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藤城清治の影絵―聖フランシスコ

銀座・教文館『藤城清治影絵展』
 この世は《光》と《影》に満ち溢れているのにそれに気がつかない。気にも留めないことがある。何かを照らし浮かび上がらせ、何かを隠し暗闇にするということ。
 幼少の頃、初めて映画館で映画を観た時、後方から延びた煌びやかで細長い投射光がスクリーンを照らして、そこに動く画が次々と現れることの不思議さに、私はとても感動した。そうしてこれも少年時代のことだったが、5分にも満たないテレビの天気予報のスポット番組で、確かに藤城清治さんの影絵作品が淡い光と影によってちらちらとうごめいていたのを観、自らの身体がその中へ吸い込まれていくのを感じた。この世は《光》と《影》に満ち溢れている。しかし、誰もそのことに気づいていない――。

 今月の9日、東京・銀座の教文館にて『藤城清治影絵展』を観た。サブタイトルは「光と影は幸せをよぶ」。この場を訪れて、まさに少年時代の懐かしいあの《光》と《影》の感動に浸ることができ、また新たな感動の上書きさえもあった。この影絵展の広告の画にある抱き合う少年と少女の大きな瞳。その寄り添う二人の手の温かさ。このなんとも言えないぬくもりの画に惹かれて、私はその9階の小さなホールに足を運んだのだった。

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『影絵展』にて「聖女クララの光」
 影絵については、こんな思い出がある。
 私は小学校の6年間、ほとんど何一つ得意とする教科がなかった。強いて言えば音楽の授業で歌を歌うこと、国語の授業で朗読することが楽しみであった。図画工作というのは特に不得意と言っていい、人に自分の拵えた作品を見せたくない、恥ずかしいと思っていたほどで、授業そのものがいやであった。何か作っては友達にその不出来を笑われていたし、作るたびにまた笑われるのかと思うと、とても図画工作の授業がしんどかった。もちろん通信簿の評価も低かった。

 そんな図画工作の授業で唯一自分で楽しいと思えた、夢中になって作ったのが、ステンドグラスの模倣であった。ガラス細工は子供には危ないので、黒色の板だったか画用紙だったかを枠にして下絵を描き、それに沿ってカッターで画をくり抜き、裏側から各々の色のセロハンを貼り付け、アルミホイルを背景にして枠を閉じたもの、という代用のステンドグラス画であり、見た目はステンドグラスのように色彩豊かな光と影の造物となった。本当にこれだけは楽しい工作の体験だったし、おそらくそれまでと同様にして不出来の笑いの対象となったのだろうが、自分の気持ちの中では満足感があった。

 何故それが唯一楽しいと思えたのか。幼い頃の藤城さんの影絵の美しさを覚えていて、それに惹かれたせいではなかったか。子供ながら《光》と《影》を作り出すことに魅力を感じていたのだと思う。

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「アッシジの聖フランシスコ」
 教文館の『藤城清治影絵展』で観た「聖女クララの光」や「聖フランシスコの肖像」に私が強い関心を抱いたのは、そこに画の柔らかさや優しさが感じられたからだ。
 無論、藤城さん特有の画の筆致と投影の美というのがある。そこから喚起される、言葉にできない“目に見えないかたち”こそが、私がここを訪れた本意のかたちなのだということを悟り、彼が出会った歴史や物語、人々に対する深い愛情を感じないわけにはいかないのである。

 今月24日に起きたイタリアの大地震は、中部の町アマトリーチェを壊滅させた。死者の数は数百人に達したという。けれども、そこより震源に近いノルチャという町は、建物に耐震対策が施されていて、大きな被害がなかったらしい。そんなようなことを新聞で知った。地震の被害に遭った方々への支援が広がることを心から祈りたい。地震については、大聖堂のあるアッシジも過去に部分的な崩落を招いたことがあり、その時の教訓がイタリア・ウンブリア州の耐震対策に生かされたようであった。

 そんなようなことを含め、藤城清治さんが向けられたイタリアの宗教画に対し、いま私は作品の素晴らしさと共に人々の厚い志について、心に触れるものがある。
 音楽家フランツ・リストが1865年頃に作ったピアノ曲『2つの伝説』のうちの第1曲、「小鳥に説教するアッシジの聖フランシスコ」(St François d'Assise: la prédication aux oiseaux)という曲があるのだけれど、私はこれをジョルジュ・シフラのピアノで聴く。ジョルジュ・シフラでなければならない。
 藤城さんのアッシジの聖フランシスコ、小鳥を手に、空を見つめるフランシスコの静謐な肖像を思い浮かべながら、遠い彼方に思いを馳せる。そしてそれは、最も身近な《幸せ》の在処を、照らしてもいた。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

大阪万博と音響彫刻のこと

久方ぶりに個人的な“大阪万博”熱が再燃するような、そんな興味深い新聞記事に出合い、そのクラウドファンディングの主旨に賛同し、些かの支援の企てをウェブ上で取り計らった。このネット出資が功を奏するかどうかは現時点では分からない――。しかし、“大阪万博”に対する憧憬と抽象音楽への深い関心の交差は、紛れもなく私自身を一瞬にして突き動かした。このプロジェクトが無事に成功してくれることを祈る以外にない。
 私が突き動かされたのは、朝日新聞朝刊5月27日付茨城版の「再び響け 大阪万博の『音』」という記事である。「音響彫刻修復へ ネットで出資者募る」という副題に刮目し、興味を持った。掻い摘まんで記事の内容を説明すると、1970年の大阪万博で出展されていたフランソワ・バシェ(François Baschet)製作の「音響彫刻」を、茨城県取手市の東京藝術大学ファクトリーセンターが修復・公開することを目的とし、その資金200万円をクラウドファンディングで(6月末まで)募っている――というもの。バシェの「音響彫刻」は17作品あって、過去に修復された5台以外の12台がこれに含まれる(一部寄贈された作品があるらしい)。
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 この「音響彫刻」の修復プロジェクトに関しては、バシェ協会のホームページが詳しい。それとは別に、私自身も独自にこの「音響彫刻」について調べてみた。そもそも“大阪万博”でこのようなオブジェがあったのかということに対し、私はこれまで聞いていたような聞いていなかったような、俄に判然としなかったのだけれども、最近、坂本龍一氏のアルバム『async』の中で過去に修復されたバシェの「音響彫刻」が使用されたことを知り、なんとなく朧気な輪郭が見え始めたのだ。そこではっきりと理解するために、当時の“大阪万博”の公式ガイド本(『日本万国博覧会 公式ガイド』)を開いてみた。
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石内都―Infinity∞

私がトノ・スタノの作品が観たく、『暗がりのあかり チェコ写真の現在展』が催された東京・銀座の資生堂ギャラリーへ訪れたのは、もう6年も前のこと。それは2010年8月であった(当ブログ「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」参照)。それから今年の夏、『Frida is 石内都展』 を観ようと、同じく資生堂ギャラリーを訪れたのだけれど、ギャラリーの手前まで来て急に、“突発”の用事に襲われ、泣く泣く引き返して地下鉄の銀座駅へ落ちていったのである。つまり、私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかった――。
 石内都という写真家の特徴的な作品を、過去、しばし眺める度に、ある2つの作品を必ず思い出す。  一つは映画である。1966年に公開された勅使河原宏監督の『他人の顔』(原作・脚本は安部公房)。そしてもう一つは、文芸雑誌『群像』の2008年3月号に初めて掲載された、大庭みな子著の短篇小説『痣』。これらには共通項があって、それは《喪失》であったり、《傷》といったモチーフで括ることができるだろう。  『他人の顔』は、顔に大きな《傷》を負った男が、別の男の顔の仮面を秘密裡に拵えさせ、他人になりすまし、自分の妻を誘惑するというストーリー。自分が自分という存在を《喪失》し、仮面をかぶってまったく別の人となった時、《喪失》した自分は、その劣等感の反動であらゆる欲望を満たそうと際限なく暴走してしまう悲劇。  『痣』は、原爆が投下された直後の広島の町にて、無残な顔になった友人の恋人に声をかけられず、戦後、友人に再会しても恋人を見かけたことをとうとう告げることができなかった主人公の懺悔。痣とは、ここでは主人公が精神的に負った《傷》と受け取ることができる。
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 私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかったので、彼女の写真集『石内都 Infinity∞ 身体のゆくえ』(求龍堂)を眺めることにした。この写真集は2009年、群馬県立近代美術館にて催された同題の個展をカタログ化したもので、彼女の80年代後半からの作品が数多く収録されている。
 彼女の作品を眺める時、私はどうしてもそこから、《花の匂い》を感じてしまう。それはまったくの気のせいであろうか。  写真集の中で、「1906 to the skin」(1994年)と「A to A」(2006年)の作品について考えてみ…

スペース・シアター―大阪万博・鉄鋼館の記録

かつて秋田の高校が“大阪万博”へと向かった修学旅行の話「高校生の万国博読本」とは少し趣を変えて、ここでは再び「大阪万博と音響彫刻のこと」に関連し、鉄鋼館の話に立ち返りたいと思う。
 1970年“大阪万博”で前川国男設計の鉄鋼館だった建物は、今もその跡地、つまり万博記念公園のまったく同じ場所に現存している。現在は「EXPO’70パビリオン」と称し、“大阪万博”全体のメモリアル・スペースとなっているようだ。記念館のホームページによると、当時「スペース・シアター」と呼ばれたその円形の大ホールも、いまだ残存しているとのこと。ここは、ガラス越しによる観覧が可能らしい。
 最近私は、当時の「スペース・シアター」の音響を記録した、貴重な音楽アルバムを蒐集した。この音楽アルバムは『スペース・シアター:EXPO'70 鉄鋼館の記録』(ソニー・ミュージック・ジャパン)といい、“期間限定CD”として市販されている。すなわち、1970年発売同名LPの復刻盤である(私はこの2つとも所有することができた)。
 収録曲は、当時の音楽プログラムを再現した3曲。武満徹の「Crossing」、高橋悠治の「Yéguèn」、イアニス・クセナキスの「Hibiki Hana Ma」。3曲とも日本フィルハーモニー交響楽団の演奏録音で、1曲目と3曲目の指揮者は小澤征爾(1970年1月、川口市民会館で録音)、2曲目は若杉弘(1969年11月、日本フィルハーモニー交響楽団リハーサル・ホールで録音)である。  アルバムのクレジットによると、レコーディング・ディレクターは草刈津三、音響ミキサーは若林駿介氏。おそらくこれらの演奏の録音は、マルチ・トラック・レコーダーを使用したものと思われ、通常のクラシック音楽のレコーディングと変わりはない。ただし、鉄鋼館の「スペース・シアター」は特殊な音響ホールである。ホールの床や天井に設置された千個を超えるスピーカーから音を再生するため、12チャンネル出力のいわゆる“スイッチング・システム”と呼ばれるコンピューターの自動制御装置を使って音像を可変させ、録音された演奏を立体的に再現したのではないか。会場にいた観客は、前方後方にとどまらず、あちらこちらから迫力ある音が発生して度肝を抜かれたはずである。  しかしながら、これをそのまま現在のオーディオ・システムで再現(再生)するこ…