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『洋酒天国』とパリの饒舌

『洋酒天国』第25号
 前回の第26号で高円寺のトリスバーについて触れたが、同様にして今号には、“トリスバー 港”のゴム印が押されてある。豊島区池袋の2-1、144番地と所在地も明確で、あの時代のトリスバーの痕跡記録としてここに明示しておく。

 E・H・エリックさんが表紙の『洋酒天国』(洋酒天国社)第25号は昭和33年5月発行。懐かしいコメディアンとしての印象が強いエリックさんだが、子供の頃、よくテレビで見かけた“イー・エイチ・エリック”さんについて、“イー・エイチ”とはどんな名前の頭文字? と親に訊いても答えてくれず、岡田眞澄さんのお兄さんよ、としか教えてくれなかったりして、大人をからかったことになってしまい、やはり“ヘンな外人”という触れ込みを真に受けてしまったこともある。
 ともあれ、フランス生まれの日本人であるエリックさんは、今号の重要なキーパーソンでもある(日劇ミュージックホール出身ということも)。

飄々とした吉田健一氏
 「酔って件の如し③」は写真家・田沼武能氏の撮影による、作家・吉田健一氏のスナップ。モノクロームに印画されたその紳士の姿はどこか飄々としていてとらえどころがない。彼の「戯れに」という文章を読んでも焦点が暈けて判然としないが故に、この人らしいということである。
 私自身、彼の作品を読んだことがあるか否か。英文学の訳本を何かしら読んだ可能性はあるかも知れないが、以前、平塚らいてうと森田草平のことを調べていて彼の評論文に出くわしたのを思い出した(当ブログ「『煤煙』と平塚らいてうのこと〈二〉」参照)。言わずもがな、酒に酔っていない彼の評論は明晰だ。

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瀬木慎一著「パリの饒舌と酒」
 美術評論家の瀬木慎一著「パリの饒舌と酒」。標題を砕けば、これは“パリ人の1日の生活”ということになる。パリ人はのんびりとながらも昼間はよく働き、夜は映画や芝居やショウを愉しむ。もちろん1日の生活で酒は絶対と言っていいくらいに欠かせない。

 地下鉄に乗ると節酒のポスターが方々に掲げられていた、という瀬木氏の話が面白い。
 「一日一リットル以上のむな」の文句。日本であればこれはジョークのたぐいかと思われがちだがどうやら大真面目らしい。彼らは一日平均2リットル飲むのだとか。おそらく日本人なら酒をガバガバ飲む姿をイメージするのだろうがそうではなく、食前食中食後を通じて一定の量をちびりちびりと飲むという。だから昼間からとろっとしている。その1日の生活のとろり感が、饒舌な良きパリ人の気質を示しているのかも知れない。

 ここに掲載した写真からは漏れてしまっているが、瀬木氏の旅の写真は数ページにわたっていて、その中にプレジダンウイルスン通りの活写もあった。この通りの写真を見て、私はなんとなく思いだした。ルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』(1958年)だ。

 まさにこの第25号が発行された昭和33年に、日本でも公開された『死刑台のエレベーター』は当時のパリの街が活写され、おそらく先の通りも映し込まれているのではないかと思われる。私は学生時代にこの映画に惚れ、マイルス・デイヴィスの音楽もサントラを買ってよく聴いた。

小川久美さんのヌードフォト
 あまりにもドラマチックなサスペンスであるがために、日本でも近年リメイクされたけれども、結局のところこの映画というか原作は、パリが舞台でなければ成立しない。
 特に映画は映り込んだものがすべてである。ここでの情事と殺人との背景には、当時のパリ人の、その饒舌な感情の裏側に隠れたフランス人的退廃というのがあって、なおかつパリ人の酒のとろり感がそれを飽和させる。したがってスポーツカー、拳銃、モーテル、写真などといったアイテムや場所にこそ映画の主題が濃厚に秘められているから、それらを別のものにコンバートして主題を語ることはできない。あくまでパリ人とパリの街が面白いのである。

 さて最後に、『洋酒天国』恒例とも言うべき巨大ピンナップが今号にも挿してあったので、これを省いて紹介しないわけにはいかぬ。モデルは日劇ミュージックホール出身の小川久美さん。

 この手のピンナップは当時酒に酔った殿方の視線目的で企画されていることは言うまでもない。が、思うに、女性の裸体の美しさは女性が見ても美しいに違いなく、『洋酒天国』がもしそうした酒を嗜む女性側の視線を含めてのPR誌であったならば、かなり違った企画(センス)で埋め尽くされたであろう。その後の酒の文化は大きく変わっていたかも知れない。
 池袋のトリスバー港ではこのピンナップが、いかに饒舌に語られ、紳士を虜にしたか、私は時代を遡って垣間見てみたい。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

グーグス・ダーダ―知られざる円弧の演劇

初夏を感じる気持ちの良い晴天であった昨日の午後。東京・王子の花まる学習会王子小劇場にて、升味加耀主宰・脚本・演出による「果てとチーク」第2回公演 『グーグス・ダーダ なになにもなになにもない NO nothing nothing nothing』を観た。出演は江花渉(真空劇団)、川村瑞樹(劇団木霊)、高原久美子(劇団くるめるシアター)、福澤香織、升味加耀、秋谷悠太、伊佐敷尚子、島田利行、金澤卓哉、堀紗織。
 どうでもいいことだけれど、私はこの王子小劇場の“穴倉”感が好きである。ビルの雑踏の一角の、誰にも発見されないような一箇所に、まさしくぽっかりと、小さな穴が空いている。――私が子供だった頃、田舎町の商店街の一角に、地下に潜るかのような階段を降りて入口のある、地元では有名なオモチャ屋さんがあった。私はそのお店の、いくつかに分かれて陳列されていた、ガラスケースの中の“超合金ロボット”に眼を奪われたまま、立ち去ることができなかった。〈超合金ロボットが欲しい〉という強い欲望の夢心地。まるでそれは宝石のように輝いていた《モノ》と他愛ない《時間》との瞑想だったわけだが、まず“穴倉”に入るという行為が、もしかすると、そうした夢心地を誘発させる大きな理由だったのではないかと今、ふと思った。王子小劇場の地下階段もまた、子供心をより戻す、一つの装置に違いなかった。
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 『グーグス・ダーダ なになにもなになにもない NO nothing nothing nothing』。何が無いというのか、考えてみるとこのタイトルもなかなか面白い。ちなみに“グーグス・ダーダ”とは、ドイツ語の“Gugus dada!”。赤ん坊をあやす時の、“いないいない、ばあ!”だそうである。これまたちなみに(どうでもいいことだけれど…)、私が赤ん坊だった頃、親がこれをいくらやっても、私はムスッとしてなかなか笑わなかった、らしい。ふん、それがどうした、へん!ってな感じで――。
 物語(あるいは世界観のようなもの)を大雑把にゆるく説明すると、こういうことになる。ここは広大な砂漠。そこには、国と国を分け隔てる「壁」があり、その「壁」と「壁」との間にある砂漠が、“私たちの国”。果たしてこの「壁」は、いったいいつできたというのだろう。仮国境の外にある“向こう側”、“あっち側”との軋轢によってテロ事件が巻き起こり、「わた…

演劇『金閣寺』追想

横浜・伊勢佐木町の繁華街に、イセザキモールというのがある。僅かながら伊勢佐木町の沿革について調べてみた。
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 蛇足ながら私の伊勢佐木町のイメージは、黒澤明監督の映画『天国と地獄』に登場する夜の伊勢佐木町の街の賑わい、まさに外国人らがわんさかと戯れ酒に酔う姿が主調となり、いま私が真昼に降り立ったこの街の印象と照らし合わせても、何ら遜色ない。  イセザキモールのちょうど入口に建つ古いビルは、関東大震災の復興の一環として昭和初期に建てられ、地域の発展の一躍を担った歴史的な商業ビルである。イセビルという。かつてこのイセビルは横浜の大空襲にも耐え、終戦後は米軍の接収という憂き目にも耐えてきた。そのビルの地下は食堂やカフェーとして利用され、戦後はパブとして賑わったらしい。この地下の壁面には、当時のエジプト風の壁画が今も残っている。ごく最近、この小規模な地下空間が文化の発信地として新しく生まれ変わったというのだ。  それが、クリエイティブスペースTHE CAVEである。私はここにやってきた。ある演劇を観るために。――ビルの階段を降りる。そこは古い歴史を背負った剥き出しの壁と柱。昭和のパブの色褪せた空間。壁には、例の壁画が暗がりの中でぼんやりと浮かんで見える。  この言わば激動の昭和の辛酸を嘗めたイセビルの、その痕跡をとどめる地下空間にて1月9日、私は、若者達による“剥き出し”の演劇『金閣寺』を観たのだった。
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 これは、と思う演劇に出合うと、その豊潤な余韻が長く尾を引く――。まったく良き酒の酩酊に似ている。  私が観た演劇『金閣寺』は、慶應義塾SFCの高橋拓也主宰公演。演出は早川雅仁(以下、敬称略)。1950年(昭和25年)夏…