むごさの堂々めぐり

 ちあきなおみさんが歌う曲「夜間飛行」にしんみりと耳を傾け、不思議な物悲しさを覚えながら、おもむろに酒を口に含む夜。私は《残酷》という言葉を想像した。

 この場合の、《残酷》さは、女の側にあるのか、あるいは男の側にあるのか。曲の歌詞(「夜間飛行」の作詞は吉田旺)と照らし合わせてみても、何かそのあたりがぼんやりとするだけで、そもそも歌詞の中に《残酷》という言葉はないのだから分かるはずもなく、“異国へ旅立つ”というフレーズが、あまりに無念を思わせて《残酷》さを想起した、のであり、これらは私の勝手な想像に過ぎない。

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 閑話休題。いくつか国語辞典を持ち合わせていて、不満に思うことがあった。故に、一冊では事足りないので、何冊も国語辞典を利用しているのだが、いわゆる語釈の堂々めぐりの話である。

 「残酷」をある国語辞典で引くと、《むごたらしいこと》と出ている。では、「惨い・酷い」を引いてみると、《なさけ知らずだ。残酷だ》《見ていられないほどいたましい。ひさんだ》とある。さらに「悲惨」を引くと、《悲しくいたましいこと》と出ている。このように、「残酷」「惨い」「悲惨」などの言葉がまるでネット上の相互リンクのように連鎖しているものの、実質的な語釈には永久に辿り着けないように思える。

 もともと国語辞典は、形容詞の語釈に弱い性質がある。所有している数種の国語辞典を調べてみると、同じような堂々めぐりが多く見られた。伝家の宝刀とも言うべき『広辞苑』でも見受けられた。言葉の語意・語釈・用例をど忘れした時には、国語辞典は特に協力的であるが、まったくその言葉の語意が分からない場合は、このように辞書内で言葉の堂々めぐりに陥るから、本質を知るのにはとても注意すべきなのだ。

 例えば大修館書店の『明鏡国語辞典』や三省堂『新明解国語辞典』などは、比較的形容詞の語釈がきっぱりとしていて堂々めぐりが少ない。特に後者はきっぱりとしていて、「惨い」の語釈はこうなっている。

《あまりにもひどい仕打ちや出来事に接して、当人自身が耐えがたい思いをしたりはたの人が義憤を感じたり正視に耐えなかったりする様子だ》

 これには多少主観的な含みがあるにせよ、文字通り明解である。そういう意味で『新明解国語辞典』は、形容詞に強いとして評判が高いのだが、だからといって辞典として万能ということではなく、『広辞苑』のような語彙の多さには到底敵わない。そのあたりで辞典はいくつか持ち合わせていないと日本語を網羅したことにはならず、互いに補う必要がある。

 ――最初の話に戻ってみる。
 国語辞典では書かれていない、女の《残酷》さと男の《残酷》さ。その感覚的、観念的なものの違い。何やら最近、政治家でも説明の「誤報」などと言って、歴史の中の女性の《残酷》さを男の側の論理解釈で取り間違えた人がいる。報道を見るにつけ、自己釈明の堂々めぐりはますます見苦しくなるだけではないか。

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