魚の骨

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年5月6日付「魚の骨」より)。

 日体大出身の体育先生との2年間のうち、夏休み中に学校に登校した際、校長室か職員室の掃除を任されて、その間に室内のテレビに映し出されていたロス五輪の中継映像を見たのは、「小学5年生の時」と自分が記憶していた――のは間違いで、ロス五輪は1984年であるから、それは小学6年生の時であるわけで、微妙に自分の記憶が薄らいでいることを感じます。

 さて、ブログ「伽藍の夏」に登場する谷崎政彦と早苗は仮名ですが、話の大筋(あるいは枝葉の部分に至るまで)は実話に近いと思います。「コケ栽培」というのは非常に奇妙な遊びだったのだけれど、昼休みに旧友が数人集って、プレハブ校舎の裏手で“土いじり”をしている様は、今の時代では俄に信じがたい光景に映るかもしれません。

 しかしそれ以上に信じがたいのは、自分自身の心の中。私はその時、妙なものに取り憑かれていたのです。

 そのプレハブ校舎と地べたの付け根、つまり校舎の基礎の部分に、ある場所、「魚の骨」が埋められていたのです。直感的にその魚は、鮒だと思いました。鮒の頭だけが地べたから露出していて、それより下部は埋まっていたのですが、まったく全体が骨だったのです。

 「コケ栽培」をしに遊びに来た折、こっそりその場所に毎日行って、私だけ、「魚の骨」を見つめました。骨がそこにあることは誰にも言いませんでした。内心、私は怖かったのです。まるで人の骸骨を見つけたかのように。怖くて誰にも言えなかったのです。

 早苗が学校を去る時、学級で「お別れ会」のようなことをした記憶があります。どんな内容であったかは覚えていませんが、私は担任先生の“ワシントン”伝記本に負けまいとして、一冊の本を彼女にプレゼントしました。

 菊地澄子著『峠を越えて』(小学館)。

 ――実はブログの3月8日付「筑波山神社での写真」に掲載した学級の集合写真の中に、“本物”の政彦と早苗が写っています。何段の何番目とは言いませんが…。震災が発生しなければ、あの後、宮城県へ転校してしまった“本物”の政彦の話を書くつもりでした。雑駁なる気持ちを吐露すれば、あの時の彼がまたいずれかの地に流転してしまっていて、被災地である宮城にはとっくにいないことを、少なくともそこで苦しんでいないことを、私は今も願い続けています。

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