽玄の恋慕でもある。
 20代も半ばにさしかかった頃、友人を通じて、ある女性と知り合った。小柄で、日本人形のように愛らしく、微笑むとえくぼが印象的な、黒髪の高校生であった。彼女は絵を描くことが好きで、美術部に所属していた。私は彼女の描いた静物のデッサン画を、高校の文化祭を訪れた際に見たことがあった。
 私はその絵に度肝を抜かれた。おっとりとしているところが彼女の可愛らしい性格だったのだが、そんな彼女からは想像できないほど、筆には力強いものがあった。そんな彼女と、デートに行く約束をしていながら、彼女の大学受験を前にして、ぱったりと会わなくなり、関係は自然消滅した。凍り付くような寒い冬の日の夜、とある交差点で「さようなら」をしたまま…。もう何年も前の出来事である。
 そうして今、いまさらながら…彼女を思い出した。それは室生犀星の「愛の詩集」を読んでのことである。思い出したとは言っても、それは一瞬のフラッシュバックであって、郷愁のたぐいではなかったはずだ。だが、その一瞬のフラッシュバックがあまりにも繊細で鮮やかで、結局、自分が彼女を愛していたということを、いまさらながら、実感するのだった。悪魔に頭を揺さぶられ、懺悔の念に苛まれる。それは、私自身が生きてきたことの、激しい憤りのフラッシュバックでもあった。

室生犀星の詩と町と

 何度も室生犀星の文庫本を手にする。彼の詩もまた、淡い少年性を帯びているようだ。

《私はやはり内映を求めてゐた涙そのもののやうに深いやはらかい空気を求愛してゐた》
(室生犀星『愛の詩集』より「万人の孤独」引用)

 室生犀星の詩は、読むという意味での文法に当てはまらない。何か、言葉と言葉の前後が電子回路のようになっていて、そこに配置された言葉の性質について、指を当ててじっくりたどらなければならない。それは難儀だと思う人は、室生犀星の詩には何も感じないだろう。その電子回路としての《詩》がうまく流れるか否かは、それを手に取った者の、心のスイッチが必要である。
 文学館を出て、猛暑の中を彷徨い歩いた。平常心で、町を散歩するというような気分にはなれないほど、日差しの熱線が強烈であった。

 黒髪の高校生は、いまどこにいるのだろうか。
 弄火した挙げ句の、この強烈な熱線は、私に対する反射であり、軽蔑である。私は抵抗することなく、この熱線を浴び続ける。恋慕とは、いかなる場合においても、静寂では終わらない。静寂なふりをして、時を隔てて甦るのは、じりじりと耳元を焦がすような、強烈な熱線の音である。私はその音を聞きながら、町を彷徨い続けた。

湯涌温泉

 LEICAのコンパクトカメラ“minilux”を片手に、湯涌温泉へと向かった。金沢駅からバスで50分。そこは、都市部からかなり離れた辺境である。
 ちなみに、私はこのminiluxが大好きで、街を歩いて散歩する時などにはちょうどいいと思っている。それに、色彩の濃淡の具合がとても美しい。ボディが角張っているので、手に持って歩きにくいという難はあるものの、被写体を見つけてシャッターを押すまでの所作がきわめて短いという点では、これ以上優れたコンパクトカメラはないのではないか。従って私は、その所作をできるだけ短縮するために、このカメラにおける撮影はたいてい、プログラムモードで済ましている(ボケ味が欲しいときは絞りをマニュアル操作するが)。

 水流の細緻な、湯の川に架かった副神橋を通り過ぎて、少しばかり歩き、その奥まったところに、“湯涌温泉総湯 白鷺の湯”という温泉施設がある。そこで私は、裸になって湯をじっくりと楽しんだ。観光協会のサイトにアクセスすると、湯涌温泉は、「無色透明の石膏含有弱食塩泉」とある。さらに「外傷・皮膚病・リウマチ・神経痛など」に浴用効果があり、湯を飲めば「慢性消化器病・糖尿病・痛風・貧血など」に効くらしい。私にはそのような持病は一つもないので、ただ気分で温泉を味わっただけである。
 ただ、身体は気分だけでは済まなかったようで、湯から上がってからの体温が冷めることはなかった。汗が噴き出て止まらない。そのせい、というわけでもないのだが、写真を撮るための集中力が完全に切れた。帰りのバスを待っているベンチの横に、少しばかり大きな犬が寝ころんでいた。恰好の被写体に対し、カメラを向ければいいものの、集中力が切れて、まったく無関心を決め込んだ。かわりに、目の前にツツツと伸びた鉄の柱を撮影した。鉄の柱は、犬のように寝ころんで面白い表情はしてくれない。

エピローグからプロローグへ

 私は、都市を“Nature”だと思っている。この言葉には、Nativeという意味も含まれる。都市は人間が造り出したものではあるが、人間がすべてを把握し得ないほど、都市社会が無秩序化し、建造物と交通手段が繁栄してしまっている。

《酒場にゆけば月が出る犬のやうに悲しげに吼えてのむ酒場にゆけば月が出る酒にただれて魂もころげ出す》
(室生犀星『抒情小曲集』より「酒場」引用)

 何者のために都市はあるのかと考えると、末恐ろしい。都市は常に、災害とテロリストに怯えているのである。長町の武家屋敷界隈を歩けば、都市としての高い品格と、その町で暮らす人々の趣が伝わってくる。私は“観光”という安直な言葉が嫌いで、自分を“観光者”だとは信じていない。だから、ああいった武家屋敷界隈を歩いても、無責任な旅人ではありたくないのだ。

 自由な鳥となって、あるいは鼠の背後をとらえて視線を離さない野性の猫のように、都市に生き、どこかの都市に訪れたい。
 さて、旅の帰途、列車内で夜景を眺めて楽しむ大人と子供のグループを見た。家族ではない。若き女性は指導者で、その幼年の子供らはやんちゃな生徒といった雰囲気である。私はその若き女性をずっと刮目し続けた。豊かな笑顔を浮かばせ、屈託のない朗らかさがなんとも清々しい。
 金沢の旅は、こんな気持ちで終わるのか、と内心戸惑いを覚えた。それは清々しいと思っただけでは物足りない、身体を突き刺さんばかりの鋭角的なもどかしさであり、すなわち小さな恋慕だったのである。

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