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『ポートピア連続殺人事件』の時代

1983年発売『ポートピア連続殺人事件』(エニックス)
 1983年、私が小学5年生の時、猛烈に夢中になったゲームがある。PC-6001版の『ポートピア連続殺人事件』(エニックス/作者・堀井雄二)である。このゲームの概要については、5年前の当ブログ「ポートピア連続殺人事件」で書いた。この度、保管していたPC-6001を引っ張り出して(数年ぶりに引っ張り出したのは別の理由があったのだが)、その実機による『ポートピア連続殺人事件』をもう一度体験してみようという気になり、ソフトウェアのロードのセッティングを企てた。モニターはSONYのBRAVIA20インチ、専用のデータレコーダーは既に無いので、一般のモノラル・ラジカセをその代替とした。

《ある夜おこった密室殺人。キミは部下のヤスをひきつれ捜査にのりだすが、次々死んでゆく容疑者たち。犯人は誰か!港神戸を発端に、舞台は京都から淡路島へ…。「君は犯人を追いつめることができるだろうか?」サスペンスアドベンチャーの決定版!》
(『ポートピア連続殺人事件』パッケージ文より引用)

 このゲームのパッケージがとても印象深い。おどろおどろしいイラストは、さにい・パンセ(という会社か人か?)の作である。背景にある夜の京都・東山、1981年に開催された神戸ポートアイランド博で一躍有名になった愛称“ポートピア'81”の会場の神戸港。さもその港で死体が発見され、そこで女性が取り調べられているかのようなイラストで、事件への好奇な関心を抱くけれども、あくまでこれは脚色的なもので、実際には港では殺人事件は起きない(企画段階ではそんな展開があったのかも知れない)。
 ゲームの全体としては、おどろおどろしいイラストとは裏腹に、朗らかにストーリーが進行する。関西弁が時折飛び交うせいか、この妙に明るい朗らかさが、“ポートピア連続殺人事件”の真の姿であろう。まず、そのことを踏まえておきたかった。

*

げんばふきんと部下のやす
 ここからはストーリーの内容に触れ、完全な“ネタバレ”となるため、注意していただきたい。これからこのゲームに挑戦してみたいと思う人は、とりあえず読まないことを推奨する。

 ――神戸。ローンヤマキンの社長、やまかわこうぞうが自宅マンションの書斎で死体となって発見された旨の一報から始まる。こうぞうの秘書のさわきふみえが第一発見者で、書斎には鍵が掛かっており、マンションの管理人のこみやを呼んでドアを叩き開けてもらったところ、社長の死体がそこにあったというふみえの話。プレイヤーは捜査一課の腕利き警部=ボスとなり、部下のまのやすひこを従えて事件の捜査に乗り出すことになる。

こうぞうの死体現場
 このゲームはすべて日本語でのコマンド入力方式となっており、例えばここで現場へ向かうには、〔げんば いけ〕と入力する。現場では〔したい しらべろ〕とか〔ドア しらべろ〕とか〔つくえ しらべろ〕といったふうにやすに要求し、ヤスがそれに答えるという会話調になる。やすが理解できなければ、「なにをいっているのかわかりません」などと答えが返ってくる。けっこう事件とは関係ない質問をして、やすが気儘に答えてくれることもある。プレイヤー(ボス)は事件の謎を解いていき、犯人を捕まえ、真相を明らかにするのが目的である。

とりしらべしつに呼んだ管理人こみや
 第一発見者のふみえや管理人のこみやから直接話を聞き出すには、とりしらべしつに戻る必要がある。事件がさほど進展していない最初では、こみやを取調室に呼んでも、「わし じゃない!!わしは やってないっ!!」とうろたえるのみで、ろくな話も聞けず、多少この人物にイライラ感がつのる。
 ところでこのゲームは、電話番号(数字)を入力すれば、電話をかけることもできる。こうぞうが死んでいた現場の書斎では、机の上からマッチが発見され、そのマッチには「ぱる 622-3149」と記されており、ここに電話して所在を聞き出すことができる。こうして場所が分かれば、以後、そこに行くことができるようになる。ぱるは喫茶店の名で、しんかいちに店を構えている(しんかいちに行くと、しんげきシルバーというストリップ劇場があり、やすに入らせることができる)。その店でこうぞうの写真を見せると、かわむらという男とこうぞうとの関係が浮かび上がってくる。

ストリップ劇場のあるしんかいち
 このゲームにはいくつかの落とし穴的フラグが含まれている。
 まず、ひらたという商店経営の男がそれである。ひらたはこうぞうにかなりの金を借りていた。殺す動機としては充分だ。現場付近の聞き込みによって、事件当日からいなくなっていることが分かっている。そしてさらに彼は、京都へ行ったらしいことも判明する。
 だが、この時点で京都へ行っても、何ら情報を得ることはできないのだ。ひらたとはいったい何者なのだろうかという思いが強くなるが、捜査は進展しない。――あとでひらたは、あみだがみねで死体となって発見される。やすはここで、ひらたは借金苦からこうぞうを殺して自殺したと判断し、事件を終わらせようとする。これも落とし穴的フラグだ。エピローグをロードするよう促されるが、当然、ひらたは真犯人ではない。ひらたの自殺の死亡推定時刻は、こうぞうのそれより前なのである。したがって、ひらたがこうぞうを殺せるわけがないのである。

 こうぞうには、としゆきというおいがいる。莫大な遺産をねらった動機としても濃く、彼のアリバイも薄い。としゆきをとりしらべしつに呼んで白状させようとしても、なかなか埒があかない。しかし、管理人のこみやがとしゆきのサイフを盗んだことが発覚して、事件は急展開を見せる。サイフの中にあったメモ、

【0F14010E090D(=みなと) 0F013050E090D15】

 の暗号を解くことが、この事件の突破口を開くターニングポイントである。どうだろう。一般的には非常に難しいと思う暗号なのではないか。ところがゲーム・マニア、プログラマーがこれを見ればああと分かる暗号なのである。ちなみに港へ行くと、そこに一人の男がいて、こちらに話しかけてくる。「いまなんじですか?」――。

あみだがみねでのひらたの首つり死体
 私が小学生の時分、この暗号がまったく解けず、ゲームの展開が止まってしまい、何ヶ月も棒に振った憶えがある。実際、この暗号を解かない限り、先に進むことができないようになっている。
 港に現れる男の名は、むろたといい、その場で即、現行犯逮捕しないと、彼に逃げられ、事件の進展はもはや期待できず完全にストップしてしまう。つまりもう一度ゲームを最初からやり直さなければならない。これも落とし穴的フラグである。このように『ポートピア連続殺人事件』にはトリッキーなフラグがあちこち仕掛けられていて、一筋縄ではいかない(実に良くできたゲームだ)。先述したやすの、事件の解明を勝手に終わらせようとする言動はフラグでありつつ、別の意味深な伏線にもなっている。

あっと驚く人物の肩のちょうちょアザ
 としゆきのサイフにあったメモ、その謎の暗号文を解き、港のむろたを逮捕することができれば、事件の展開は急速に進む。むしろ容易に進んでいく。そうして、こうぞうとつながりのあるかわむらが第三の死体となって発見されると、えらく次々とタレコミ情報が入り込んできて、事件はクライマックスへ向かう。捜査は最終的に淡路島のすもと(洲本)に移る。
 すもとで最後に発覚するのは、秘書のさわきふみえには兄がいた、という事実である。なんと肩にちょうちょのアザがあるという兄。こうぞうとかわむらによる悪辣な詐欺によって彼らの両親が自殺し、兄妹が復讐を企てた、という事件の真相が見えてくる。
 そして、あっと驚く人物の服を脱がしてみる。これが『ポートピア連続殺人事件』の、アドベンチャー・ゲーム史上類例のない伝説のシーンである。脱がせば、確かにその肩にちょうちょのアザがあり、思わず声が漏れるほど衝撃的である。ここで真犯人が確定する。これでさわきふみえ兄妹の悲劇が明らかとなって、涙を流さずにはいられないエンディング・シーンが終わる。

*

 小学生だった当時、この『ポートピア連続殺人事件』は事件の展開に詰まった際、苦しくて投げ出したくなる辛さがある一方で、たった一つのコマンド入力いかんで突破口が開けた、という緊張感の末の面白さがあった。展開に詰まるたびに何度も現場へ行き、あらためて死体の状況を調べて頭の中を整理したり、各人物のアリバイをノートに書き写して誰がいちばん怪しいかを友人と議論したり。しかし、そうしたディテールの想像を軽く凌駕して、最後のあっと驚く人物と向き合った時には、むしろアドベンチャー・ゲームの終末の悲哀のようなものを感じた。

 ともかく、当時私はこのゲームによって神戸や京都、淡路島という土地にずいぶん興味を覚えたし、トラベラーズ・ミステリーの醍醐味を存分に味わったのだと思う。そして今、あの頃それを体験し記憶にとどめている愛好者が多い中で、実際に正真正銘のオリジナルの『ポートピア連続殺人事件』をプレイできたことに満足感を得た次第である。堅固なハードウェアの部分も含め、言うなれば、日本人の技術力と想像力の逞しさへの感動がある。PC-6001とこのゲームの人気は、まだまだ衰えを知らない。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

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§
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