山田かまち「17歳のポケット」を読んで

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2007年2月17日付「山田かまち『17歳のポケット』を読んで」より)。

 山田かまちは随分と前に死んでいる。

 しかし作品は、まるで今日の様を見ているかのように、力強く生きている。
感性と感性が鈍い音を立ててゴツゴツとぶつかった。時に頭が痛く、息が苦しく、眩暈がする。そして最後に思ったのは、彼と私はどこかであったことがあるのではないか、ということだった。

 時代は違う。60年代と70年代の違い。そしてこの90年代のどうしようもない息苦しさ。それでも時代は尚も変容する。時代が時代を産み落としているのだ。

 山田かまちの声がきこえる。どす黒いビルの隙間から、冷たい空気の中を彷徨って、私の耳に届いた。低く小さく、だが言葉の意味はわからない。埃の混じった空気がかまちの声をかき消そうとする。よほど注意して耳を立てなければ、肉声は雑音にうずもれてしまう。私はじっとしてその声を確かめようとしたが、やはり何を言っているのかわからなかった。低い声はやがて消えてなくなった。

 本にあった言葉。
《でもたくさん人がいてよかった。幸せな人がいてよかった。ぼくは幸せな人が好きです。そして、どんな人が幸せな人なのかぼくにはわからない》

 私はその言葉を愛さずにはいられなかった。

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