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ミュージカル『成れの果て』を観て

『成れの果て』フライヤー
 去る3月21日、慶應義塾SFC(湘南藤沢キャンパス)のミュージカルサークルEM12代卒業公演『成れの果て』を観た。劇場は東京北区にある小劇場「シアター・バビロンの流れのほとりにて」。
 脚本・演出:高野菜々子(劇団ゆらじしゃく)、キャスト:吉岡優希、猿田真一郎、畠山菜々枝、丸山千尋、井川浩輔、大谷岳、鈴木聡子、高橋拓也(敬称略)。その日は楽日で、私はマチネを観たのだった。

 劇が始まってまもなく、“ジョン・レノン”が登場する。“ジョン・レノン君”とでも言いたい。私はこんなことを思い出した。作家サリンジャーが亡くなった6年前、『ライ麦畑でつかまえて』の本を手に取ったことがあるのだが、私はそれを読まなかった。かつて卒業した高校の担任が、当時卒業文集の中で、サリンジャーの『ライ麦』を教えてくれた。サリンジャーの死が卒業文集での担任の贈る言葉を思い出し、私は『ライ麦』を手にしたのだ。だが、それを読まなかった。読めなかった――。このことは後で書くことにする。

 ミュージカル『成れの果て』も例外なく、演劇の約束事として劇は闇から始まった。劇場が作り出す真の闇というのは精神衛生上恐ろしい。私は演劇を観るたびにそう感じている。しかしながら『成れの果て』の始まりの闇は、何かが違った。単なる闇ではなかった。本当は短い時間の闇だったのだろうけど、私には長く感じられた。

 そうだ、闇から光に転じる間に時空が変わってしまったのだ。しまった、やられたと思った。『成れの果て』という別の星に私は連れ去られてしまったのだ。
 闇は本当に恐ろしい。ほとんどの者が、時空が変わったことに気づいていない。そこはもう元の場所ではないのだ。そうであった。ここはバビロンだ。古代都市である。空気が冷たく張り詰めた闇の使者に、五感は静かに揺さぶられていく――。

*

 闇から光へ。照らされたのは教室。高校時代のクラスメイトが男女7人集い、若い二人の結婚式が賑やかに進行する。《柏木信也と柏木英理の結婚式》。それは手づくりの、ささやかな結婚式であり、高校時代の思い出話にも花が咲く。同窓会を兼ねたこの結婚式は、結ばれた二人を祝すとともに、和やかで温かい雰囲気に包まれている。なんと幸福なひとときであろう。

 ところが幸福なひとときは、長く続かない。そこへ一人の女が突如として舞い込む。なんと美しいスレンダーな女だろう。だがケバい。
 ケバい。ケバい。実にけばけばしく破廉恥だ。ともかく女の高慢な態度がそれまでの雰囲気をすべてぶちこわしている。一体彼女は何者なのだろうか。7人は皆、その女の態度に呆気にとられる。どうやら女は、二人の結婚を祝う気などさらさらないようだ。

 それどころか、事態は急展開するのだった。美しくケバい女は、ここに集まった彼らの過去の、衝撃的な秘密を暴露していく。一人ずつゆっくりと、優しく、丁寧に。

 結婚式は修羅場と化す。次々とそれぞれの者の過去の秘密が暴かれていく。不倫をした女。ピアノが弾けなくなった男。金を盗んだ男。その盗まれた金が、ある女の中絶の費用に使われた事実。中絶した女の相手とは…? 引き裂かれていく愛の結晶のむごたらしい仕打ち。果たしてこれらを暴露した女の、幸福な結婚式をぶちこわしたねらいとは? 美しくケバい女の、決して暴かれてはならぬ過去とはいったい…。

*

『成れの果て』フライヤー裏面
 展開の面白さとその細部を追っていけば、とてもここでは字数が足らなくなるから、断腸の思いで割愛するしかないのだけれど、演出の高野さんのこれは、おそらくこれまでの舞台経験で血を流してきた総結集とも言うべき、シリアスとコメディをふんだんに盛り込んだミュージカル形式の愚直な人間絵巻である。ここでの人間絵巻のドロドロ感そして壮絶さは、心臓を最高潮に奮わせながらもむしろ観ていて爽快なほどであった。キャスト陣のミュージカルとしての揺るがぬ実力もまた魅力的である。

 個々の役者としてみても、性格派俳優揃いでしっかりとした演技陣であった。
 若くて落ち着いたキャラクターを違和感なくこなす猿田真一郎さん。彼の傍で寛容な心と迷いとの葛藤を見事に演じきった畠山菜々枝さん。音楽で喩えれば全体の調性とリズムの役割を果たした井川浩輔さんと鈴木聡子さんの喜怒哀楽。
 さらには、舞台全体の色調にハレーションを起こさせ、孤独なる人間の裏表としたたかさをシュールに演じた大谷岳さん。哀愁漂う歌声と、こすっからい女に瞬く間豹変してしまう丸山千尋さんの卓越した演技力。そうしてあの美しくケバい女を演じた吉岡優希さんは、愛を表現するのが実にうまい。人と人との間にある愛。愛は人を優しく包み込み、時に深く傷つけてしまうものだが、本当の優しさと悪女を演じられるのは、吉岡さんに愛情溢れる心があるからなのだ。

 おっと――忘れるところであった高橋拓也さん。

 彼こそは、場内を大きな笑いに誘った“ジョン・レノン君”。
 思いきって言ってしまおう。彼は慶應義塾SFCのダスティン・ホフマンである。内向性がキャラクターの裾野を広げて、とんでもない人物を作り出してしまえそうな気がする(そう言えばダスティン・ホフマンもブロードウェーで『セールスマンの死』を演ったのだった)。

 いや、ダスティン・ホフマンの話は忘れていい(彼が主演した『卒業』の映画も思い出さなくていい)。

 あれは確か、私が小学2年生だった頃、ジョン・レノン死亡のニュースが流れた。衝撃的なニュースだった。彼を撃ったマーク・チャップマンなる男は、その時『ライ麦』を持っていたのだという。銃で撃たずに『ライ麦』をジョンに渡していたら、彼のその後の人生はまったく違ったものだったはずだ。
 ともかく私の高校の担任が卒業生に言いたかったのは、『ライ麦』をぜひ読んで、内なるモラトリアムな自分に着火せよ、自分なりの大人への道を歩め、ということだった。

 私は今こそ、『ライ麦』の主人公のホールデンと出会うつもりである。ホールデンの“成れの果て”を読まなくてはならない。慶應義塾SFCミュージカルサークルEM12代卒業公演『成れの果て』のキャストとスタッフ、そしてその卒業生の皆さんへ、感謝の意を表すると共に、心から前途を祝したいと思う。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

グーグス・ダーダ―知られざる円弧の演劇

初夏を感じる気持ちの良い晴天であった昨日の午後。東京・王子の花まる学習会王子小劇場にて、升味加耀主宰・脚本・演出による「果てとチーク」第2回公演 『グーグス・ダーダ なになにもなになにもない NO nothing nothing nothing』を観た。出演は江花渉(真空劇団)、川村瑞樹(劇団木霊)、高原久美子(劇団くるめるシアター)、福澤香織、升味加耀、秋谷悠太、伊佐敷尚子、島田利行、金澤卓哉、堀紗織。
 どうでもいいことだけれど、私はこの王子小劇場の“穴倉”感が好きである。ビルの雑踏の一角の、誰にも発見されないような一箇所に、まさしくぽっかりと、小さな穴が空いている。――私が子供だった頃、田舎町の商店街の一角に、地下に潜るかのような階段を降りて入口のある、地元では有名なオモチャ屋さんがあった。私はそのお店の、いくつかに分かれて陳列されていた、ガラスケースの中の“超合金ロボット”に眼を奪われたまま、立ち去ることができなかった。〈超合金ロボットが欲しい〉という強い欲望の夢心地。まるでそれは宝石のように輝いていた《モノ》と他愛ない《時間》との瞑想だったわけだが、まず“穴倉”に入るという行為が、もしかすると、そうした夢心地を誘発させる大きな理由だったのではないかと今、ふと思った。王子小劇場の地下階段もまた、子供心をより戻す、一つの装置に違いなかった。
§
 『グーグス・ダーダ なになにもなになにもない NO nothing nothing nothing』。何が無いというのか、考えてみるとこのタイトルもなかなか面白い。ちなみに“グーグス・ダーダ”とは、ドイツ語の“Gugus dada!”。赤ん坊をあやす時の、“いないいない、ばあ!”だそうである。これまたちなみに(どうでもいいことだけれど…)、私が赤ん坊だった頃、親がこれをいくらやっても、私はムスッとしてなかなか笑わなかった、らしい。ふん、それがどうした、へん!ってな感じで――。
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演劇『金閣寺』追想

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 これは、と思う演劇に出合うと、その豊潤な余韻が長く尾を引く――。まったく良き酒の酩酊に似ている。  私が観た演劇『金閣寺』は、慶應義塾SFCの高橋拓也主宰公演。演出は早川雅仁(以下、敬称略)。1950年(昭和25年)夏…