「明日の燈を」余話

オーディションの悪夢
 私が20代半ばであった1998年春のこと。その年のミュージック・オーディションとして催された“AXIAオーディション”に応募するため、この曲を作詞・作曲した。サウンド&レコーディング業界ではそのオーディションはメジャー進出の最右翼であった。
 YAMAHA「QY-70」という音源&シーケンサーで曲をアレンジしながら打ち込み、当時の民生用デジタルMTRとしては早かったKORG「D8」にオケを録り、後にヴォーカル及びバックグラウンド・ヴォーカルを録った。
 ところが使い慣れていないデジタルMTRのサウンドに戸惑い、加えてマスターレコーダーなどの機材が相次いで故障し、時間不足となった夏期頃の締切へ帳尻合わせをしたため、曲の制作が突貫工事となって最悪の完パケとなった。私にとっては悪夢の出来事であった。

 その不満足であった「明日の燈を」〈オーディション・ヴァージョン〉の作品テープを発送した以後、曲として満足のいく出来に仕上がったのは、機材などが整った翌年のことであり、既に発送され選考の対象となっていた〈オーディション・ヴァージョン〉が審査員の耳に止まるわけはなく、個人的なプロジェクトとしては大失敗に終わった。
 無論、納得のいく形で出品できたとしても、やはりその結果は変わらなかったかもしれない。作詞の拙さ、作曲の拙さという点においては、サウンドの善し悪しは関係ないのだ。私は半ば、この曲の存在を自身の創作史の中から葬り去ろうとした。

戦争童話として
 ――1995年頃に知り合ったとある友人女性が、いよいよ婚期に差し掛かって結婚をするという話を聞き、私は何かプレゼントをしようと思い立った。
 その頃の私は、入る金をほとんどすべて機材に回していたため、金銭的にも精神的にも飢餓状態であり、祝福のための気の利いたウェディング・プレゼントといった着想は、まるで絵空事に近かった。
 唯一、私にできたことは、一つの曲をプレゼントする以外なく、その女性がやがて産むであろう子らのために、童謡のようなものを書こうということで決心が固まった。

 「明日の燈を」の詞は、想像の中の戦争童話を意識して書いた。ある兵士の物語、戦火に見舞われ廃墟に佇む独りの女の子…。だが最初は、子ども向けの朗らかな曲を書くつもりであった。いつの間にか生まれてくる言葉の片は、そういった薄暗い、悲しい戦場の様子を浮き彫りにした戦争童話そのものとなっていき、中途からそれを意識して書き綴ったのだ。
 そうして制作そのものが大失敗し、もはや、結婚祝福のための気分的かつ作品的体裁は座礁して、曲は明るい門出を祝うプレゼントの機を、失った。その後、紆余曲折して結果的には彼女の手元にこの「明日の燈を」は渡ったが、ただ単に悪夢の1998年と1999年が過ぎただけとなった。

※このテクストは旧ホームページ[ウェブ茶房Utaro]より抜粋

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