スキップしてメイン コンテンツに移動

『洋酒天国』とパリのシャンパン工場

『洋酒天国』第32号
 ウイントン・マルサリスの「We Three Kings Of Orient Are」を耳にして、歳暮の気分を味わう。
 クリスマス・シーズンもクリスマス・ソングもすっかりあちこちの市井に定着、商業化してしまっているから、もっと純粋な、心と心に染み渡るような相互の感謝の念を祝する風情に、やや気恥ずかしさを伴うこともあってか、例年はシーズンの“素通り”を決め込むのだけれど、今度の暮れはそうした風情にやや浸っていたい気分に駆られている。

 『洋酒天国』(洋酒天国社)第32号の表紙が、“ヨーテン”にしては珍しく地味なのだ。
 第32号は昭和33年12月発行。アメフトの練習風景をとらえた表紙は、まるでその日が雨天だったかの如く薄暗く、全体が暈けている。まだ陽の当たらない朝方の練習風景とも想像できる。
 何故アメフトなのかと言えば、おそらく毎年12月に開催される甲子園ボウルに刮目したのだろう。調べてみた。ちなみにこの年、昭和33年12月の甲子園ボウルで優勝したのは日本大学で、前年から翌年へと3連覇を記録している。今年70回を迎えた甲子園ボウルの優勝は、立命館大学。そんなことも知らずに私は12月を“素通り”しようとしていた。
 単に地味というより、男たちのひたむきな汗の熱っぽさがじわっと伝わってくる表紙なのだが、写っている選手たちは、おそらく慶應のアメフト部ではないかと思われる。

*

今月のカクテル「ホット・ウイスキー」
 さて第32号の中身は違う熱っぽさを充満させている。今月のカクテル「ホット・ウイスキー」は、意外と知れて飲んだためしがない。グラスに浮いたレモンのスライスがおしゃれだ。
 レシピは簡単で、トリス・ウイスキーに砂糖を加え、熱湯を注ぐだけ。ここでのコラムでは、ホット・ウイスキーには様々な効用があると書かれている。第一に冷え性に効く。第二に酒癖の悪い人を撃退。第三に夫婦和合に役立つとか。飲むと身体が温まり、いい具合にコーフンする、らしい――。媚薬より健康的で安上がりなホット・ウイスキーは確かに美味そうである。

 第32号巻頭のコラムは「カフェーで飲む酒」。
 坂口謹一郎氏の名著『日本の酒』や『世界の酒』は枕元に置いておきたい酒のバイブルで、私自身、例えば歳暮の貰い物の酒の含蓄をちょっとかじるのに役立っている。酒の本というのは“醗酵”に関する科学本でもあって、なかなか奥が深い。そんな名著で知られる、東大農学部で醗酵学、応用微生物学を専門にしていた坂口氏のエッセイ「カフェーで飲む酒」は、気楽なパリ周遊記となっている。

 タイトル通り、カフェーがテーマ。しばしパリの街の市民の観察をした後、パリのカフェーは居心地良いと彼は言う。他の国のカフェーはどうも落ち着かないが、パリのカフェーだけはお気に入りのようだ。

 日本でも戦前、カフェーというものが多いに流行ったけれど、戦争のために一時そういう文化が廃れ、やがて戦後復興の自由主義が都市部から地方へと広まって、戦後の新たな生活習慣が落ち着きし始めた昭和30年代に、カフェーの文化が再び脚光を浴びたというのは、日本でもパリでも同根なのだろう。民衆の小さな文化圏がぽつぽつと、カフェーでの集いから生まれてくるのを想像してしまう。茶を飲み、語らい、楽しいひとときを過ごすという自由こそが、日々の精神生活に幸せとゆとりをもたらすのである。酒はここで名脇役となる。

*

鳥井道夫氏の写真「パリのシャンパン工場」
 「パリのシャンパン工場」の写真が頗るいい。
 写真でありながら照度がかなり抑えられた漆黒の空間に、明瞭なコバルトブルーの服を着た婦人の笑み。そのコントラストの妙は絵画調、油彩画的である。
 この写真を撮ったとされる鳥井道夫氏は当時壽屋の常務取締役(壽屋創業者・鳥井信治郎の三男。のちに名誉会長を務める)。まだ30代だった鳥井氏がパリのシャンパン工場を見学するという一幕に、彼の若々しく外連味ない好奇心旺盛の気分を感じる。洗瓶の、カチカチカチと瓶と瓶とがぶつかる高い音に混じって、婦人らの、おそらく猛烈な勢いで喋りまくるであろうその肉体の闊達さを、この写真の前後の展開に私は見た(としたい)。鳥井氏が無事であったか否か。

 『洋酒天国』を読んで年末年始は、シャンパンかシェリー酒で愉しむとするか。一つ、お気楽事が増えた。

コメント

過去30日間の人気の投稿

YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

石内都―Infinity∞

私がトノ・スタノの作品が観たく、『暗がりのあかり チェコ写真の現在展』が催された東京・銀座の資生堂ギャラリーへ訪れたのは、もう6年も前のこと。それは2010年8月であった(当ブログ「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」参照)。それから今年の夏、『Frida is 石内都展』 を観ようと、同じく資生堂ギャラリーを訪れたのだけれど、ギャラリーの手前まで来て急に、“突発”の用事に襲われ、泣く泣く引き返して地下鉄の銀座駅へ落ちていったのである。つまり、私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかった――。
 石内都という写真家の特徴的な作品を、過去、しばし眺める度に、ある2つの作品を必ず思い出す。  一つは映画である。1966年に公開された勅使河原宏監督の『他人の顔』(原作・脚本は安部公房)。そしてもう一つは、文芸雑誌『群像』の2008年3月号に初めて掲載された、大庭みな子著の短篇小説『痣』。これらには共通項があって、それは《喪失》であったり、《傷》といったモチーフで括ることができるだろう。  『他人の顔』は、顔に大きな《傷》を負った男が、別の男の顔の仮面を秘密裡に拵えさせ、他人になりすまし、自分の妻を誘惑するというストーリー。自分が自分という存在を《喪失》し、仮面をかぶってまったく別の人となった時、《喪失》した自分は、その劣等感の反動であらゆる欲望を満たそうと際限なく暴走してしまう悲劇。  『痣』は、原爆が投下された直後の広島の町にて、無残な顔になった友人の恋人に声をかけられず、戦後、友人に再会しても恋人を見かけたことをとうとう告げることができなかった主人公の懺悔。痣とは、ここでは主人公が精神的に負った《傷》と受け取ることができる。
*
 私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかったので、彼女の写真集『石内都 Infinity∞ 身体のゆくえ』(求龍堂)を眺めることにした。この写真集は2009年、群馬県立近代美術館にて催された同題の個展をカタログ化したもので、彼女の80年代後半からの作品が数多く収録されている。
 彼女の作品を眺める時、私はどうしてもそこから、《花の匂い》を感じてしまう。それはまったくの気のせいであろうか。  写真集の中で、「1906 to the skin」(1994年)と「A to A」(2006年)の作品について考えてみ…

大阪万博と音響彫刻のこと

久方ぶりに個人的な“大阪万博”熱が再燃するような、そんな興味深い新聞記事に出合い、そのクラウドファンディングの主旨に賛同し、些かの支援の企てをウェブ上で取り計らった。このネット出資が功を奏するかどうかは現時点では分からない――。しかし、“大阪万博”に対する憧憬と抽象音楽への深い関心の交差は、紛れもなく私自身を一瞬にして突き動かした。このプロジェクトが無事に成功してくれることを祈る以外にない。
 私が突き動かされたのは、朝日新聞朝刊5月27日付茨城版の「再び響け 大阪万博の『音』」という記事である。「音響彫刻修復へ ネットで出資者募る」という副題に刮目し、興味を持った。掻い摘まんで記事の内容を説明すると、1970年の大阪万博で出展されていたフランソワ・バシェ(François Baschet)製作の「音響彫刻」を、茨城県取手市の東京藝術大学ファクトリーセンターが修復・公開することを目的とし、その資金200万円をクラウドファンディングで(6月末まで)募っている――というもの。バシェの「音響彫刻」は17作品あって、過去に修復された5台以外の12台がこれに含まれる(一部寄贈された作品があるらしい)。
§
 この「音響彫刻」の修復プロジェクトに関しては、バシェ協会のホームページが詳しい。それとは別に、私自身も独自にこの「音響彫刻」について調べてみた。そもそも“大阪万博”でこのようなオブジェがあったのかということに対し、私はこれまで聞いていたような聞いていなかったような、俄に判然としなかったのだけれども、最近、坂本龍一氏のアルバム『async』の中で過去に修復されたバシェの「音響彫刻」が使用されたことを知り、なんとなく朧気な輪郭が見え始めたのだ。そこではっきりと理解するために、当時の“大阪万博”の公式ガイド本(『日本万国博覧会 公式ガイド』)を開いてみた。
 現代音楽の音楽家・武満徹氏がバシェに依頼して作られた「音響彫刻」は、鉄鋼館で出展された。武満氏は鉄鋼館の芸術監督を担っていた。鉄鋼館は、日本鉄鋼連盟主管のパビリオンで、主立った企業を抜粋すると、八幡製鉄、富士製鉄、日本導管、川崎製鉄、神戸製鋼や大阪製鋼、三菱製鋼、日本ステンレス等々で、その他の組合や協会も連なっている。この公式ガイド本によれば、鉄鋼館は、“世界に誇る音響装置”、“古代ローマのコロシアムを思わせる大ホー…

眠る人―ニュートンの『Pola Woman』

ニュートンと言っても、アイザック・ニュートンのことではない。ベルリン出身の写真家ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)のことである。彼は1950年代後半以降、ファッション雑誌『ヴォーグ』(Vogue)などでセンセーショナルなフォトグラフを発表し続け活躍した。世界の著名なフォトグラファーの一人でもあり、私は彼の作品が好きである。当ブログ「フェティシズムの流儀―『奇妙な本棚』」で伴田良輔氏のエッセイ「残酷な媚薬」の中で論述されていた、彼のポラロイド写真集『Pola Woman』について、ここで紹介することにしたい。
「フェティシズムの流儀―『奇妙な本棚』」の稿で私は、《ニュートンは2004年に不慮の交通事故で亡くなってしまった》と書いた。Wikipediaによれば、場所はハリウッドのシャトー・マーモント。遺灰はベルリンに埋葬とある。シャトー・マーモントと言えば、昨年大ヒットしたアメリカ映画『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル監督)でもロケ地となり、セレブ御用達の華やかなホテルという印象が強い。そこはいかにも、ニュートンの趣味にしっくりくる居心地の良さそうな場所であり、彼にとっては最も生活臭の濃厚な居場所であったけれども、遺灰はベルリンに、という部分に、思わず一瞬、そうなのかとも思ってしまう。ニュートンが最も華やかに活動したパリやモンテカルロ、ニューヨーク、そしてロサンジェルスといった表舞台を遠ざかり、ひっそりとベルリンの街の一角に眠る(眠っている)とは、人と世俗の緊密さにおいて、感慨深い。
 ところで、“リブロポート”という出版社の名前は、私の脳内に強く刻み込まれている。この『Pola Woman』も“リブロポート”出版で1994年刊である。ヘルムート・ニュートンという奇才の写真家の写真集が見たかったらリブロポートは外せない。  90年代前半、まだ私は20代そこそこで、こうした“上品な”写真集を入手するだけの知慮も私費もなかった(渋谷PARCOの“LOGOS”に憧れた)。あくまで噂の範疇でニュートンの写真を空想し、夢想し、専ら、その絵面を思い浮かべては、エレガントなモデル達の優雅なニヒリズムを愉しむ以外になかったのだ。
§
 今、ここに『Pola Woman』がある。もしこの写真集を1994年当時眺めることができていたならば、もしかすると私は、その未…