“ハシ”という友の話

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月7日付「“ハシ”という友の話」より)。

筑波山中腹から見た町の風景
 筑波のあたりを訪れるとき(素通りするときも)、必ず高校時代のある旧友を思い出します。それはもう条件反射のようなもので、いちいちそれを他人に告白することは一切ないのだけれども、むしろ忘れてはならないことだと思いました。十数年前、グループで深夜の筑波山をドライブしに来たときも、その山景の一つとも言える町のネオンの星々の向こうに、その旧友を思い出し、何か揺さぶられるような心持ちになるのです。

 ――高校の卒業式が終わって、教室に戻り、皆と別れを告げる最後の瞬間、その最後の瞬間まで、その日1日、何故か友人“ハシ”と一度も口を交わさず、無言どころか顔も見合わさぬまま、教室から散らばってゆきました。いつもの放課後のように、「散らばっていく光景」は物理的に同じでも、少なくとも私自身の気持ちはやはり大きく違っていました。しかし、そうして散らばったまま、私は二度とハシと出会うことがありませんでした。あれから20年の歳月が流れます。

 高校2年のある日、雨が降りしきる土曜の昼下がり、ハシは私を呼び止め、少しそこまで付き合ってくれと、帰り道を一緒に歩いて行きました。校門を出て、通りがかりにある、駄菓子屋を兼ねた雑貨商の前の停留所で、ハシはバスが来るのを待つ。私はその十数分間を付き合わされたのです。普段、ハシはバイク通学でしたが、その日は何故かバイクに乗っておらず、下妻からバスで通学してきたのです。

 その時、どんな会話をしたかは憶えてないけれども、やがてバスが向こうからやってきてまもなく、ハシは私に、今度うちに遊びに来い、と言い放って、すぐにバスに乗って去って行きました。独り残された私は雑貨商の停留所の椅子にしばらく座ったまま、ぼんやりとしていました。一緒に乗っていけば良かった、と――。

 それからしばらくして、本当にハシの家に行くことになり、私とハシは計略的に二時限目以降の授業をサボって、自転車で数十キロも離れた下妻の、ハシの家へ向かいました。ハシはバイクに乗っています。

 幾度も交差する農道をどう通り過ぎたのかわからない。が、その間ハシは私に対して、自分の家族のことや親類の人の話をしきりにするのです。家族との人間関係で悩むこともしばしばあって、こんなことは親友にしか打ち明けないのだ、と嘯いてもいました。

 夜になって、私はハシがバイトをしているうどん屋に図々しくのこのこ附いていって、彼が仕事を終えるまで、ずっと店内の隅の一席を陣取って、店のオーナーにうどんをごちそうになったり、店に入ってくるお客さんを眺めながら、今日1日の出来事を思い出したりしました。ハシが学校以外のところでどんな生活をしているかを垣間見、またこれほど高校から遠い町に住んでいて、毎日この距離を通学しているのはたいへんだなあと感心したり、あるいはもっと…あるいは…。

 その日はハシの家に泊まって、ぼんやりとした日曜日を迎えて、私は別の道を通って家へ帰りました。その最初の数キロを、ハシはバイクに乗って附いてきてくれました。何か話足りないと思いながらも、何を話していいのかわからず、ただ無言で自転車を走らせて、どこかの場所でハシと別れました。

 家に着いても私は、ただぼんやりとするだけで、何もする気がおきませんでした。何故そんなふうになったのか、今でもよくわからないのです。

 17歳の拙い言葉と行動は、かえってそれが一生の思い出になるように感じられます。まだ大人になりきれていない、むしろ「未熟さ」としての誇れるもの、二度と手に入れられない宝物のようなもの。本当に取るに足らない、なんてことはないエピソードであるけれども。

 しかもそれは、ケータイメールのない時代の、思い出の確証ともならない漠とした記憶だけです。20年ぶりにここでそれを書くことによって、かろうじて記憶の流砂となることを防いだ、という気がします。

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