真昼のチェンバロ

東京・浜離宮朝日ホール
 東京中央区の築地市場に程近い、この浜離宮朝日ホールは、その名にある浜離宮庭園の北東に位置している。地図を広げれば、東は隅田川を隔てて月島があり、その南は晴海埠頭、東京港である。
 どうやら前回、私がこのホールへ訪れたのは、6年前になるらしい(当ブログ「うとうととエリック・シューマン」参照)。朝日新聞東京本社を素通りして、その奥まった箇所に、浜離宮朝日ホールがある。

 コンサートの正式名は、「ハウス食品グループ Presents 浜離宮ランチタイムコンサートvol.126 曽根麻矢子チェンバロ・リサイタル」。築地には築地独特の喧噪がある。食の殿堂とも言うべき築地の目と鼻の先で、食と音楽のコラボレーション――ずばり正午の時間にしばし喧噪と離れ、一膳分の音楽を聴いてもらうのが、浜離宮ランチタイムコンサートの狙いだ。

 以前より私はチェンバロの演奏を生で聴いてみたいと思っていて、2011年、チェンバロ奏者の中野振一郎さんのリサイタルを聴きに行くつもりだったのが、大震災の影響で中止となり、翌年の再公演にも行くことができず、ずるずるとこの目当てが達せられずにいた。そうして今年、曽根麻矢子さんのリサイタルがあるというのを知り、ようやく今回、チェンバロを生で聴くという機会を得ることができた。それも音場としては世界的に評判の高い、浜離宮朝日ホールで。

 ダカンのクラヴサン曲集から始まったこのリサイタルでは、曽根さんのチェンバロについての解説が時々挟まって、とても分かり易くチェンバロの特徴や特性を知ることができた。曽根さんの人柄がいい。なんと言っても個人的に興味深かったのは、バッハの「幻想曲とフーガハ短調」(幻想曲のみ)の演奏であり、もはや曽根さんは精神的にバッハと心中するのではないかと思うくらい、バッハとチェンバロと身体とが渾身一体となった名演奏を披露してくれたのである。私はこれが生で聴けただけで、もう満腹状態であった。

 チェンバロの音色の良さ、深みについて、あるいは鍵盤の機械的な構造上の動きからくる音への物理的影響について、もしそういう解説が示された書物があるのなら、是非とも読んでみたいと思っているのだが、よく一般的にチェンバロの音色を《雅》(miyabi)という日本語を使って簡単に片付けてしまう傾向があり、私はそれを目にするとひどく不満に思うのである。物足りない。欠けている。もっと別の表現はないものかと。

 しかしやはり、音に関しては謎に満ちているとしか言いようがない。教会における神秘性を強調するための、音表現いや「音現出」の独創的音色。空間に拡散した際の、柔らかさと硬さの絶妙な振幅。ホールの残響時間は満席時で1.7秒だが、このホールの響きにおいては、チェンバロの音が天井に向かって、まるで湯気のようにきめ細かく優しく、消えていくのである。もし別のホールでチェンバロを聴いたならば、まったく別の印象を受けたに違いない。もちろん、この音のきめ細やかさを「現出」させているのは、曽根さんの人間味溢れた技巧の熟達に依るところが多い。

 チェンバロについてはもっと知りたいが故に、謎のままであっていい。

 日差しを遮るのに苦労しながら、勝鬨橋を渡った。“勝鬨”の由来が、日露戦争の旅順陥落の記念、の渡し船であったことに驚く。東京は、様々な《歴》を川底のナマズの如くゆるりと飲み込んで息づいている。

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