『墨東綺譚』との因縁

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2011年2月1日付「『墨東綺譚』との因縁」より)。

 ものを積極的に薦められたにもかかわらず、「拒否反応」を示した自己心理は実に単簡で、食わず嫌いと愛すべき他者への信頼感の欠如に由来する。狭い料簡で甲乙を決めてしまうのが人格形成の上での若者特有の――あるいは思春期特有の――性質であり、私自身も例外ではなかった。
 仮に学校の場で、教師が“あるもの”を「聴け」「見ろ」「読め」と言って薦めた“もの”のたぐいは、極力試してみる必要がある。ここで反発する必然はない(試した後の是非は別である)。しかし私は、その頃、上述した「拒否反応」の法則(言わばその性質の周期的な波に近い)によって、あるものには準じ、あるものには反発して試そうとしなかった。すなわち、ある教師には従順になり、別のある教師には心理的に諍う、といった具合であった。

 そうして若者ではなくなった今の自分が、若者であった頃のもっと青い自分を顧みたとき、ふと、そのはねのけた“もの”の事例を二三思い出した。ここで一つ事例を挙げたい。それは新藤兼人監督の映画『墨東綺譚』にまつわる些末である(※題名ボクトウの〔ボク〕はサンズイに墨)。

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 マスメディアに通ずる専門学校において、ある授業で講師が何かしら映画を薦めるとき、それは一般の興味本位での軽はずみな推奨ではなく、明らかに技術的芸術的に得るものがそこにあることを前提として推奨している。
 誠に恐縮ながら、その先生の氏名を失念してしまったが、ある日、いや連日にわたって、先の映画『墨東綺譚』を一個人にではなく授業の講話の中で、生徒全員に薦めていただいた。この『墨東綺譚』は永井荷風の小説を脚本化した新藤兼人監督の1992年の映画である。先生は十数枚の招待券を手元に用意して、とくとこの映画及び小説について紹介説明した、と記憶する。

 実はそれ以前から私は、新藤兼人監督に深く関心があり、『裸の十九歳』や『狼』、『原爆の子』などを観ていて好きになっていた。新藤監督が選ぶ題材に対して頗る共感を抱いていたのだ。当然、『墨東綺譚』にも興味を示すべきであった――。が、その時の私には何か異常な心理が働いて、目の前にある招待券に手を伸ばそうとはしなかった。その消極的な態度の理由について考える術はなく、例の「拒否反応」の法則に縛られていたと考える他はない。
 ただ、この映画は、生徒達の年齢を鑑みれば地味なモチーフに映ったであろうことは推測できる。新藤兼人監督を知らない若者が、いきなり『墨東綺譚』の、永井荷風の江戸情緒の世界に浸れるとは、あまり考えられない。実際に先生の招待券に手を伸ばした生徒は、意外にも女子生徒が多く、それも数人程度であったはずだ。アメリカの人気映画の招待券ならばあっという間に券はなくなっていたであろうが、ともかく先生が嗜好した新藤兼人監督が扱う映画の題材は、若者らにとってあまりにも「硬派」すぎた(映画の内容とは矛盾するが)。

 まだこれを書いている時点では、この映画を観ていない。ともかく、あれから19年が経過して、しまったと思った。かつての先生がこの映画の何に魅力を感じていたか、何故生徒に薦めようとしたか、それを突き止めなければと焦りが生じてきた。今更何を、と先生は呆れ返るだろうが、これ以上、見過ごすわけにもいかず、恩を仇で返す気にはなれなかった。

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