高級オーディオとはなんぞや

 朝日新聞朝刊1月21日付に、「老舗の流儀」と題され、高級オーディオのメーカー“Accuphase”(アキュフェーズ)の会長・斎藤重正氏の談話が掲載されていた。質の良いアンプとCDプレーヤーのみを販売し、顧客との関係を大事にしながら、世界の一流ブランドを目指す。無借金経営、社員は70数人ほど。たくさん作らない、社員は増やさない。「徹底的に、とことん、作り込んでいきたい」と斎藤会長。

 確かに、国内全体の需要が、景気の上向きに伴って、高級ブランド志向に移行しつつある。大人買い流行りである。
 オーディオの話に戻すと、私自身は、あまり再生系の“高級オーディオ”――数百万円もするような――には興味を示さない。だからといって、プレーヤーはiPodとイヤホンで十分、という意味ではない。青天井の価格帯でべらぼうに高く、趣味性に富んだオーディオには、正直ずっと関心がなかった。それは今でも変わらない。

朝日新聞朝刊1月21日付「老舗の流儀」
 音楽制作に携わっていると、そういう傾向が強くなる。
 まず何より、一般の大多数のリスナーがもっと簡易的な再生装置で音楽を聴くであろうから、そういったオーディオで自分の作品がどう響くのかという点に重点を置かざるを得ない。高級オーディオの、高度な技術力による音の忠実性には頷けるが、趣味性に富んだ作りやアクセサリーは無用、という考え方。手荒いモニタリングの現場では居心地が悪い。作る側の人間が、余計なところに金をかけてどうする?とも、教えられてきた。
 しかし一方で、金銭的な贅沢ができるのならば、一度はジャズやクラシックをそういった環境でゆったり存分に聴いてみたい、とも夢想する。こちらの夢はいつも儚く消えゆくのだが。

 そもそも、“高級オーディオ”の尺度は、はっきりとあるわけではなく、あくまで相対的なものであろう。部品一つを比べてみて、どちらの部品が優れているか、ということの集合評価だ。中には、特に技術として優れてはいないのに、素材が高級というだけのものもあって、そういう意味でのブランドは、困る。ここが趣味性の部分である。

 こうした集合評価は、他者の評価と自らの評価との摺り合わせが必要だが、結局は買う側の嗜好の問題になってくる。この箇所にはこだわりがないが、こちらの箇所はこうであって欲しい、という嗜好。それがより高級なものを求める。
 CDプレーヤーで言えば、ディスクの情報をいかに高い精度で読み取り、良好なアナログ信号に変換するかの技術集合であり、また読み取る際のモーター部等の動的な振動対策と経年劣化をどのように克服しているか、という点において、各メーカーの技術の質が違ってくる。この技術的差異に対する嗜好、あるいは割り切り具合と言ってもいい、買う側の論理あるいは自己満足こそが、高級オーディオの尺度ではないだろうか。

 子供の頃、趣味のプラモデルで巨大なスケールの“戦艦大和”を買っていく大人がいて、本当に憧れた。こちらは安っぽいサンダーバード2号である。戦艦・空母・駆逐艦なら子供でも分かる。だが、巨大なスケールの“帆船プラモ”を買う大人の心理は到底理解できなかった。あんなのどこがいいの?と。

 高級なものにどっぷり浸かるには、それなりの趣味や嗜好、技術的知識、そして工芸への審美眼を鍛える必要がある。早く“帆船プラモ”が欲しくなる大人になりたい。

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