キュレーションの時代とディジー・ミズ・リジー

ディジー・ミズ・リジー日本公演告知のフライヤー
 昭和56年4月23日、プロレスラー・初代タイガーマスクのデビュー戦(対ダイナマイト・キッド戦、場所は東京・蔵前国技館)でタイガーマスクがあるロックバンドの生演奏に合わせてリングに入場した、という衝撃的なシーンを私は忘れない。
 小学生だった私は(翌日放送の?)テレビでそれを観たのだった。当時プロレスの試合で観たことがなかった光景――ロックバンドの生演奏でレスラーが入場する――は、衝撃的なイメージとして脳裏に刻まれた。いったいあのロックバンドは何者なのか。何故彼らは蔵前国技館でレスラーの入場シーンを演出しなければならなかったのか。そういう謎めいた疑問もロックバンドの幻想を膨らませる要因となった。

 いつの頃だったか、あの赤い服姿のロックバンドは、“ブレイン・ウォッシュ・バンド”だと分かった。その後何度かデビュー戦の映像を観る機会があったが、奇妙なことに彼らの演奏はまったく別の曲に差し替えられていて、聴くことができなくなっていた(今ではマニアックなプロレス入場テーマ全集CDで“ブレイン・ウォッシュ・バンド”のあの時の演奏を聴くことができるらしい)。

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 佐々木俊尚著『キュレーションの時代』(ちくま新書)を読んでいて、ふとそんな幻のロックバンドのことを思い浮かべたのだった。現在のインターネットを中核とした情報発信の革新性をどうとらえるべきか知りたくて、私はこの本を買い、読み始めたのだ。

 情報の共有とつながりについての革命、すなわち旧来型のマスメディアの時代が終焉、といった趣旨の内容を理解しつつも、私があの時幻のロックバンドと思い込んだ“ブレイン・ウォッシュ・バンド”のような瑣事は、今の情報発信の時代の、底辺に沈殿した大きな起爆剤となっているのではないかという思いがぬぐい去れない。

 旧来型の一方通行的なメディア戦略では絶対に私が知ることのできなかったバンドの情報を、今やその情報を共有するビオトープにネットワークを通じて赴くことによって、簡単に情報を掴み取ることができる時代。そして反対の立場で情報を開示し発信し拡散させ、アウトサイドのものとインサイドのものとの価値を引き寄せていくキュレーターの存在がそこにあれば、これらの情報共有の世界はより複雑に、広く、深く、浸透していくものだということであろうか。いずれにしてもこの本が出版された2011年以降、さらにこの革新は進歩し続けているが、むしろ我々はこうした革新性を客観視することのないままどっぷりと浸かり、日常的にキュレーションを体現してしまっているのである。

 『キュレーションの時代』を読んでいて、ミュージシャンのエグベルト・ジスモンチが日本公演を行う際の、日本人プロモーターがどのような宣伝戦略をおこなったかについての、詳しい好例が興味深かった。

 そして今、私はこれと似たようなことを、体験しつつある――。
 とある楽器量販店から注文した楽器が宅配便で送り届けられたその段ボール箱には、楽器と購入伝票以外に、1枚のフライヤーが添えられていた。

 ディジー・ミズ・リジー。彼らの日本公演のツアーが2016年5月におこなわれるという告知。ツアーの日程と主催会場側のURLが記してある程度の、第一次情報的簡素なフライヤー。日程も随分と先の話である。このフライヤーが楽器と共に封入されていた点を考えると、マーケティング戦略としては楽器を所有するミュージシャンに絞ったということであり、これがある種の特定のビオトープに投げられた情報発信であることが想像できる。

 私はすっかり陥りつつある。たった1枚のフライヤーで。デンマークのトリオ、ディジー・ミズ・リジーに興味をそそられる。私がここで情報を発信すれば、これを受け取った複数のビジターがさらに新たな発見と価値を見いだし、それを発信していく。こうして延々とディジー・ミズ・リジー幻想の波動が広がっていくかも知れない。しかもこの膨れ上がる幻想性はかつてよりももっと広大なものなのである。

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