スキップしてメイン コンテンツに移動

演劇『金閣寺』追想

 横浜・伊勢佐木町の繁華街に、イセザキモールというのがある。僅かながら伊勢佐木町の沿革について調べてみた。
《神奈川県横浜市の中心的商店街で中区にある。東京の銀座、大阪の心斎橋筋などとならび称せられる繁華街。第二次世界大戦後は焼け残ったおもなビルや周辺一帯が広く米軍用地に接収されて復興が著しく遅れたが、現在では活況をとりもどし、各種デパート、商店、映画館がたち並んでいる。この一帯は江戸時代前期、1659年(万治2)の干拓による吉田新田にあたっているが、開港後港を中心とした関内(かんない)すなわち外人向け商店街として開かれ、明治初年に共同して開発にあたった伊勢屋と佐々木氏の屋号をとって、町名にしたという》
(『世界大百科事典』平凡社・1964年初版より引用)

 蛇足ながら私の伊勢佐木町のイメージは、黒澤明監督の映画『天国と地獄』に登場する夜の伊勢佐木町の街の賑わい、まさに外国人らがわんさかと戯れ酒に酔う姿が主調となり、いま私が真昼に降り立ったこの街の印象と照らし合わせても、何ら遜色ない。
 イセザキモールのちょうど入口に建つ古いビルは、関東大震災の復興の一環として昭和初期に建てられ、地域の発展の一躍を担った歴史的な商業ビルである。イセビルという。かつてこのイセビルは横浜の大空襲にも耐え、終戦後は米軍の接収という憂き目にも耐えてきた。そのビルの地下は食堂やカフェーとして利用され、戦後はパブとして賑わったらしい。この地下の壁面には、当時のエジプト風の壁画が今も残っている。ごく最近、この小規模な地下空間が文化の発信地として新しく生まれ変わったというのだ。
 それが、クリエイティブスペースTHE CAVEである。私はここにやってきた。ある演劇を観るために。――ビルの階段を降りる。そこは古い歴史を背負った剥き出しの壁と柱。昭和のパブの色褪せた空間。壁には、例の壁画が暗がりの中でぼんやりと浮かんで見える。
 この言わば激動の昭和の辛酸を嘗めたイセビルの、その痕跡をとどめる地下空間にて1月9日、私は、若者達による“剥き出し”の演劇『金閣寺』を観たのだった。

§

劇場で配られた『金閣寺』の御守護的フライヤー
 これは、と思う演劇に出合うと、その豊潤な余韻が長く尾を引く――。まったく良き酒の酩酊に似ている。
 私が観た演劇『金閣寺』は、慶應義塾SFCの高橋拓也主宰公演。演出は早川雅仁(以下、敬称略)。1950年(昭和25年)夏に起きた金閣寺放火事件を題材にしており、三島由紀夫の小説『金閣寺』が原作。脚本は宮本亜門演出の『金閣寺』(伊藤ちひろ、宮本亜門)に拠る。
 上演が約2時間半強に及んだ『金閣寺』の構成は、脚本はもとより三島原作の『金閣寺』に忠実で、三島の文体が時折朗読されながら、「3人の青年」の生き様が滑降する状況心理劇となっていた。そのシチュエーションは概ね金閣の舎利殿がある禅寺(鹿苑寺)、あるいは京都界隈である。

 主人公の青年・溝口。彼は舞鶴で生まれ、父の遺言で金閣寺(鹿苑寺)の徒弟となった。父は舞鶴の辺鄙な岬の寺の住職で、その父と死別した溝口には生来の吃りがあった。彼にとって吃りは、自己の人生観を左右する大きなコンプレックスであった。
 同じ金閣寺で徒弟の修業をする青年・鶴川。彼は住職の縁故で預けられた身で、溝口の最も親しい慰藉の友であり、溝口の吃りを決して蔑まない。家は裕福で、溝口にはない明朗闊達な性格である。
 そしてもう一人の青年は、柏木。彼は溝口が通う大谷大学予科1年の生徒で、両足の内翻足のハンディキャップを抱えていた。性格は情動的で、知性を斜に構えた冷淡な態度をとり、関係を持つ異性を日常的に苦しめる。しかし溝口にとって柏木という男は、鶴川よりも自分に境遇が近く、その性悪な態度にしばし嫌悪を抱きつつも、どこか憎めず離れることができない腐れ縁的な存在だ。
 この三者三様の難役を実に瑞々しく等身大で演じきったのが、溝口役の河野麗生、鶴川役の高橋拓也、柏木役の金澤卓哉である。彼らの演技がこの舞台の軸となり血肉となっているが、そこに溝口の母親役の腰を据えた気丈な演技が加わると、場の局面の起伏が異様に波打つ。老師・道詮和尚が佇む禅寺の清楚で暗鬱とした趣は、「3人の青年」のうごめきによって血肉の赤に染められ、激しい人間同士の衝突が葛藤劇となって次々とめまぐるしく展開されていく。

 一つここで私は、三島由紀夫の言葉が想起された。「裸体と衣裳」という彼の日記抄の中で、昭和34年4月10日の皇太子御成婚パレードをテレヴィジョンで見た彼は、こんなことを書き記している。三島が釘付けになったのは、両殿下が乗る馬車に一人の若者が突然近づき、周囲が騒然となったアクシデントの瞬間だ。
《そこではまぎれもなく、人間と人間とが向い合ったのだ。馬車の装飾や従者の制服の金モールなどよりも、この瞬間のほうが、はるかに燦然たる瞬間だった》――。また、こうも述べている。
《それにしても人間が人間を見るということの怖しさは、あらゆる種類のエロティシズムの怖しさであると同時に、あらゆる種類の政治権力にまつわる怖しさである》
(三島由紀夫著『裸体と衣裳』より引用)

『金閣寺』フライヤーの裏面
 皇太子は生まれて初めて、“裸の人間の顔”を見、向かい合ったのだと三島はその時、昂奮を抑えることができないでいた。世界が変わった瞬間とも言える。それと同じものを私は、今回観た演劇『金閣寺』の舞台上においても、三島のこの不動の常態を示す感性の小端を見たはずだ、と気づいた。
 つまり、1950年の夏に起きた禍々しい金閣寺放火事件と等身大の若者――その若者の剥き出しの裸の顔。それは内部に秘められていた心の闇の突発的な爆発であり、向かい合った衝撃である。主人公の溝口が抱く想念すなわち金閣に対する美意識であるとか、まるで自分とは別世界の沙汰にある美の建物の存在が、やがて反撥と憎悪の対象となっていく経過を、舞台に面した観客席の中で私は目撃したのだ。私は確かにそこで、“裸の人間の顔”を、見た――。

 時系列が舎利殿放火へと向かうドラマチックな展開となっている反面、「3人の青年」の“裸の人間の顔”の実相を暴くのは、演劇が進行している最中ではとても難しいことだ。が、観終わって落ち着いた頃に、青年らの心の在処を探り出す永き余韻こそ、この演劇『金閣寺』の優れた演出ではないかと思われる。
 溝口、鶴川、柏木という3人の関係性及び情緒的行動はどこか不均衡かつ無秩序で、同胞としての仲間意識が表面的には乏しい。それぞれがそれぞれの人生を背負い、通い合うことなく孤独である。孤独としての共感、同胞的観念はおそらく内側の奥底に秘められ眠っており、それぞれの表情に無意識にもしばし反映される面がなくはない。しかし、緻密な心情を汲み取って束ねられるだけの達観というべきものが、溝口には具わっていなかった。すなわちこれが金閣寺を焼く、という行為の悲劇につながる。しかも、溝口の不幸は常に我々の中に存在するのだ。

§

 若者であるという人生の一つのカテゴリーは、その尊き同志との関係性において、どこか意識と意識との最大公約数を見いだし、失望の途を踏み越えながら妥協しつつ、心を安息に束ねていくものなのだろうが、溝口も鶴川も柏木も、誰一人折れることなく自己の観念の聖域に到達することを夢見、あくまで同志ではなく反同志として貫通し、結果的には観念そのものが脆くも破綻していく。互いが互いにとって許されるべき存在であるのか否か――。他方は恋に破れ、他方は愛に絶望し、他方は自己愛と精神美の崩壊を招く。

 等身大の生身の若者がこれらの青年を演じる上で、『金閣寺』におけるこれほど難しい役柄と構造はなかったであろう。己の本身にこそ、その役柄の剥き出しの顔が具有されることの、一種のおののきを感じる際どい演劇である。
 人間が人間を見ることの怖ろしさはエロティシズムの怖ろしさであり、政治権力にまつわる怖ろしさであるという三島の言葉が、ここではやはり相応しい。私が今回観た演劇『金閣寺』は、おそらくこれまでのどの同作品劇よりも、“裸の人間”たちによる群像劇であったと思う。それを奇跡的に観たと同時に、あの「3人の青年」と同じ襞を、己の内側に隠し持っていることに、誰もが気づかされることだろう。

 こうして緊迫と平穏とに包まれていた特異な時間は、あっけなく過ぎていった。伊勢佐木町の青空に。これは、私がとんでもない演劇を観てしまったという秘密事なのである――。

コメント

過去30日間の人気の投稿

YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

大阪万博と音響彫刻のこと

久方ぶりに個人的な“大阪万博”熱が再燃するような、そんな興味深い新聞記事に出合い、そのクラウドファンディングの主旨に賛同し、些かの支援の企てをウェブ上で取り計らった。このネット出資が功を奏するかどうかは現時点では分からない――。しかし、“大阪万博”に対する憧憬と抽象音楽への深い関心の交差は、紛れもなく私自身を一瞬にして突き動かした。このプロジェクトが無事に成功してくれることを祈る以外にない。
 私が突き動かされたのは、朝日新聞朝刊5月27日付茨城版の「再び響け 大阪万博の『音』」という記事である。「音響彫刻修復へ ネットで出資者募る」という副題に刮目し、興味を持った。掻い摘まんで記事の内容を説明すると、1970年の大阪万博で出展されていたフランソワ・バシェ(François Baschet)製作の「音響彫刻」を、茨城県取手市の東京藝術大学ファクトリーセンターが修復・公開することを目的とし、その資金200万円をクラウドファンディングで(6月末まで)募っている――というもの。バシェの「音響彫刻」は17作品あって、過去に修復された5台以外の12台がこれに含まれる(一部寄贈された作品があるらしい)。
§
 この「音響彫刻」の修復プロジェクトに関しては、バシェ協会のホームページが詳しい。それとは別に、私自身も独自にこの「音響彫刻」について調べてみた。そもそも“大阪万博”でこのようなオブジェがあったのかということに対し、私はこれまで聞いていたような聞いていなかったような、俄に判然としなかったのだけれども、最近、坂本龍一氏のアルバム『async』の中で過去に修復されたバシェの「音響彫刻」が使用されたことを知り、なんとなく朧気な輪郭が見え始めたのだ。そこではっきりと理解するために、当時の“大阪万博”の公式ガイド本(『日本万国博覧会 公式ガイド』)を開いてみた。
 現代音楽の音楽家・武満徹氏がバシェに依頼して作られた「音響彫刻」は、鉄鋼館で出展された。武満氏は鉄鋼館の芸術監督を担っていた。鉄鋼館は、日本鉄鋼連盟主管のパビリオンで、主立った企業を抜粋すると、八幡製鉄、富士製鉄、日本導管、川崎製鉄、神戸製鋼や大阪製鋼、三菱製鋼、日本ステンレス等々で、その他の組合や協会も連なっている。この公式ガイド本によれば、鉄鋼館は、“世界に誇る音響装置”、“古代ローマのコロシアムを思わせる大ホー…

石内都―Infinity∞

私がトノ・スタノの作品が観たく、『暗がりのあかり チェコ写真の現在展』が催された東京・銀座の資生堂ギャラリーへ訪れたのは、もう6年も前のこと。それは2010年8月であった(当ブログ「暗がりのあかり チェコ写真の現在展」参照)。それから今年の夏、『Frida is 石内都展』 を観ようと、同じく資生堂ギャラリーを訪れたのだけれど、ギャラリーの手前まで来て急に、“突発”の用事に襲われ、泣く泣く引き返して地下鉄の銀座駅へ落ちていったのである。つまり、私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかった――。
 石内都という写真家の特徴的な作品を、過去、しばし眺める度に、ある2つの作品を必ず思い出す。  一つは映画である。1966年に公開された勅使河原宏監督の『他人の顔』(原作・脚本は安部公房)。そしてもう一つは、文芸雑誌『群像』の2008年3月号に初めて掲載された、大庭みな子著の短篇小説『痣』。これらには共通項があって、それは《喪失》であったり、《傷》といったモチーフで括ることができるだろう。  『他人の顔』は、顔に大きな《傷》を負った男が、別の男の顔の仮面を秘密裡に拵えさせ、他人になりすまし、自分の妻を誘惑するというストーリー。自分が自分という存在を《喪失》し、仮面をかぶってまったく別の人となった時、《喪失》した自分は、その劣等感の反動であらゆる欲望を満たそうと際限なく暴走してしまう悲劇。  『痣』は、原爆が投下された直後の広島の町にて、無残な顔になった友人の恋人に声をかけられず、戦後、友人に再会しても恋人を見かけたことをとうとう告げることができなかった主人公の懺悔。痣とは、ここでは主人公が精神的に負った《傷》と受け取ることができる。
*
 私は『Frida is 石内都展』を観ることができなかったので、彼女の写真集『石内都 Infinity∞ 身体のゆくえ』(求龍堂)を眺めることにした。この写真集は2009年、群馬県立近代美術館にて催された同題の個展をカタログ化したもので、彼女の80年代後半からの作品が数多く収録されている。
 彼女の作品を眺める時、私はどうしてもそこから、《花の匂い》を感じてしまう。それはまったくの気のせいであろうか。  写真集の中で、「1906 to the skin」(1994年)と「A to A」(2006年)の作品について考えてみ…

スペース・シアター―大阪万博・鉄鋼館の記録

かつて秋田の高校が“大阪万博”へと向かった修学旅行の話「高校生の万国博読本」とは少し趣を変えて、ここでは再び「大阪万博と音響彫刻のこと」に関連し、鉄鋼館の話に立ち返りたいと思う。
 1970年“大阪万博”で前川国男設計の鉄鋼館だった建物は、今もその跡地、つまり万博記念公園のまったく同じ場所に現存している。現在は「EXPO’70パビリオン」と称し、“大阪万博”全体のメモリアル・スペースとなっているようだ。記念館のホームページによると、当時「スペース・シアター」と呼ばれたその円形の大ホールも、いまだ残存しているとのこと。ここは、ガラス越しによる観覧が可能らしい。
 最近私は、当時の「スペース・シアター」の音響を記録した、貴重な音楽アルバムを蒐集した。この音楽アルバムは『スペース・シアター:EXPO'70 鉄鋼館の記録』(ソニー・ミュージック・ジャパン)といい、“期間限定CD”として市販されている。すなわち、1970年発売同名LPの復刻盤である(私はこの2つとも所有することができた)。
 収録曲は、当時の音楽プログラムを再現した3曲。武満徹の「Crossing」、高橋悠治の「Yéguèn」、イアニス・クセナキスの「Hibiki Hana Ma」。3曲とも日本フィルハーモニー交響楽団の演奏録音で、1曲目と3曲目の指揮者は小澤征爾(1970年1月、川口市民会館で録音)、2曲目は若杉弘(1969年11月、日本フィルハーモニー交響楽団リハーサル・ホールで録音)である。  アルバムのクレジットによると、レコーディング・ディレクターは草刈津三、音響ミキサーは若林駿介氏。おそらくこれらの演奏の録音は、マルチ・トラック・レコーダーを使用したものと思われ、通常のクラシック音楽のレコーディングと変わりはない。ただし、鉄鋼館の「スペース・シアター」は特殊な音響ホールである。ホールの床や天井に設置された千個を超えるスピーカーから音を再生するため、12チャンネル出力のいわゆる“スイッチング・システム”と呼ばれるコンピューターの自動制御装置を使って音像を可変させ、録音された演奏を立体的に再現したのではないか。会場にいた観客は、前方後方にとどまらず、あちらこちらから迫力ある音が発生して度肝を抜かれたはずである。  しかしながら、これをそのまま現在のオーディオ・システムで再現(再生)するこ…