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『洋酒天国』とテレヴィジョン

『洋酒天国』第35号
 『洋酒天国』(洋酒天国社)第35号(昭和34年4月発行)は、テレヴィジョン特集号である。表紙は、その当時の白黒テレビに野球中継の画。背景の球場(後楽園球場?)の広告には、大きな字の“トリスウイスキー”。言うまでもなく、『洋酒天国』は“洋酒の寿屋”すなわちサントリーのPR誌であり、編集発行人は開高健である。
 何故、この号でテレヴィジョン特集なのか。その理由を知ろうと、少しばかり昭和34年前後の日本の流行や世相風俗について調べてみた。

 前年の昭和33年は、日劇のウエスタン・カーニバルが大ブーム。テレビドラマではフランキー堺主演の「私は貝になりたい」が放映される。電波塔の東京タワーもこの年に完成。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。

 昭和34年の4月、皇太子結婚パレード。ミッチー・ブーム。このパレード生中継の推定視聴者数は1,500万人だという。9月に伊勢湾台風上陸。暮れの第1回レコード大賞は水原弘が歌う「黒い花びら」が受賞。ちなみに翌年の昭和35年は、いわゆる安保闘争、全学連デモ隊と警官隊との衝突などという騒動が起きている。ダッコちゃんブームもあった。

 つまり昭和34年4月は、皇太子ご結婚の祝賀ムードが広まる中、多くの家庭で新しくテレヴィジョンを購入したてんやわんやの月だったのだ。

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 第35号の巻頭は、九州大学教授・高橋義孝氏のエッセイ「どうも厄介だ」。読んでみると非常に興味深い内容になっている。

 テレヴィジョンが厄介ということ――。昭和28年、国内におけるNHKのテレヴィジョン本放送が始まって以来、日本のテレビ戦略の第二のうねりは、皇太子結婚パレードによって幕が開けた。4月10日のパレードに合わせ、1日付に8社ものテレビ局が開局している。ミッチー・ブームに乗っかり、国民にテレビ!テレビ!テレビ!と、テレヴィジョンの大号令が刷り込まれ、大テレヴィジョン時代が到来する。いったいテレヴィジョンとは、何なのか。

 そこには、功罪というものがある。パレードの中継はいい。スポーツの実況放送はいい。けれども、本物ではなく、あくまで便利な代用品に過ぎない。本物とにせもの。にせものと本物。本物がにせもののために駆逐されていく。いかにも不自然な娯楽番組を考え出すのは困ったものだ。テレヴィジョンの罪ではない、テレヴィ編成局の罪である。愚かである。ばかげている――。

昔のテレビはたびたび調整が必要だった
 高橋氏はそんなふうに息を荒げながらペンを走らせている。

 この号の別のページでは、各局のテレヴィジョン関係者5人による座談会形式の「テレビ・ドラマ裏話」というのがある。その中で一人が、今日の(当時の)テレヴィジョンの有り様をぴしゃりと指摘して発言した箇所があった。これまた興味深いと思えたので、引用しておく。

《…結局日本のテレビというものは、あまりにいろんなものであり過ぎると思うんですよね。テレビであってテレビじゃないものが多いね。たとえばアナウンサーの場合は完全にラジオのアナウンサーだ。舞台装置とか照明とか、完全にそこらの舞台のものをそっくり持ってきている。テレビのものじゃないですね。一つもこれがテレビだというものはまだないですよ。この間ぼくはアメリカにいって実際に見てきたら、テレビというものはテレビでしかない。ばかげた話だが、それですっかり感心した》
(『洋酒天国』第35号より引用)

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各局の「お待ち下さい」静止画
 そんな高度経済成長期の頃のテレヴィジョンの裏話、伝説のたぐいは、何かしら耳にしたことがある。それはそうと、この号で懐かしいものを見た。ある意味これもテレビ伝説の一つと言えるのだが、放送中の事故で切り替わる、「ちょっとお待ち下さい」「しばらくお待ち下さい」の画面のこと。

 私が生まれた昭和47年以降も、実際にテレビを眺めていてたびたび目撃した記憶がある。番組放送が急に途切れ、突然「…お待ち下さい」の静止画に切り替わる。この画面がしばらく続く。そして何事もなかったかのように、もとの番組放送に戻る。

 「お待ち下さい」の静止画が出ている間は、観ている側が妙に緊張してしまう瞬間なのだ。最近のテレビでは滅多にこの緊張感が味わえない。昔はごくごく普通に、放送が途切れてしまう事故が各局で、あった。

 そう言えば、トリス。昔、トリスバーのコマーシャルがあったらしい。コマーシャルと言えば昭和28年の8月、日本における初の民放局開局によって、テレヴィジョン放送用の商業コマーシャル・フィルム(CF)が誕生した。精工舎の国産第1号CFである。さて、トリスバーのCFもなかなか古い。アンクルトリスの登場するアニメーションCFが有名。『洋酒天国』は寿屋のPR誌だ。単にテレヴィジョン特集をするわけにはいかない。宣伝である。トリスのコマーシャル「トリスバー」(原画は柳原良平)を1ページ、無理矢理本号に挟み込んでいる。懐かしい。

 テレビとはなんぞや。『洋酒天国』ならではのテレヴィジョン特集は、なかなか乙なものである。酒の肴にぴったりだ。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

武満徹―暗い河の流れに

先月末の当ブログ「大阪万博と音響彫刻のこと」で記した、1970年大阪万博・鉄鋼館におけるフランソワ・バシェの「音響彫刻」に関して、あらためてここでご報告したいことがある。「音響彫刻」復元に向けてのクラウドファンディングの資金総額が先日、なんと目標金額200万円を上回ったとのこと(※現時点で300万円を超えた)。その急報を受け、復元実現への大きな一歩となることに安堵を覚え、何よりも喜びが絶えない。これも多くの方々の趣旨賛同の協力と支援による成果であり、この場を借りて心よりお礼を申し上げたいと思う。今後とも、さらにこのプロジェクトの経過を見守っていただければ幸いである。 §
 さてこうして、当時バシェの「音響彫刻」を依頼した音楽家・武満徹氏の過去の作品や活動について、個人的な興味が近頃熱を帯びてきたため、彼の諸々の作品に出合う機会が多くなってきている。
 彼の映画音楽以外で、音楽CDを初めて聴いたのは、確か12年前のことである。東京都交響楽団・外山雄三指揮の「地平線のドーリア」。私がその時、どのような理由でそれを買い求め、彼の作品をとらえようとしていたのか、今となっては判然としない。が、その前提にあったのは、これはおそらく間違いないことであろうけれども、高校の国語教科書(筑摩書房)にあった彼の随筆「暗い河の流れに」の木訥とした文章の記憶と、そこに掲載されていたアメリカ出身のジャズ歌手ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)の、まるで精彩を欠いたリリーフ画のような古いモノクロ写真の印象とが、あまりにも憂鬱な記憶の陰にあったからだろう。再び私は随筆「暗い河の流れに」を読み、武満徹氏の思想的感覚の在処を考えてみることにした。
 私が高校時代に使用していた筑摩書房の国語教科書は、今でも時折開くことがあるのだけれど、美術家イワサキ・ミツル氏の抽象画の装幀がなんとも不気味で謎めいていて、本を開く前の心が落ち着かなくなる。この一つの抽象画の存在によって、教科書に出てくる様々な作品に対するイメージが、ほとんどすべて、暗がりの木に潜む孤高な梟と化し、その印象は一つ一つ暗い。武満徹の随筆「暗い河の流れ」は最も孤高とも思え、当時私はこれを読むことを避けた。この随筆は教科書の中で「評論」の章題に属しているが、授業のテーマに挙げられることはなかったのである。
 「暗い河の流…

ファミコンの思い出―プロレス

深田洋介編『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を読んでみると、その熱い思い出を語るほとんどの方々が、1970年代生まれであるという事実に、言葉では言い尽くせない共時性の発見があって面白い。
 ファミコンすなわち任天堂の8ビットテレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」の歴史を簡単にたどってみる。  小豆色がイメージカラーの華奢な本体が1983年夏に発売開始され、徐々にヒット商品となり、85年までに650万台以上が販売されたという。ちなみに、1983年はどんな年であったかというと、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』の大ブーム、東京ディズニーランドの開園、そして田原俊彦の「さらば…夏」が第14回日本歌謡大賞のグランプリを受賞した年だ。  ファミコンの全盛期はおそらく86年頃だと思われるが、発売開始から約10年後の1994年に新作ソフトの発売が終了されるまでの期間は、まさに70年代生まれの世代が小学生から成人になるまでの成長期とほぼ合致しており、この団塊ジュニアと言われる世代の、衣食住に浸透しきったファミコン依存度は頗る夥しいと言わざるを得ず、極論すればファミコンは、70年代生まれの世代にだけ付与された電子玩具信仰だったわけである。
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 閑話休題。ファミコンのゲームで私が最も熱狂したのは、任天堂のディスクシステムで1986年に発売された、『プロレス』だった。当時の熱狂的なプロレスファンであればこのゲームにかじりつくのは自明で、これ以前に発売されていた『キン肉マン マッスルタッグマッチ』だとか『タッグチームプロレスリング』でなんとなく消化不良を感じていたプロレスファンは、この『プロレス』の発売で誰しもが溜飲を下げたことだろうと思う。
 このゲームの取扱説明書の表紙を最初に見た時、それがチャンピオンベルトを巻いたアントニオ猪木似のキャラクターであることに、まず大きな感動を覚えた。これはもしかすると、テレビゲーム史上初めてアントニオ猪木似のキャラクターが登場したゲームソフトだったのではないかと思うのだが、確かなことはよく分からない。いずれにしても、キン肉マンや長州力やストロングマシンではない、マット界の真打ちの登場には拍手喝采だった。
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 『プロレス』は、1人プレイモードと2人プレイモードが用意されていて、1人プレイモードは5分1本勝負のランキング制であった。勝ち抜けば…