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『洋酒天国』とチラリパチリの話

『洋酒天国』第15号。表紙は山崎隆夫作
 ブルターニュ古諺《パンと酒(ヴァン)なくてなんのおのれが恋かな》で始まる『洋酒天国』(洋酒天国社)第15号は、昭和32年7月発行。酒の瓶をモチーフにした表紙のイラストは、サン・アドの元社長、山崎隆夫氏。
 昭和32年(1957年)の大きな出来事は何だったか調べてみると、ソビエトの人工衛星スプートニク打ち上げがこの年。スプートニクの成功によって米ソ冷戦下の宇宙競争時代が幕開けとなる。国内の出来事としては、岸信介内閣成立、茨城県東海村の日本原子力研究所で初めて原子の火が点った、などが挙げられよう。

 戦後まだ12年しか経っていないそんな慌ただしい時代に敢えて“ヨーテン”に読み耽り、粋な酒を愉しむ都会の紳士達は、どこかお気楽な、世相などどこ吹く風と悠々自適ぶりを発揮したサラリーマンであったか否か。少なくともこの時代の“ヨーテン”を読むかぎり、まだ癒し切れていないであろう戦後の生々しさは微塵も感じられない。ところで、ここにもお気楽な人がいた。

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田口泖三郎著「パリはキスの都」
 田口泖(りゅう)三郎。この人の肩書きは、色彩心理研究所長となっている。第15号のエッセイ「チラリパチリ パリはキスの都」の著者である。
 色彩心理とはなんぞや? についてはさておき、この人が撮影する写真芸こそ、チラリパチリなのである。

 フランスはパリ。車中の田口氏が森に佇む男女をチラリパチリ。ブローニュの森で彼が“永年芸術”と評するキスのしぐさ、そのアベックのキスの最中をとらえた写真。F2.8、1/50秒。暗い車内に後尾窓から森の光が飛び込んで、まるで映写機のスクリーンのような構図。たった1枚しか撮れなかったと嘆く田口氏。

 コンセプトは、芸術の都パリでエロを写真にすること。調子の狂ったピアノを聴きながら、モンマルトルの丘の小料理屋でぶどう酒と貝料理を召し上がる。続いてピガールの街でストリップを観、そこでもチラリパチリ。F1.4、1/4秒。スロー・シャッターの限界、決定的時間は秘技を要するのだという。
 田口氏の写真は確かに限界っぽく、ストロボ無しの室内照明のみのぼんやりした写真ではある。何を模した芝居か分からぬが、さすが芸術の都パリ、ストリップもどこか気品があってフランス的情趣がある。この店でシャンソン歌手の石井好子さんが歌っていたとも田口氏は書いている。日本のストリップ小屋とは大違い、インテリジェンスに富んだ一幕。それにしても――。

 とどのつまり、この人は単なるエロじじいかと思わざるをえないエッセイなのだけれど、そうではない。
 田口泖三郎氏は明治36年生まれ、昭和初期に音響と色彩工学を研究した第一人者であり、その世界ではいわゆる権威の人である。権威だからなんだ、と反感を買われるかも知れないが、この人の“真面目な”文章を探し出して読もうと私は思った。が叶わず、大方こんな研究なのではないかというのを、寺田寅彦の「耳と目」(『現代日本文学全集』筑摩書房)という文章から、映画のトーキーにおける音と光の話を散読することはできた。

 田口氏と研究対象としてかかわりのあった寺田寅彦の文章を読む。そこから田口氏の研究の大枠をとらえてみる。
 それは私の専門学校時代の音響芸術の講義に近い内容で、大凡《トーキー製作の監督者は、要するに人間の目と耳とを品玉とする魔術師である》という主旨から、色彩よりも音の音程や音色は実にヴァイタルな重要性をもっているとし、人間心理を突いたいくつかの音響効果の実例を挙げていたりする。私にとっては興味深い内容なのだけれども、この主旨は“ヨーテン”に著しく反するのでこれ以上の言及は割愛する。

モデルは女優・白木マリさん
 第15号には、田口氏が好きそうな写真ページもある。かつて錚錚たる日本の女優達をスチールに残してきた名写真家・早田雄二氏の「グラマー・フォト」。これはエロじじい、いやチラリパチリ、のたぐいではない。

《此の女性、旧姓を松島恭子(芸名)現在は白木マリ。日活へ入社するかも知れぬ由。一諸(※一緒の校正ミス)に飲むと、双方ウィスキーを注文するが、彼女は水で、僕はソーダで割る。そんな僅かの相違だから意見はよく合う。長い黒髪は今回流行する以前からそうであったし、脚は格別上等である》
(『洋酒天国』第15号「グラマー・フォト」より引用)

 随分若い頃の白木さんの上半身ヌードであり、実際日活に入社して大女優となったことは触れておかなければならない。まさにパリの芸術に匹敵する黒髪の妖艶さである。
 何と言うべきか、早田氏の写真から滲み出ているのは、女優そのものを物理及び人間心理の研究対象とし、瞬時にその物体を解析し、どう写せば美しく見えるかの、瞬間芸術の結晶体だ。ここでは光と色彩が主役である。女優とは、光と色彩の魔術が生み出した、神か悪魔か…と言えなくもない。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

石内都―Infinity∞

私がトノ・スタノの作品が観たく、『暗がりのあかり チェコ写真の現在展』が催された東京・銀座の資生堂ギャラリーへ訪れたのは、もう6年も前のこと。それは2010年8月であった(当ブログ「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」参照)。それから今年の夏、『Frida is 石内都展』 を観ようと、同じく資生堂ギャラリーを訪れたのだけれど、ギャラリーの手前まで来て急に、“突発”の用事に襲われ、泣く泣く引き返して地下鉄の銀座駅へ落ちていったのである。つまり、私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかった――。
 石内都という写真家の特徴的な作品を、過去、しばし眺める度に、ある2つの作品を必ず思い出す。  一つは映画である。1966年に公開された勅使河原宏監督の『他人の顔』(原作・脚本は安部公房)。そしてもう一つは、文芸雑誌『群像』の2008年3月号に初めて掲載された、大庭みな子著の短篇小説『痣』。これらには共通項があって、それは《喪失》であったり、《傷》といったモチーフで括ることができるだろう。  『他人の顔』は、顔に大きな《傷》を負った男が、別の男の顔の仮面を秘密裡に拵えさせ、他人になりすまし、自分の妻を誘惑するというストーリー。自分が自分という存在を《喪失》し、仮面をかぶってまったく別の人となった時、《喪失》した自分は、その劣等感の反動であらゆる欲望を満たそうと際限なく暴走してしまう悲劇。  『痣』は、原爆が投下された直後の広島の町にて、無残な顔になった友人の恋人に声をかけられず、戦後、友人に再会しても恋人を見かけたことをとうとう告げることができなかった主人公の懺悔。痣とは、ここでは主人公が精神的に負った《傷》と受け取ることができる。
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 私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかったので、彼女の写真集『石内都 Infinity∞ 身体のゆくえ』(求龍堂)を眺めることにした。この写真集は2009年、群馬県立近代美術館にて催された同題の個展をカタログ化したもので、彼女の80年代後半からの作品が数多く収録されている。
 彼女の作品を眺める時、私はどうしてもそこから、《花の匂い》を感じてしまう。それはまったくの気のせいであろうか。  写真集の中で、「1906 to the skin」(1994年)と「A to A」(2006年)の作品について考えてみ…

大阪万博と音響彫刻のこと

久方ぶりに個人的な“大阪万博”熱が再燃するような、そんな興味深い新聞記事に出合い、そのクラウドファンディングの主旨に賛同し、些かの支援の企てをウェブ上で取り計らった。このネット出資が功を奏するかどうかは現時点では分からない――。しかし、“大阪万博”に対する憧憬と抽象音楽への深い関心の交差は、紛れもなく私自身を一瞬にして突き動かした。このプロジェクトが無事に成功してくれることを祈る以外にない。
 私が突き動かされたのは、朝日新聞朝刊5月27日付茨城版の「再び響け 大阪万博の『音』」という記事である。「音響彫刻修復へ ネットで出資者募る」という副題に刮目し、興味を持った。掻い摘まんで記事の内容を説明すると、1970年の大阪万博で出展されていたフランソワ・バシェ(François Baschet)製作の「音響彫刻」を、茨城県取手市の東京藝術大学ファクトリーセンターが修復・公開することを目的とし、その資金200万円をクラウドファンディングで(6月末まで)募っている――というもの。バシェの「音響彫刻」は17作品あって、過去に修復された5台以外の12台がこれに含まれる(一部寄贈された作品があるらしい)。
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 この「音響彫刻」の修復プロジェクトに関しては、バシェ協会のホームページが詳しい。それとは別に、私自身も独自にこの「音響彫刻」について調べてみた。そもそも“大阪万博”でこのようなオブジェがあったのかということに対し、私はこれまで聞いていたような聞いていなかったような、俄に判然としなかったのだけれども、最近、坂本龍一氏のアルバム『async』の中で過去に修復されたバシェの「音響彫刻」が使用されたことを知り、なんとなく朧気な輪郭が見え始めたのだ。そこではっきりと理解するために、当時の“大阪万博”の公式ガイド本(『日本万国博覧会 公式ガイド』)を開いてみた。
 現代音楽の音楽家・武満徹氏がバシェに依頼して作られた「音響彫刻」は、鉄鋼館で出展された。武満氏は鉄鋼館の芸術監督を担っていた。鉄鋼館は、日本鉄鋼連盟主管のパビリオンで、主立った企業を抜粋すると、八幡製鉄、富士製鉄、日本導管、川崎製鉄、神戸製鋼や大阪製鋼、三菱製鋼、日本ステンレス等々で、その他の組合や協会も連なっている。この公式ガイド本によれば、鉄鋼館は、“世界に誇る音響装置”、“古代ローマのコロシアムを思わせる大ホー…

眠る人―ニュートンの『Pola Woman』

ニュートンと言っても、アイザック・ニュートンのことではない。ベルリン出身の写真家ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)のことである。彼は1950年代後半以降、ファッション雑誌『ヴォーグ』(Vogue)などでセンセーショナルなフォトグラフを発表し続け活躍した。世界の著名なフォトグラファーの一人でもあり、私は彼の作品が好きである。当ブログ「フェティシズムの流儀―『奇妙な本棚』」で伴田良輔氏のエッセイ「残酷な媚薬」の中で論述されていた、彼のポラロイド写真集『Pola Woman』について、ここで紹介することにしたい。
「フェティシズムの流儀―『奇妙な本棚』」の稿で私は、《ニュートンは2004年に不慮の交通事故で亡くなってしまった》と書いた。Wikipediaによれば、場所はハリウッドのシャトー・マーモント。遺灰はベルリンに埋葬とある。シャトー・マーモントと言えば、昨年大ヒットしたアメリカ映画『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル監督)でもロケ地となり、セレブ御用達の華やかなホテルという印象が強い。そこはいかにも、ニュートンの趣味にしっくりくる居心地の良さそうな場所であり、彼にとっては最も生活臭の濃厚な居場所であったけれども、遺灰はベルリンに、という部分に、思わず一瞬、そうなのかとも思ってしまう。ニュートンが最も華やかに活動したパリやモンテカルロ、ニューヨーク、そしてロサンジェルスといった表舞台を遠ざかり、ひっそりとベルリンの街の一角に眠る(眠っている)とは、人と世俗の緊密さにおいて、感慨深い。
 ところで、“リブロポート”という出版社の名前は、私の脳内に強く刻み込まれている。この『Pola Woman』も“リブロポート”出版で1994年刊である。ヘルムート・ニュートンという奇才の写真家の写真集が見たかったらリブロポートは外せない。  90年代前半、まだ私は20代そこそこで、こうした“上品な”写真集を入手するだけの知慮も私費もなかった(渋谷PARCOの“LOGOS”に憧れた)。あくまで噂の範疇でニュートンの写真を空想し、夢想し、専ら、その絵面を思い浮かべては、エレガントなモデル達の優雅なニヒリズムを愉しむ以外になかったのだ。
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 今、ここに『Pola Woman』がある。もしこの写真集を1994年当時眺めることができていたならば、もしかすると私は、その未…