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サシャ・ヴァルツのS

サシャ・ヴァルツの公演作品DVD『S』
 当ブログ「サシャ・ヴァルツの舞踏的世界へ」の続き。ベルリンの女性アーティスト、サシャ・ヴァルツ(Sasha Waltz)とそのグループにおけるインスタレーション及びダンス公演について。
 今回はサシャ・ヴァルツの三部作と括られるダンス公演『S』(2000年)を紹介したい。これは『Körper』の後の作品ということになる。

 公演の会場は同じく、ドイツ・ベルリンのシャウビューネ。コンクリート壁剥き出しの半円形大ホール。映像で観る限り、この会場が最もサシャ・ヴァルツの様々なイメージを具現化する場として相応しい。――舞台は横たわった全裸の男の(観客、鑑賞者の)“直視”から始まる。

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 貴婦人らしき姿の女性が現れる。女は全裸の男の前でしゃがみ込み、静かに右手で、男の背中を撫で始める。男の身体はそれに反応しているとは思えない。男は寝ているのか、あるいは絶命寸前の象徴なのか。女の右手はさらに臀部へと移動し、男の身体のかたちと皮膚を確かめるようにして触れ、撫で続ける。鑑賞者である我々はまず、そのゆったりとした時間の、生々しい行為の一部始終を眺めることになる。

 果たしてこの光景はいったい、どういうことなのか。
 動かない、動くことがままならない他者の裸の身体が横たわっている時、衝動的に貴婦人の女はその裸体に関心が及んだ行為、ということなのか。しかし鑑賞者は次第に鑑賞者のままではいられなくなる。女の手が触れた「裸体の皮膚」の触覚が、観る側にも次第に伝導してくるかのようであり、観る側自らが記憶する「裸体への皮膚」の触覚が呼び覚まされるのだ。しかも、その先の危険な肉体的企み――異なる性の結合――への導火線を予感させ、思わず息を呑むのだが、貴婦人の女は突然立ち去ってしまう。それによって肉体的企みの“直視”もまた、ここで空中分解する。

 『S』ではこのように、鑑賞者の解釈の方向性を自由に羽ばたかせてくれるが、それだけに留まらず、我々の視線を次々と惑わしていく。

 それは複数の肉体と肉体とが触れ合う光景。まるで雌雄が激しく反応し、広い海の中でそれぞれのエレメントが活発に動き出すかのようなダンス=パフォーマンス。肉体エレメントはくるまったり、伸張するしぐさを繰り返し、《反撥》と《結合》のカオス的舞踏が始まる。

 一体この世界は何か。どこにあるというのか。これは我々の意識の世界か、肉体の内側の創造なのか。しかし、ここまでがいわゆる《快楽》の世界と言える。忽然とある種の外敵――ここでは電子的なもの――が出現し、それぞれの肉体エレメントを苦痛に追い込む。負のダンス。苦しみもがく肉体エレメントはさらに激しく動き回り、のたうち回った挙げ句、死を迎える。それまでの《反撥》と《結合》の世界の舞踏とはまるで違う、死の光景だ。

 死は、滅亡を意味しない。肉体エレメントは断末魔の抵抗を続け、新たな肉体に進化を遂げようとしている。本能的な、その可能性の模索。単なる意志の発露だけでは済ませない、本能的意志の積極的な行動。蘇生を試みる肉体エレメントたち。それぞれの肉体が激しく震える。
 やがて肉体は立ち上がる。蘇生。新たな肉体への進化、絶え間ない生の循環。雌+雄。雄+雄。雌+雌。

 こうした『S』の身体パフォーマンスの一部を取り上げてみたが、サシャ・ヴァルツは何故身体を用い、抽象化された生の原始的世界をアクロバティックに、あるいはエキセントリックな仕掛けを見せながらも、我々鑑賞者に表現しよう(“直視”させよう)としているのか。
 そもそも『S』とは何か。サシャ・ヴァルツは、“sex”や“skin”などといった“S”と聞いて連想するものや事を観客にイメージさせ、その解釈を与える。テーマは何か。彼女はこう語る。私たちを内面的に結びつけ、寄せ集めるもの。原初的な感情。欲望のはざまにあるもの。性の規定、性の解消――。
 人間の「欲求=生」と「死」のはざまには必ず《苦痛》というファクトが伴う。だが、この《苦痛》は《快楽》の境地と紙一重だ。《苦痛》も《快楽》も人間の内面的なものであり、時にそれは外野との連鎖で《反撥》や《結合》が生じる。本来表現しづらい人間の内面的なものを、具体的な空間で多様に表現していく形態。

 『S』はきわめて構造的で形式的で、自然理に基づいている。尤も、鑑賞者の自由な想像と解釈をいったん閉じてしまえば、そこにあるのは無機質なコンクリートと同価の虚無的肉体の羅列に過ぎなくなる。身体パフォーマンスが時折、意味不明に思えるのはこの瞬間だ。しかし、逆に意識を集中させ、自由な想像を束ねていけば、それはまったく違った世界に見えてくる。俯瞰すれば一貫した「美」の光景の追求とも思えるが、サシャ・ヴァルツはそれよりももっと人間の根幹的な欲求の具現化を試みていると言っていいだろう。

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 またもやヒエロニムス・ボスを語る字数を失ってしまった。今でも謎が多い中世の画家、ヒエロニムス・ボスの絵画「快楽の園」は、サシャ・ヴァルツが『S』を構想する際の原動力となった画なのだ。ボスの(皮肉をも織り交ぜた)宗教的快楽性と、この『S』の快楽性は必ずしもベクトルが一致しているわけではないのだが、性の規定、性の解消を繙いている点では共通項を思わせる。
 今年2016年はボスの没後500年にあたり、各地でイベントがあった、あるらしい。サシャ・ヴァルツのパフォーマンスを追う上で欠かせない芸術家としてインプットしておかなければならない。

※サシャ・ヴァルツ『noBody』はこちら

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

武満徹―暗い河の流れに

先月末の当ブログ「大阪万博と音響彫刻のこと」で記した、1970年大阪万博・鉄鋼館におけるフランソワ・バシェの「音響彫刻」に関して、あらためてここでご報告したいことがある。「音響彫刻」復元に向けてのクラウドファンディングの資金総額が先日、なんと目標金額200万円を上回ったとのこと(※現時点で300万円を超えた)。その急報を受け、復元実現への大きな一歩となることに安堵を覚え、何よりも喜びが絶えない。これも多くの方々の趣旨賛同の協力と支援による成果であり、この場を借りて心よりお礼を申し上げたいと思う。今後とも、さらにこのプロジェクトの経過を見守っていただければ幸いである。 §
 さてこうして、当時バシェの「音響彫刻」を依頼した音楽家・武満徹氏の過去の作品や活動について、個人的な興味が近頃熱を帯びてきたため、彼の諸々の作品に出合う機会が多くなってきている。
 彼の映画音楽以外で、音楽CDを初めて聴いたのは、確か12年前のことである。東京都交響楽団・外山雄三指揮の「地平線のドーリア」。私がその時、どのような理由でそれを買い求め、彼の作品をとらえようとしていたのか、今となっては判然としない。が、その前提にあったのは、これはおそらく間違いないことであろうけれども、高校の国語教科書(筑摩書房)にあった彼の随筆「暗い河の流れに」の木訥とした文章の記憶と、そこに掲載されていたアメリカ出身のジャズ歌手ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)の、まるで精彩を欠いたリリーフ画のような古いモノクロ写真の印象とが、あまりにも憂鬱な記憶の陰にあったからだろう。再び私は随筆「暗い河の流れに」を読み、武満徹氏の思想的感覚の在処を考えてみることにした。
 私が高校時代に使用していた筑摩書房の国語教科書は、今でも時折開くことがあるのだけれど、美術家イワサキ・ミツル氏の抽象画の装幀がなんとも不気味で謎めいていて、本を開く前の心が落ち着かなくなる。この一つの抽象画の存在によって、教科書に出てくる様々な作品に対するイメージが、ほとんどすべて、暗がりの木に潜む孤高な梟と化し、その印象は一つ一つ暗い。武満徹の随筆「暗い河の流れ」は最も孤高とも思え、当時私はこれを読むことを避けた。この随筆は教科書の中で「評論」の章題に属しているが、授業のテーマに挙げられることはなかったのである。
 「暗い河の流…

ファミコンの思い出―プロレス

深田洋介編『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を読んでみると、その熱い思い出を語るほとんどの方々が、1970年代生まれであるという事実に、言葉では言い尽くせない共時性の発見があって面白い。
 ファミコンすなわち任天堂の8ビットテレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」の歴史を簡単にたどってみる。  小豆色がイメージカラーの華奢な本体が1983年夏に発売開始され、徐々にヒット商品となり、85年までに650万台以上が販売されたという。ちなみに、1983年はどんな年であったかというと、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』の大ブーム、東京ディズニーランドの開園、そして田原俊彦の「さらば…夏」が第14回日本歌謡大賞のグランプリを受賞した年だ。  ファミコンの全盛期はおそらく86年頃だと思われるが、発売開始から約10年後の1994年に新作ソフトの発売が終了されるまでの期間は、まさに70年代生まれの世代が小学生から成人になるまでの成長期とほぼ合致しており、この団塊ジュニアと言われる世代の、衣食住に浸透しきったファミコン依存度は頗る夥しいと言わざるを得ず、極論すればファミコンは、70年代生まれの世代にだけ付与された電子玩具信仰だったわけである。
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 閑話休題。ファミコンのゲームで私が最も熱狂したのは、任天堂のディスクシステムで1986年に発売された、『プロレス』だった。当時の熱狂的なプロレスファンであればこのゲームにかじりつくのは自明で、これ以前に発売されていた『キン肉マン マッスルタッグマッチ』だとか『タッグチームプロレスリング』でなんとなく消化不良を感じていたプロレスファンは、この『プロレス』の発売で誰しもが溜飲を下げたことだろうと思う。
 このゲームの取扱説明書の表紙を最初に見た時、それがチャンピオンベルトを巻いたアントニオ猪木似のキャラクターであることに、まず大きな感動を覚えた。これはもしかすると、テレビゲーム史上初めてアントニオ猪木似のキャラクターが登場したゲームソフトだったのではないかと思うのだが、確かなことはよく分からない。いずれにしても、キン肉マンや長州力やストロングマシンではない、マット界の真打ちの登場には拍手喝采だった。
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 『プロレス』は、1人プレイモードと2人プレイモードが用意されていて、1人プレイモードは5分1本勝負のランキング制であった。勝ち抜けば…