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『アイズ・ワイド・シャット』のこと

キューブリック監督の映画『アイズ・ワイド・シャット』
 スタンリー・キューブリック監督の1998年遺作映画『アイズ・ワイド・シャット』(「EYES WIDE SHUT」)を、最初に私がどこで、どのようにして鑑賞したのか、思い出そうとしているのだがなかなか思い出せないでいる。いつの間にか、この映画のあらゆるエッセンスが体内に染み込んでいて、それが時に創作への意欲を掻き立てる材料となっているのだが、その90年代、私は既に『2001年宇宙の旅』や『突撃』などでキューブリック監督に心酔していたとは言え、この遺作への初逢瀬とその作品解題が記憶にないとは、誠に甚だしく残念である。

 一言で言って『アイズ・ワイド・シャット』は、「夜の闇」の映画だ。そして夫婦の間の、日頃閉じられている「心の奥」の話だ。

 いま私が、自身の創作の新たな「舞踏」への音楽的試みを為すべく、そういった芸術的感覚を呼び起こすために、『アイズ・ワイド・シャット』を再び観ようと思ったのは、これまで確固たる作品解題をしてこなかったという理由とともに、この映画に秘められた特有の芳香―それを愛とわざわいの臭気と言っていい――を、なんとなく思い出したからだと思う。
 観終わってはっきりと、映像美としての《ブルー》が愛(親密な親子愛や夫婦愛、友情、その他の愛情)をイメージさせ、音響効果としての《言葉》がわざわいをイメージさせているのではないかと考察したのだが、私はさらに深淵をさまよい、多くの謎めいた何ものかをインスパイアされた感がある。

 キューブリックはこの映画を形にするにあたって、原作アルトゥール・シュニッツラーの『夢小説』(「Traumnovelle」)や自身の長年の「ブルー・ムーヴィー」構想を下地にしたわけだが、私はこの映画を久方ぶりに観て、じわりと思い出した映画があった。ブライアン・デ・パルマ監督の1980年の映画『殺しのドレス』(「Dressed to Kill」)だ。

 『殺しのドレス』との初逢瀬の方は、はっきりと憶えている。
 それは1987年。私はまだ中学生であった。自宅のテレビに初めて据え付けられた新型のビデオ・デッキ(VHS)の録画を試したくて試したくて、ストックしておいた生のビデオテープで何かテレビ番組を録画しようと、ちょうど始まろうとしていた『殺しのドレス』を録画したのだが、あとでそのビデオを観て衝撃を受けた。無論、ビデオ・デッキの録画に対してではなく、デ・パルマ監督の映画に対して、である。私は『殺しのドレス』で、ある種の映画的トラウマになった。

 映画的トラウマというのは、個人的映画偏愛のしこりを指す。私の場合、幼年時代に観てしまった市川崑の映画でそのベクトルが傾き、さらにデ・パルマでベクトルが垂直に傾く。

 そうした映画的トラウマからの吸引力で、とうとう来てしまったのがキューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』である。格調が高く、どす黒く、エロティックな心理劇。付け加えてサスペンス。こんな複雑な映画に嗅覚を求めたがるのはもはや必然と言わざるを得ない。
 『殺しのドレス』では、車内で淫らな行為に及ぶ大写しの女性下着が記憶に残るが、それはきわめて重要なショットである。『アイズ・ワイド・シャット』では、先述した《ブルー》と《言葉》――特にそれは“fidelio”――が印象深い。主人公ビルが入り込むオルジィのシーンでは、ジェルジー・リゲティ作曲のピアノ曲「Musica Ricercata」が身体に突き刺さるかのような鋭い響きで圧倒される。

*

 心理劇としてはかなり難解である。平凡で仲睦まじい有資産階級の夫婦間に生じた、性的倒錯の悲劇。
 最初はパーティでのちょっとしたジェラシーがきっかけで、お互いの不安の溝が広がる。自制心を失い、妻が自身の赤裸々な夢を語る。医師である主人公も徐々に妻への反抗的衝動から理性を喪失し、性的倒錯へのオデッセイへと向かう。
 皮肉にも主人公が、街へ繰り出してからの現実の些末において、その倒錯の対象が静謐と優美とに調和されていると官能したのは、妻のあの性的倒錯夢が、単なる夢であるにもかかわらず、対照的にどこか卑猥で汚穢じみたもののように感じられたためである。故に主人公はそれにのめり込んでいくのだが、この官能的刺激と妻へのある種の失望感について述懐されているシーンは、どこにも挿入されていない。が、それはどこかのシーンのショットに暗喩として埋め込まれていると(キューブリックがそう仕組んだと)、私は推理する。

 しかしながら、悲劇の矛先は真逆となる。
 オルジィでの事件の結果、すっかり怯え打ちのめされた主人公は、妻の(一見すると)温かな介抱によって精神的な安定を取り戻す。夫が帰ることの許された場所は、妻の胸元しかなかった。
 いずれにせよ一旦生じた深い亀裂は、その修復を試みようとする妻の包括的な解釈《言葉》――平凡な夫婦間を取り戻すためのささやかな叡智――によって、二人は元の二人として向き合おうと懸命に努力を開始するかに見える。

 であるにせよ我々は、映画の終末で妻アリスの、真実としての本心を掴むことができない。鑑賞者側の解釈においてもまた、詮索は避けるべきだ、と言及しているのがまさに“アイズ・ワイド・シャット”なのだ。真実は常に掴むことができない。
 作品の周縁も実に謎めいていた。完成直後、キューブリックは死去し、主演のトム・クルーズとニコール・キッドマンは3年後に離婚した。詮索不問。その意味でもこの映画が立てられたテーマは迷宮かつ普遍的で奥が深い。

*

 最後に私の個人的な余話。
 これは嘘でもなんでもないのだが、この映画を見終わった直後、私のメーラーに複数のスパムメールが受信された。サブジェクトは、
“Your penis will be harder than it ever been before”。
 内容としては最もよく出回るスパムだ。ただし、送り主のアドレスが奇妙であった。“Stanley@”と“Feldman@”。

 スタンリーとフェルドマン。

 後者のフェルドマンとは、現代音楽家のモートン・フェルドマンをもじったのだろう。現代音楽でフェルドマンはリゲティと共に語られるが、キューブリックの音楽性とあながち無縁ではない。
 それにしてもこんな偶然があるだろうか。まるであのオルジィ事件の続きのように、私は誰かに監視されていて、『アイズ・ワイド・シャット』を観たのを知っていると示唆したメールなのか?

 そうであれば尚更、私は“fidelio”に続く第2第3のパスワードが知りたくなった。そう、フィデリオ。真夜中、ひそかにあの黒い森の門を、くぐり抜ける時がくるかも知れない。その黒い夜の闇の中へ、私のかすかな靴音だけが響き渡る。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

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石内都―Infinity∞

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久方ぶりに個人的な“大阪万博”熱が再燃するような、そんな興味深い新聞記事に出合い、そのクラウドファンディングの主旨に賛同し、些かの支援の企てをウェブ上で取り計らった。このネット出資が功を奏するかどうかは現時点では分からない――。しかし、“大阪万博”に対する憧憬と抽象音楽への深い関心の交差は、紛れもなく私自身を一瞬にして突き動かした。このプロジェクトが無事に成功してくれることを祈る以外にない。
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「フェティシズムの流儀―『奇妙な本棚』」の稿で私は、《ニュートンは2004年に不慮の交通事故で亡くなってしまった》と書いた。Wikipediaによれば、場所はハリウッドのシャトー・マーモント。遺灰はベルリンに埋葬とある。シャトー・マーモントと言えば、昨年大ヒットしたアメリカ映画『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル監督)でもロケ地となり、セレブ御用達の華やかなホテルという印象が強い。そこはいかにも、ニュートンの趣味にしっくりくる居心地の良さそうな場所であり、彼にとっては最も生活臭の濃厚な居場所であったけれども、遺灰はベルリンに、という部分に、思わず一瞬、そうなのかとも思ってしまう。ニュートンが最も華やかに活動したパリやモンテカルロ、ニューヨーク、そしてロサンジェルスといった表舞台を遠ざかり、ひっそりとベルリンの街の一角に眠る(眠っている)とは、人と世俗の緊密さにおいて、感慨深い。
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 今、ここに『Pola Woman』がある。もしこの写真集を1994年当時眺めることができていたならば、もしかすると私は、その未…