司法試験とゴウカクリカタと漱石

2015年12月28日付朝日新聞朝刊より、趙友相さん
 昨年の12月。新聞を読んでいてたまたま目に付いた青年の服装が、実に清廉さを帯びていて美麗だと思った。カジュアルなのかフォーマルなのか。ちょうどそんなようなカジュアルの黒色のテーラードジャケットを探していたので、こういう型のジャケットもいいのではないかと、その青年の写真を一つの参考とすることにした。

 記事を切り抜いて眺めているうちに、司法試験というものにも少し興味を覚えた。司法試験はおろか、これまで学生時代に受けてきた試験の数々は、私にはとてもしんどい、いい思い出がまったくない。私は「出来損ない」なのである。
 しかしながら何故か、司法試験という未開の領域に興味を覚えてしまって、今年になって漱石の『彼岸過迄』を読み始めたのも、その新聞記事がきっかけであった。
 漱石についてはあとで書く。まず何より、その記事を紹介しておきたい。12月28日付朝日新聞朝刊の“ひと”というコラム「日刊両国の司法試験に合格した趙友相さん」。美麗な服装が目に付いたついでに、私はその記事を読んでみた。

 まとめるとこうなる。趙友相(ジョ ウサン)さんはソウル出身で、父は日韓の貿易業を営んでいた。父親のように、日韓を行き来する仕事がしたい。そうして彼は、慶應大の法学部を経て東大法科大学院を卒業。一発で司法試験に合格。さらに韓国の法律も学び、4度目の挑戦で韓国の司法試験にも合格。大まかな経歴になるが、趙友相さんは韓国で兵役に就いてから除隊後に、日韓の司法修習を受けるのだという。
 司法の道はなかなか険しそうだ。が、これを読んで俄然、司法試験とはどんな仕組みなのか、私は調べてみたくなった。

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『工藤北斗の司法試験予備試験最速の合格り方』
 ちょうどそんな時にめぼしい本が見つかった。『工藤北斗の司法試験予備試験最速の合格り方』(慶應義塾大学出版会)。本の帯には、「カリスマ司法試験講師が語るその勉強法!」とある。
  工藤北斗さんは1984年生まれである。書かれている文章もなんとなく若々しい。ついつい私は、〈ちょっと司法試験を受けてみようか〉と、ほんの一瞬、妄想に駆られてしまった。それくらい、文章の説明の具合が柔らかくて読みやすい。
 ところで私は最初、本の題を“ゴウカクリカタ”と頭の中で読んでしまったが、“ウカリカタ”が正しい。でも、この本は“ゴウカクリカタ”だ。そういう感じの本なのである。

 司法だとか法曹だとか、その分野の門外漢の私でも、あらましこの本を読んで試験の仕組みや制度について理解できた、と思う。理解できたと同時に、あらためて趙友相さんの頭の凄さが分かった。

 『工藤北斗の司法試験予備試験最速の合格り方』の内容を無理矢理掻い摘まんで要約すると、こんな感じである。
①法曹三者の裁判官、検察官、弁護士になるには、年1回の司法試験を受けて合格しなければならない。そして司法試験に合格した後、1年間の司法修習を修了するか、もしくは企業の法務部で7年以上の実務経験を積まなければならない。
②司法試験を受けるには、受験資格が必要で、予備試験に合格するか、もしくは法科大学院を卒業しなければならない。ただし、予備試験合格後あるいは法科大学院修了後5年以内に司法試験を受験しなければならない。
③予備試験は非常に難しく、短答式、論文式、口述の3つの試験をすべて合格しなければならない。

 そう言えば昔、ボードゲームの人生ゲームで初っぱなに“大学コース”を選ぶか、“職業コース”を進むかのルート選択を迫られるコマがあったが、この本を読んで思うに、法曹三者を目指す学生は、きわめて早い時期に判断なり決断なりをして、計画的な勉学の道筋を立てなければならないということになる。その詳しい道筋を立ててくれるのが、『工藤北斗の司法試験予備試験最速の合格り方』の中身である。
 別にこの本を紹介するつもりでこれを書いているわけではないけれども、司法試験において“最速の”“ゴウカクリカタ”をするには、やはりこの結論に行き着くのか、といった真面目なオチのようなものは、確かに本の後半に示されている。それは工藤北斗さんの核心部分とも言える。
 ともあれ私は、この手の門外漢であって、無論法曹三者になる気もないから、無駄な緊張を伴うことはなかったが、その仕組みや制度が分かっただけで十分得をした気分になった。

 こうした難しい日韓の司法試験を受けて合格した趙友相さんは、やはり凄いというか素晴らしいのである。そんなことは当然分かりきっている、試験の連続で緊張しっぱなしの法曹三者を目指す真面目な学生諸君からすれば、分かりきった事実の連呼で腹が立つかも知れないが、私にとっては目から鱗が落ちた話なのである。

 おっと、忘れそうになった。漱石の『彼岸過迄』。
 この小説の主人公・田川敬太郎は、とても趙友相さんには及ばないが、それでも立派な若い学士だ。周りに暢気な人達がいて楽しいことは楽しいのだけれど、何かやらなくては、という焦りもある。探偵まがいのこともやってみたりする。
 明治の頃に就職活動、いや職探しという言葉が流行らなかったのかどうか、漱石はその手の言葉を小説の中に用いていない。運動をするしないだとか、位置(身分相応の定職のこと?)があるとかないとか、そんなふうな言い回しを用いている。
 ただし、文官試験という言葉は出てくる。注解を見ると、

《旧制度の高等文官試験。高文ともいう。外交官、判・検事、弁護士など文官の高等官になるための資格試験で、たいへんむずかしかった。昭和23年に廃止された》
(夏目漱石著『彼岸過迄』新潮文庫より引用)

 とある。敬太郎は「遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年」であったから、仲間から、おまえは文官試験などを受けてまともな生活はできないだろうと、からかわれるのだが、その難しい文官試験を受けられる立場にある敬太郎は、自分をそんなような人間とは思っていないようなのだ。
 人を裁く、という観点からすれば、漱石は敬太郎やその他の人物の抱える葛藤を、裁ききれない難しい内面の問題として、一つの大きなテーマとしている。敬太郎は“已むを得ず”、探偵まがいなことをしてみせるが、その動き回った方々で、敬太郎が学んできたことからは到底裁けない人間の内面の問題に出くわす。漱石は自らの体験の中から、実相としてのそうした問題を、あちらこちらに分散させ展開し、読み物として面白い作品を書き上げた。『彼岸過迄』はもっと評価されてもいいのではないか。

 何の話であったか――。
 そうであった。黒色のテーラードジャケットを探していたのであった。しかし結局、他で良いのが見つかった。
 趙友相さんは漱石のどれかを読んだであろうか。私はもう、この人の印象がそっくり敬太郎と重なってしまって、同じ人物にしか見えてこない。とてもいい感じである。
 “ゴウカクリカタ”の険しい道程を越えてきた彼に、しばしの安息、漱石の本を一冊でも贈りたいものである。

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