赤瀬川原平さんと写真の話

赤瀬川さんに影響されて買ってしまったバルナック型ライカ
 赤瀬川原平さんが亡くなった。
 文庫本ではない単行本の方の、尾辻克彦名義の『ライカ同盟』(講談社)が懐かしい。バルナック型ライカの線画、ライカのトレードマークである赤丸が印象的で、いつの頃かこの本の装幀をずっと飽きもせず眺めていたことがあった。

 雑誌『東京人』などでたびたびライカをぶら下げた赤瀬川氏が登場すると、私自身のクラシックカメラ嗜好の熱が上がり、ライカへの妄執が始まる。私にとってライカと言えば赤瀬川氏であり、たまに“偽ライカ同盟”のなぎら健壱氏を思い浮かべたりすることもあるけれど、そこはもはや赤丸ライカ=赤瀬川原平の勝手な観念であった。

 もう10年ほど前になるのか、気がつけば私は、バルナック型ライカの軍用モデル(?)を入手していた。
 日頃、カメラは実用・実務が肝心だと信じていた私にとって、そんなクラシックカメラを買い込むなんて、赤瀬川氏の影響による「ライカ中毒」の初期症状であったとしか思えないのだが、その軍用モデルを肩にぶら下げて、試し撮りのために森を散策してみたのだ。

 ところが、気分が冴えない――。
 レンジファインダーの使いづらさと出来上がった写真のピントのずれ具合に辟易して、何度か試し撮りを繰り返したものの、やはりこれは手に触れて味わって飾るもの、という諦念の結論に達して、どうにかこうにか中毒を免れた。しかしながら、このカメラを手に取った時の重量感と厚みの触り心地は、昇天する寸前を感覚的に覚えたし、他のレンジファインダーだったらどうだったのか。結果はまったく逆になっていたかも知れないのだ。

 ライカの交換レンズはもちろんのこと、レンズフードや単独ファインダー、露出計、ライカの三脚などを集め出してライカ中毒になった人を、私は知っている。ライカ中毒に対して“解毒”の処方論も蔓延る世界である。50mmの標準レンズ蒐集などは、中毒患者が最も多いのではないかと思えるほど。私はあいにくLEICA M6をレンズもろともとっくの昔に売却してしまったが、中毒の火種はなんとなく身体の中に沈着していて、いつそれがまた熱を帯びるか…あまり考えないようにはしている。

 ライカ本を買ったりすると、必ず広告欄に赤瀬川氏の著作が紹介されていたりする。これがまた中毒を助長させる恐ろしい罠である。
 私が買ったライカ本に、たまたまRICOHのGRレンズ(ライカマウント用28mm F2.8)が紹介されていた。これが思いがけず、“解毒”の作用に働いた。ちょうどその頃、RICOHが尖鋭なる小型デジタルカメラを発売したので飛びついた。同社のGR DIGITALシリーズは、その存在感がライカのレンジファインダーに似ていて、レンズも頗る解像度がいい。しかも小さく、ポケットに入る。私にとってこれが、ライカに取って変わったカメラだ。無論今もこれを使い、実用・実務の領域を外していない。

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岩波写真文庫といえばこれを読むべし
 数年前に復刻版が出た「岩波写真文庫」で、赤瀬川原平セレクションというのがある。発売開始直後、私はこのうちの数冊を束で買った。

 『南氷洋の捕鯨』も面白かったが、いちばん面白かったのが、『蛔虫』である。蛔虫など見たことがなかった。気持ち悪いほどわんさかと蛔虫の写真が出てくる。70年代生まれの私にとっては、ちょっとあり得ない話ばかりである。赤瀬川氏はこんな本までセレクトしたことになる。

 赤瀬川氏がこのセレクションで、「戦後が始まった時代の空気」と題して寄稿している。日本の戦後はこんなふうにして始まったのだよ、という空気を伝える写真の力。記録写真のありがたさ。文字では伝えきれないことが写真からぷんぷん匂ってくると、赤瀬川氏は述べている。

 写真の内側に潜んだ空気と、それを直視するこちら側の、見つめる空気というのがあると思う。だから写真とカメラは面白い。そんなことを、赤瀬川氏に教わった気がする。

 ライカ同盟、永遠なり――。

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