永青文庫へ

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年5月25日付「永青文庫へ」より)。

永青文庫の建物
 東京国立博物館の特別展『細川家の至宝―珠玉の永青文庫コレクション―』も6月6日までということで、興味のある方でまだご覧になってない方は是非とも足を運んでいただきたいのですが、私は今日、東京は文京区目白台にある「永青文庫」に行ってきました。

 もともとこの地域は江戸時代における細川家の江戸屋敷があったわけですが、永青文庫はその時代を思わせる鬱蒼とした森の中に佇んでおり、厳粛な空気すら漂ってくる感じです。

 観覧して興味を持ったのは、明治の30年代に撮影された、細川護成そして細川孝子の肖像写真です。写真とカメラの歴史の上でも、とても貴重な写真です。ところで、この時代の「写真を撮ってもらう」という感覚は、いったいどんな感覚だったのでしょうか?

目白台の自然に囲まれた永青文庫
 銀塩フィルムですら「(写真が)出来上がる」という言葉が成立します。つまり写真は「出来る」ものだったわけです。今、デジカメの時代では写真が「出来る」という感覚はほとんどありませんが、確かにデジタルでもRAW現像をしてフォトレタッチをして―ということを考えると、まったくそうした感覚が無くなってしまったわけではありません。が、やはり明治の頃の、写真が「出来る」という感覚は、撮影者に「撮ってもらう」ということの延長線上に、もっと何か重い感覚があったと思うのです。

 護立氏がせっせと収集した美術品と並んで、あのような写真が展示してある永青文庫のあの一角に、私はすっかり魅了されてしまいました。つまり、ものに対する愛着や人との繋がりにこそ、文化遺産の本義があることをそれらが語っていると思ったからです。

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