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世界の愛唱歌集

「世界の愛唱歌集」(学研)
 『原色学習図解百科』第9巻[楽しい音楽と鑑賞]に付随した「世界の愛唱歌集」の入手経緯については、当ブログ「原色学習図解百科と世界の愛唱歌集」で述べた。ここでは、その「世界の愛唱歌集」について触れておく。
 幼少の頃、私はこの本「世界の愛唱歌集」を既に知っていて、実はそれなりに見ていた、のである。

 第9巻[楽しい音楽と鑑賞]の本巻(レコードの解説本)に長年親しんできたために、私の記憶の中では「世界の愛唱歌集」の存在は――ある年齢より――完全に消え失せていた。第9巻と言えばその緑色の本と「名曲鑑賞レコード」しかないと思い込んでしまっていた。

 実際に「世界の愛唱歌集」を手に取ってみても、すぐにその本であることに思い至らなかった。しかし、写真入りカラー印刷になっているペーパー・カヴァーを一剥ぎして、またしても地味な緑色の裸装幀を見た時に、すべてが甦ってきた。私はこの本を読んでいたのだと――。

 そう、幼少の頃、この“緑色”の「世界の愛唱歌集」は、我が家に設置してあったリード・オルガンと共にセットで置かれていた本だ。
 リード・オルガンは足踏み式ではなかった。電気送風式であったと記憶する。そのリード・オルガンには常に「世界の愛唱歌集」が置かれていたので、私は鍵盤で音を出して遊ぶ傍ら、この本のページをよくめくっていたのである。オルガンと緑色の本――それは完全に遊具としてセットになっていた。

“別れの歌”として紹介されている「ほたるの光」
 ところで「世界の愛唱歌集」の内容は、誠に簡潔としている。
 すなわち、世界の民謡や愛唱歌を国別に分けて191曲エントリーされている。第1部「世界の民謡をたずねて」と題し、{イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、北ヨーロッパ、東ヨーロッパ、アルプス地方、ロシア、北アメリカ、中国・朝鮮、インドネシア、ポリネシア、オーストラリア、フィリピン、イスラエル、メキシコ、日本}の民謡がピックアップされていて実に行き届いた歌集となっている。
 第2部は「みんなで歌おう」と題され、{野原、山、スキー、海、川、つどい、別れ、クリスマス、春夏秋冬、ふるさと、子守歌}が主題となった愛唱歌が紹介されている。

 私が憶えているのは、第2部の方で紹介されていた、「サッちゃん」(大中 恩作曲、阪田寛夫作詞)である。
 そこには「サッちゃん」の歌詞とメロディ譜と、バナナを食べている少し小太りな“サッちゃん”の挿絵があった。この挿絵の“サッちゃん”がどこか可愛らしくも物悲しく思え、なんとも愛おしく、私の記憶にそれが印象強く残っていた。初めて「サッちゃん」という歌を知ったのは、この本から、ということになる。

 その頃私の家にあったリード・オルガンは、おそらくYAMAHA製だったと思う。知り合いの某さんからいただいたオルガンだった、と親から聞いている。そのもらい物のオルガンは、私が小学校を卒業するかなり以前に、既にだいぶ古くなっていたので、親が処分してしまった。そしてその時既に、片割れの「世界の愛唱歌集」も捨てられてしまっていたのだ。

 こうして考えてみると、こういうことが言える。

 私がいま、何かを歌うということは、頭のどこかで「世界の愛唱歌集」で紹介されていた日本の唱歌の言霊が息づいていて、それは取り去ることができないものだ。それは理屈ではない生理的なこだわり。
 日本の唱歌の原点とも言うべきものが、スコットランド民謡であり、私は改めてこれにのめり込もうとしている。「世界の愛唱歌集」の第一の民謡が、スコットランドであるように。
 これはつまり、日本唱歌の原初、そして私自身の《歌》の原初に立ち戻る作業を意味する。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

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人生ゲームと約束手形

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 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
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 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

グーグス・ダーダ―知られざる円弧の演劇

初夏を感じる気持ちの良い晴天であった昨日の午後。東京・王子の花まる学習会王子小劇場にて、升味加耀主宰・脚本・演出による「果てとチーク」第2回公演 『グーグス・ダーダ なになにもなになにもない NO nothing nothing nothing』を観た。出演は江花渉(真空劇団)、川村瑞樹(劇団木霊)、高原久美子(劇団くるめるシアター)、福澤香織、升味加耀、秋谷悠太、伊佐敷尚子、島田利行、金澤卓哉、堀紗織。
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