40年後という未来

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年12月22日付「40年後という未来」より)。

《furnace;
a space surround on all sides by walls and a roof for hearting metal or glass to very high temperatures.》

朝日新聞・大江健三郎著「定義集」
 先日の「定義集」(朝日新聞朝刊・大江健三郎著【海外の学会へ出向く小説家】「原爆を経験した日本文学」)の中で“furnace”が触れられていたので、『オックスフォード現代英英辞典』(第8版旺文社)で調べたところ、以上のように記されていました。

 昔、初めて一眼レフカメラを手にした頃、写真が撮りたくてたまらなかった気持ちを抑えきれず、日中、ひっそりとしたある集落を歩いてカメラを向けていた時、煉瓦を積み上げた古びた廃墟に出くわしました。

 そこは古いゴミ廃棄所の跡地で、私が見たのはゴミを処理するための旧式の炉=「窯」だったのです。

 “furnace”は炉=暖房炉や溶鉱炉の意ですが、『大辞林』によれば、日本語の炉にはそれ以外に、囲炉裏であるとか茶の湯の炉、窯、そして原子炉などが含まれている。はっとなって気がついたのは、“furnace”はせいぜい遡っても私が見た旧式の「窯」程度のもので、茶の湯の炉は違うなという印象を受けました。無論、原子炉は“reactor”というのがあります。

 私は、「廃炉」という日本語において、中世以前から窯の寿命=「終わり」=「棄てる」=「廃炉」というニュアンスを抱いていました。しかし、『大辞林』で引くと、その意は「寿命を迎えた原子炉」とあっさりあって、頬をぶたれた気がしました。

 昨日、政府と東電は新たな工程表を発表し、「40年後」に廃炉するといった目標年数を示しました。まだまだ具体的な工程表とは言えないものであり、政府・東電中長期対策会議が果たして今後も責任当事者であり得るのかどうか、組織の実体が見えてこず不安を覚えます。

 我々人間は「40年後」という未来をどれだけ想像、確定できるものか。

 言い換えれば、日本人はこれからの40年を、どう向き合えば良いのか。

ちょうど40年前に生まれた私は、今日の自分を到底想像できやしなかった…。自分自身も、社会も、国も――。

 日本において最も深刻な40年が始まろうとしているのです。

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