『洋酒天国』とアメリカ現代文学

『洋酒天国』第19号
 当ブログ2011年7月付「開高健と『洋酒天国』」で『洋酒天国』を紹介して以来、4年が経過しているもののまだまだこの本の何たるか、その真髄を紹介し切れていないような気がして、やきもきとしている。
 当初はまとめて25冊ほど蒐集された“ヨーテン・ライブラリー”も、焼き鳥屋のつけ樽ヴィンテージの如し、のんびり気儘に継ぎ足し継ぎ足しして、蒐集冊数を増やしてきたが、全61号を踏破するにはまだまだ、今後も気の遠くなるような悪戦苦闘を経験しなければならないのではないかと感じている。古い本を集めるのがいかに難しい所行か。美味い酒を見つけるが如く、である。

 今回紹介する『洋酒天国』(洋酒天国社)第19号は昭和32年11月発行。この号は4年前の25冊の中に含まれていなかった。継ぎ足しコレクションのアイテムの一冊。ちなみに表紙はマサト西村さんのパントマイムなのだが、この表紙を見て最初、私は何のことだかよく分からなかった。

 一見すると男女が踊っているフォト…にしか見えないのだが、よく見ればマサト西村さん一人の演技なのである。女性側の右腕の、男性の肩への絡み、脚のくねり具合、上半身と首の傾き加減など、もうまったく絶妙な体勢であり、見事に男女のしがみついた雰囲気を醸し出している。一発芸の本流とはこういうものを指すのではないか。

煌びやかなネオンの広告社屋
 さて第19号は、ややいつものお色気ムードをトーンダウンさせて、個人的には“アメリカ”を意識した構成に感じられた。

 「タイムス・スクェア」。
 当時の宣弘社社長・小林利雄氏のルポルタージュに興味が湧く。“ペプシ・コーラ”の王冠が輝くネオンサイン。“BOND CLOTHES”のネオンの上を流れるニュース・フラッシュの電光板など弩級の広告建築物。まさにこれがタイムズ・スクエアなのだが、私はこの頃のタイムズ・スクエアを、ある映画で観た記憶がある。チャールズ・チャップリンが1957年にイギリスで公開した映画『A King in New York』(邦題は「ニューヨークの王様」)だ。

 小林氏がこの世界最大の繁華街の何たるかについて、“ペプシ・コーラ”の電光広告の電力量「100万kw」という言葉にすべて言い尽くしていると思う。そしてそれはチャップリンにとっての、巨人になりすぎたアメリカあるいは文明に対する鋭い風刺映画という形で喜劇化して見せている点では、同じ意味である。しかし憧れのアメリカ、ニューヨーク、ブロードウェイという表面的な人々の感動は、必ずしも安っぽい美への驚嘆ではないだろう。

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シャーウッド・アンダースン短篇「飲む」
 第19号には2つの短篇小説が収録されている。ロアルド・ダールの「味」とシャーウッド・アンダースンの「飲む」。そのうち私は一方の「飲む」を読んだ。

 この「飲む」についての解説で、開高健氏の文章かどうか判断できないが含意のある名文なので、ここに引用しておく。

《――彼の本領は内心の力を圧縮して簡潔な文体にこめた短篇の方にあるというべきで、フロデイズムに対するいささか安易な信頼感の臭みはあるにもせよ、その特異な作風はアメリカ現代文学の雑然とした会場に一つの小さいが動かない椅子をあたえられてよいでしょう》
(『洋酒天国』第19号「短篇二つ」より引用)

 菅原清次訳の「飲む」は、主人公トム・フォスターという少年の、オハイオの小さな町ワインズバーグでの淡々とした生活記でありながら、これが彼の人格を形成する上の重大な克明記録であり、人間の理と情と愛について考えさせられる深々とした趣の短篇である。アンダースンが設置した、ワインズバーグの町と人の活写も優れている。是非ともアンダースン(アンダーソンあるいはアンダソンと訳される)の短篇集『ワインズバーグ・オハイオ』を読んでみたい。

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