+Z項と木村栄博士のこと

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年1月3日付「+Z項と木村栄博士のこと」より)。

 私の職場に“キムラ”君というごくありふれた姓の同僚がいて、メール本文にキムラ…キムラと打つ度に最近連想するのが、「木村項」です。

 “キムラコウ”とはなにか、という謎について、まるで煩悶するかのように頭の中で駆け巡り、それでいてすっかりそのことを忘れてしまうのにもかかわらず、再びメールを見てキムラ…キムラ…キムラコウと思い出すという愚かなる繰り返し。

 先日のブログで触れた三好行雄編『漱石文明論集』(岩波文庫)所収で、漱石が明治44年に書いた東京朝日新聞への原稿「学者と名誉」というのがあります。この中に「木村項」が出てきます。

 木村栄(ひさし)という天文学者が明治35年、「木村項」(「Z項」)なるものを発見して、明治44年の7月、帝国学士院の恩賜賞を受賞しました。漱石は、今まで「闇に等し」かった科学界が、彼の存在によって忽然と明るくなったものの、依然として他の学者が「同じ暗黒な平面に取り残されて」彼のみが「独り偉大に見える」のは不公平である、という論説をそこで述べたのです。(ちなみに現在の日本学士院会館の施設は上野・科博の裏。)

《余といえども木村項の名誉ある発見たるを疑うものではない。けれども学士会院がその発見者に比較的の位置を与える工夫を講じないで、徒に表彰の儀式を祭典の如く見せしむるため被賞者に絶対の優越権を与えるかの如き挙に出でたのは、思慮の周密と弁別の細緻を標榜する学者の所置としては、余の提供にかかる不公平の非難を甘んじて受ける資格があると思う》

 漱石の青筋を立てた首、血走った眼が浮かぶのですが、“キムラコウ”とはなんぞや、というところで思考が停止してしまい、私は漱石に加担することも肯定することもできずに頭の中がぽあんとなります。

 本の注解にある、

《地球の緯度変化の現象は一年周期項と十四ヶ月周期項の組合わせによって説明されていたが、明治三十五年、木村栄博士は一年周期で現れるZ項なる成分により示されることを確かめた。このZ項のことを発見者の名をとって「木村項」とも称する》

 を読み、[国立国会図書館近代デジタルライブラリー]で木村栄著「緯度変化に就て」を散読し、さらには1939年5月の『天文月報』で中野三郎著「緯度変化に関する最近の諸問題」を散読し、その他測地学資料から「Z項」について解説文を読んだりしたのですが、やはり頭の中がぽあんとしたままで、なんのことかさっぱり。あまり立ち入らずに別の本に注目することにしました。

 2011年版の『天文年鑑』。

 赤の地に月の満ち欠けの画像。2011年版は赤と黒のコントラストが美しいシンプルな東欧チックな表紙なのです。

 天体や星座が好きだった小学生時代は、たまにこの『天文年鑑』を買っていました。星図表を見ながら、四季折々の天体を眺めていたのを思い出します。今はすっかり星空を見なくなりましたが。

 そう言えば――小学生ではなく中学1年の時、ハレー彗星を深夜に観察した(見ようとした)のが私の最後の“天体観測”だったかも知れません。

 その時の話は、また後ほど。

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