曼珠沙華

 夕焼けの空の下、広々としたその大地にわずか一群だけ咲いた彼岸花を見て、私はどきりとした。真っ赤な花々が、暮れなずむ空間に浮き立ち、まるでこちらを見つめているかのように思えたからだ。まさしくそれは女の瞳であった。

 それから数日後、庭に出てみると、真っ赤な花が一群を成して咲いていた。彼岸花である。――女は此処まで訪れたのか。
《ひがんばな(石蒜) 一名まんじゅしゃげ 山麓・堤塘・路傍竝ニ墓地等ニ多ク生ズル多年草本。(略)花後深綠葉ヲ多數ニ線形ニシテ鈍頭ヲ有シ質稍厚ク光澤アリ、然レドモ柔ナリ》
(牧野富太郎著『牧野 日本植物圖鑑』(北隆館)より引用)

 何かの記憶が甦ってきた。
 “曼珠沙華”。
 小学生だった私は、テレビの前でその姿をかじりついて観ていた。歌う少女はとても大人びて、サテンのようなドレスがすべてを艶やかにしていた。
 テレビの中の少女は、“マンジュウシャカー”と歌った。目くるめく表情を見せ、“マンジュウシャカー”と歌い続け、ついに決勝ラウンドとなった。数名による審査員の審査が粛々と始まる。司会者が緊張感を煽った。少女の顔も硬直している。
 ついに審査結果が発表された。
「優勝は――“マンジュウシャカー”を歌った…」。
 少女の名が呼ばれた。彼女は一瞬にして緊張がほぐれ、満面の笑顔になった。テレビ画面いっぱいに花吹雪が舞った。高らかなファンファーレ。
 司会者は少女にマイクを向けた。少女の瞳から涙がこぼれていた。
「それでは最後に歌っていただきましょう。ちびっこのど自慢優勝に輝いた、○○県出身○○○○さんが歌います。歌は“マンジュウシャカー”」
 ちっぽけな記憶が次々と場面を変え、まるでその少女がそこに居るかのような錯覚があった。あの番組の中でのど自慢を勝ち続けるため、少女が何度もそれを歌ったこと、そしてその大人びた少女が見事に優勝を果たしたこと、小学校の低学年であった私には、“マンジュウシャカー”が一体何のことかさっぱり分からなかったこと…。

*

 あたりは静寂に包まれた。まるで私だけが、この世に生きているかの如く。
一際美しいと思われた花を選んで、シャッターを切った。やがてぽつぽつと雨が降り出した。忌諱してその場を去る。30年前の記憶が一瞬にして甦り、一瞬にして漂泊となった。雨の中、窓の向こうで女がまだこちらを見つめ続けている。
 私にとってそれは「祈り」の花である。

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