tag:blogger.com,1999:blog-83604860557992660652024-03-12T13:51:07.699+09:00Utaro Notes当ブログ新URL移行先→https://dodidn.com/blg/Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.comBlogger742125tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-27121023457458316992023-08-22T05:37:00.000+09:002023-08-22T05:37:51.847+09:00旧ブログ削除のお知らせ いつも[Utaro Notes]をご覧いただきありがとうございます。 当ブログ[Utaro Notes]は、6月より新URL(https://dodidn.com/blg/)に移行いたしまして、そちらで新しい記事を投稿中です。 過去の投稿記事は、新URLの[Utaro Notes]で全て閲覧いただけるようになっています。 それに伴い、この旧ブログ(https://utaronotes.blogspot.jp/)に関しましては、誠に恐縮ではありますが、「2023年9月30日」を最終閲覧可能日としまして、翌日に削除する予定です。 ということで、新URL(https://dodidn.com/blg/)のブックマークをご登録いただき、移行先の新しいブログをご愛顧いただきますよう、お願い申し上げます。 これからも意欲的なブログ執筆を邁進していきますので、どうか応援のほどよろしくお願いします。Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-41783274817054166342023-06-29T16:11:00.000+09:002023-06-29T16:11:40.658+09:00当ブログは新URLに移行しました たいへん突然のことで誠に申し訳ありません。 当ブログ[Utaro Notes]はこの度、諸事情により、以下のURLにお引越させていただきました。 https://dodidn.com/blg 新しい投稿は移行先のURLから更新いたします。 これまでの投稿文もそのままアーカイブしてあります。なによりも、ブログの仕様が新しくなり、使い勝手もすこぶるいいので、ぜひお越しください。 https://dodidn.com/blg/ 尚、こちらの旧サイトは当面残しますが、おおむね放置状態となってしまいますことをご了承ください。 Utaro/青沼ペトロUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-30380668274721380242023-05-30T15:07:00.004+09:002023-06-23T05:50:54.886+09:00かつてジャニーズはメディアの寵児だった〈3〉【斎藤美奈子氏の「『ジャニーズ問題』が暴き出したもの」】 前回からの続き。 日本古来より蔓延っている性的指向の一つとして、「少年愛」というのがある。「少年愛」とは、年上の男性もしくは女性が、年下の若年の男子に愛情を抱く性癖である。これと同じ類の性的指向として、「少女愛」というのがある。が、女性が抱く「少年愛」と「少女愛」に関しては、ここではいっさいふれない。 ジャニー喜多川氏の性的指向が、主に「少年愛」に偏っていた面があることから、ここでは男性が少年に抱く形での「少年愛」にかぎって言及していく。 ところで私を幼くして映画狂に導いてくれた映画『犬神家の一族』(1976年公開/監督:市川崑)のストーリーの中で、「衆道の契り」(しゅどうのちぎり)という言葉が出てくる。 この言葉は、登場人物である探偵の金田一耕助(演じたのは石坂浩二)が発したものだが、事件の重要人物である犬神佐兵衛翁が少年だったUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-26134225960479893832023-05-25T06:56:00.004+09:002023-05-30T15:09:04.462+09:00かつてジャニーズはメディアの寵児だった〈2〉【ジャニーズ事務所の一時代を築いたアイドルグループ、“フォーリーブス”】 ネット上における奇妙な“凡例”として、こと芸能ニュースにおいてはとくに、それ自体が“生もの”として扱われているせいか、ごく一定の期間が過ぎるとニュースサイトのページから丸ごとテクストなり画像なりが削除されてしまうことが多い。 記事そのものは、ネット上では永年アーカイブされない――。したがって、過去の元記事を閲覧することは困難な場合があり、そのため自主的にあらかじめ記事を保存しておいたり、本文を記録しておく必要がある。 いま私がこうして追いかけているジャニーズ事務所関連のニュース――退所とジャニー喜多川性加害問題のトピック――のテクストは、後々ごっそりと消えてしまう可能性だってある。そのことはあえて冒頭で触れておきたかった。 今月16日、ジャニーズJr.の7人組グループのIMPACTors(佐藤新、基俊介、鈴木大河、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-85270398934435802152023-05-17T14:35:00.006+09:002023-06-09T05:26:54.358+09:00かつてジャニーズはメディアの寵児だった〈1〉【Kis-My-Ft2の「想花」】 のどかな風景の写真を添えて、演劇人である私の知り合いは、そのSNSでごく最近、SMAPが好きになり、SMAPのアルバムを買い、こんなことを述べていた。――英国にはビートルズがいて、日本にはSMAPがいた――。それとなくこの対照的な歴史的なアイドル史の出来事を、たった一言で的確に表し、「時代のフォークロア」だと述べた。時代のフォークロア…。鋭い指摘である。 アイドルはその存在を無くしてから、はじめてフォークロアの対象となり、全世界に人物と伝説が拡散されていく。70年代に生まれた私の場合、ビートルズという存在が消えてから、その存在の大きさを知った一人であり、しかるにSMAPもまた、そういう存在であり続けるのだろう。 アイドルグループへの関心事としては、私は昨年あたりから、徐々に深刻に、Kis-My-Ft2(キスマイフットツー。メンバーは北山宏光、千賀健永、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-28170557956417744072023-05-09T14:06:00.002+09:002023-05-09T14:06:19.378+09:00ポエティックな喫茶の話【『Sound & Recording Magazine』2023年6月号「Berlin Calling」】 ベルリンで日本由来のリスニング・バーが流行っているらしい――。 そんなトピックは、日本の昭和世代の“喫茶愛好家”にとって、いかにセンチメンタルな心持ちとなって西の空を見上げてしまうか。 ベルリンのクラブシーンを注視し続けている音楽ライターYuko Asanuma氏のコラム――月刊誌『Sound & Recording Magazine』2023年6月号の「Berlin Calling」では、「日本のジャズ喫茶などに影響を受けた“リスニング・バー”ブームがベルリンに到来」と題し、ベルリンのそうしたリスニング・バーを4店ほど紹介していたりする。◉それはマイルス・デイヴィスだったり 当ブログ[Utaro Notes]では、喫茶、あるいはお茶の話に関して枚挙に暇がない。Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-26549852964136024972023-05-02T05:49:00.000+09:002023-05-02T05:49:02.972+09:00性の話。を閉じて【パンツの話はいずれ…やります。。】 私自身が「性について学ぶ」ことを自覚したのは、小学6年生の時の性教育本との出合いであり、ある友達のまばゆい純粋無垢の記憶である。2012年10月16日付の「孤独と神話【補遺】」にそのことを書いている。 いうなれば、この思い出から端を発して、自らセクシュアリティ教育に関するウェブサイトを立ち上げたのだった。 《穴があったらはいりたいくらいに拙いウェブサイトで気恥ずかしい》と、2月28日付の「恋するベアー―性教育関心への定点観測」で自身のウェブサイト[男に異存はない。性の話。]について綴った以降、当サイトの投稿(更新)を終わりにしたのは、4月11日のことである(「【最終更新】答えのない性のメッセージに対して」)。 終わりにした理由については、そこに詳しく記してある。 自身の感覚として、ウェブサイトを2017年に立ち上げた以降、巷にどんどんとUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-5677908544404732632023-04-25T13:02:00.000+09:002023-04-25T13:02:09.938+09:00ツイッターからマストドンへ【Adobe Fireflyの人工知能に描かせてみた哺乳類マストドンのイラスト】 個人的なお知らせでたいへん恐縮なのだけれど、わたくしことUtaro/青沼ペトロは、今月21日に、これまでおおむね13年間、ソーシャルメディアの軸足として利用し続けてきたツイッターから完全撤退した。ツイッターに関しての思いの丈は、昨年12月22日付の「果てしないツイッター論」で詳らかにしている。 これ以後、マストドン(Mastodon)にて個人的な独り言、コンテンツの更新情報、稚拙な言説、ニュースに対する雑感、備忘録、旅先のレストランでおいしい食事をしている現場報告(これはちょっと少ないかも)などなど、あらゆるティッカー的なツールとして発信していく旨、ご報告する。マストドンを既にご利用の方々、初心者である当方に対するご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします――。 ツイッターから完全撤退した理由については、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-72085366857904614682023-04-02T06:42:00.001+09:002023-04-02T06:42:06.184+09:00ベルばらと『地縛霊 恐怖の心霊写真集』【『ベルサイユのばら』のオスカルに扮装した女性。しかし心霊が…】 昭和が遠くなりにけり――。平成時代ですら、もはやその“体験の記憶”を留めておくことができなくなってきた感がある。昭和は、さらに古く、遠い怨念に満ちた過去という印象が拭えない。 なぜいま、そうした漠然たる思いに駆られるかといえば、テクノロジー――とりわけ生活に密着したIoT(Internet of Things)――の急激な変化をここ数年感じているからである。パソコン以外のあらゆる装置やモノに内在した“人工知能システム”が、人々の日常生活のこまやかな情報伝達に扶助教授し、今日における格差社会の弊害性を軽減してくれる画期的な時代に突入したといえばいいのかどうか。今後、さらに生活と文化そのものの規範や活用性が劇的に変化するのではないか。皮肉にも、社会に禍をもたらした“新型コロナウイルス”の存在が、新時代における試金石を著しくUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-51937847677755045832023-03-23T13:45:00.004+09:002023-05-19T05:55:02.257+09:00伴田良輔の「筋肉質のキューピッド」【伴田良輔著『愛の千里眼』「筋肉質のキューピッド」】 90年代に遡って、河出文庫(河出書房新社)の“日本文学”に類する出版目録を調べてみると、さすがにわが国の一癖ある名うての文庫ということもあって、澁澤龍彦の『エロスの解剖』や『華やかな食物誌』、稲垣足穂の『天体嗜好症』や『A感覚とV感覚』、『少年愛の美学』などの作品が羅列してあるのは、壮観の極みである。そしてまたこれらは、“河出文庫愛”としてもすぐに咀嚼できるものだ。少し毛色の違うところでは、瀬戸内寂聴の『祈ること』、『愛すること』、坂口安吾の『安吾新日本風土記』なども、“河出文庫愛”から通ずる日本文学の底の深さを感じる。 ところで、我が敬愛するヴィジュアリズム文芸作家・伴田良輔氏の河出文庫の出版本は、言わずもがな、“日本文学”のカテゴリーには含まれていない。 この河出書房新社の慇懃な対応に、怒る者は一人もいないであろう。 そう、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-53772800637015618492023-03-21T06:27:00.000+09:002023-03-21T06:27:03.506+09:00大江健三郎「晩年の読書のために」【大江健三郎著『「伝える言葉」プラス』(朝日新聞社)】 作家・大江健三郎氏が3月3日に亡くなった――。14日付の朝日新聞朝刊では、「大江文学 戦後精神と歩む」という見出しで、大江氏の来歴や評伝などが掲載された(筆者・吉村千彰)。「民主主義・反戦 問い続け 未来へ」という小見出しでも頷けるように、氏が歩んできた文学的こころざしの高みが偲ばれる。 まことに私的で恐縮ながらも、かつて私が好きだった彼の著作のうちの一つから、“戦後派”といわれた彼の文学的精神を読み解いていきたいと思う。❖エラボレーションの極み 大江健三郎著『「伝える言葉」プラス』(朝日新聞社/2006年初版)は、2004年以降、朝日新聞朝刊で月一連載されていた「伝える言葉」の随筆を収録した単行本であり、まだ30代半ばだった私が、手探り状態のインターネット時代をどうとらえ、生き抜くかの遠視的旗標となった随筆集であった(装幀画は舟越Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-84811924486223468292023-03-14T04:53:00.007+09:002023-03-14T04:53:52.808+09:00疫病レイブのこと【『Sound & Recording Magazine』2020年11月号「Berlin Calling」】 ここ最近、好んで夜にレヴォン・ヴィンセントの『Levon Vincent』(2015年/Novel Sound)を聴いている。 ウイスキー党の私がうつらうつらしている時に聴く音楽は、クラシックであれジャズであれ、あるいはサンフランシスコの小さなガレージ・スタジオで黙々と重ね録りされたであろうチープなサウンドであれ、いったん耳から脳内にその音の波長がインプットされた時点で、森羅万象の一事象にすぎないのである。知的な作業というよりは、いかに揺りかごの中で気持ち良くいられるかだ。 レヴォンのファースト・アルバムは、喩えていえば、ポータブルなゲーム機で何の気なしに遊ぶ“単純なゲーム”でありながら、どこか際立って毒気があり、薄気味悪さもあり、かつカット野菜にドレッシングをかけ、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-52561027836848326972023-02-28T06:29:00.002+09:002023-04-12T05:38:50.094+09:00恋するベアー―性教育関心への定点観測【私のときめくベアーへの想い。ベアーが好きだ】 ある写真を眺めていて、ベアーのぬいぐるみが素敵だと思った。そしてまた、ある本を読んでいて、そのベアーの人形が、あまりに精巧で愛くるしく、食べてしまいたいと思った――。 写真の方は、エドワード・スタイケン(Edward Steichen)の『THE FIRST PICTURE BOOK EVERYDAY THINGS FOR BABIES』とmas氏の撮ったベアー(当ブログ「幸福に捧ぐるはベアーの編みぐるみ」参照)のことであり、本の方は、これから紹介する性教育の本のこと。いずれにしても私が、沈鬱のコロナ禍の中で、幼心の〈ベアーが好き〉という潜在的な観念を思い起こしたことからきている。この意味がなんなのかについては、実はとてつもなく謎なのだ。❖ウェブサイトと性教育本 40代半ばにさしかかり、著名な芸術家たちの性表現とセクシュアリティの源泉を理解Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-48345129346700093932023-02-14T14:19:00.004+09:002023-02-14T14:19:43.934+09:00映画『微熱少年』のこと【REBECCAのシングル「Monotone Boy」】 その昔、演劇部を中途退いて、お互いに疎遠になっていた友人Hが、中学3年になったばかりの春、1枚の7インチバイナル(シングルレコード)を貸してくれた時のことを、私はかすかに憶えている。 バイナルは、ロック・バンドREBECCA(Vo:Nokko、Drums:小田原豊、Bass:高橋教之、Gt:古賀森男、Key:土橋安騎夫)の「Monotone Boy」(1987年4月22日発売)であった。この曲は、松本隆監督の映画『微熱少年』(1987年6月公開)の冒頭のタイトルバックに流れるテーマ曲である(作詩/松本隆、作曲/土橋安騎夫、編曲/REBECCA)。 Hが、『微熱少年』を観た後にバイナルを貸してくれたのか、あるいはその前だったのか、貸し借りの微妙な時期については、判然としない。だがもし、あの時のHが、『微熱少年』を観た後にバイナルをUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-38268760533081584262023-02-05T06:28:00.003+09:002023-05-30T12:34:57.734+09:00UNICORNのペケペケ伝説【UNICORNのアルバム『PANIC ATTACK』。左がEBIさんで、右が奥田民生さん】 今回は短めに。 昨年の初夏、約2年間ほっぽらかしていた自主製作の映画『アヒルの狂想曲』の編集を突然再開し、その間、ツイッターをやめるべくアカウントを削除。無風で真夏のギラギラした熱量に耐え凌いでいたかと思えば、秋に再びツイッターを復活。作品を完成させるまでのあいだ、それからその後のウェブ活動構想の、「乾いた家」にいたる一連のメンタリティー(の昂揚)を支えてくれていたのは、実をいうと、UNICORNの「ペケペケ」の曲だったりする。この半年間、どれほど「ペケペケ」を聴きまくっていたことか――。【お洒落すぎず、俗的な魅力のあるUNICORNのメンバー】❖「ペケペケ」伝説? UNICORNの「ペケペケ」には、不思議な昂揚感の魔力がある――と私は信じて已まない。 ところでUNICORN(ユニコーン)とは、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-64990639386809225852023-02-01T07:08:00.004+09:002023-02-01T07:08:41.941+09:00伴田良輔の『眼の楽園』―最後尾の美学【伴田良輔著『眼の楽園』を開けば、そこには美しい女がいた…】 「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉がある。グレシャムの法則と、辞書に出ている。 私がこの言葉を知ったのは、司馬遼太郎著『愛蘭土紀行Ⅰ』(朝日新聞社)であった。司馬さんは、学校の英語の授業で、“Bad money drives out good.”を、「悪銭身につかず」と訳して笑われたという。 悪銭とは、勤労以外のもうけ仕事、あるいは博打で得たお金を指す。だが、若き司馬さんは、“drives out”――悪銭は善人を追い出す――と勘違いしたのだった。 グレシャムの法則でいう悪貨とは、悪銭のことではない。品質が悪く、価値が劣る金・銀・銅の貨幣のこと。ヘンリー八世のやとわれ財務顧問でもあったトーマス・グレシャム(Sir Thomas Gresham)が、エリザベス一世に、《陛下、それはさきに陛下が貨幣改鋳をなさったからです。悪貨はUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-57713458578312854022023-01-30T05:41:00.002+09:002023-01-30T05:41:21.610+09:00坂井清昭の『アメリカの新商売』のこと【これは面白い! 坂井清昭著『アメリカの新商売』】 去年だったか一昨年だったか、KKベストセラーズの既刊目録を眺めていて、〈うむ? これは?〉と思う本に出くわした。坂井清昭著『アメリカの新商売 日本でやればすぐに儲かる』(1971年初版)である。何か面白い教養本はないかと探していたとき、偶然その本のタイトルを見つけたのだった。 幸いにしてその本は、すぐに入手できた。直観してこの本は、1960年代後期の、アメリカの消費文化が覗けるのではないかという期待が膨らんだ。❖坂井清昭という人 大変失礼ながら、私はこの著書を入手するまで、坂井氏のことについて全く無知であった。これを書いている時点、まだその範疇を出ていない。以下、表紙裏の略歴を引用しておく。《昭和三年・東京生まれ。明治大学法学部卒後、リーダーズダイジェスト日本支社、日刊工業新聞社を経て、三十九年経済評論家として独立。預貯金、住宅ローン、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-41869617413420563862023-01-23T05:50:00.000+09:002023-01-23T05:50:17.498+09:00伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』とペタンク【伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』より「ペタンクと焙り肉」】 パリのホテル「カリフォルニア」の、バーテンがつくる「ドライ・マルティニ」は、《パリ一番のほまれ》であると、伊丹十三氏は『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)にそう記している。《大きなミクシング・グラスに氷が一杯はいっている。そこへ、ヴェルモットをちょろりと垂らし、ジンをざぶりとぶっかけて、冷やしたグラスに注ぐだけのことである》――。 パリの最高のイタリアン料理は、「フィレンツェ」のカルボナーラであり、コトレット・ミラネーゼが旨いとも述べた。ただし4人で2万円ふんだくられた――と憤慨して書いているのはご愛嬌。時代は遡って1960年代である。 球技ペタンク(pétanque)について書こうと思っている。 以前より、奇才の作家・伴田良輔氏の、そのプロフィールに、《趣味は球技ペタンク、世界大会出場を目指す》(『奇妙な本棚』より)とあって、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-44749774290065460202023-01-17T14:20:00.010+09:002023-01-19T07:08:22.052+09:00残されたメモ―バグる世界【ザッカーバーグ氏の桃源郷メタバースは何処へ?】 私は日頃、メモ魔である。本を読みながら、新聞を読みながら、映画鑑賞をしていながら、なんとやらのメモをとることが多い。すなわち、衣食住の根幹を支えているのが、このメモのたぐいであり、夕飯のメニューを早朝のうちに書き記しておかないと、いざ夕飯のために何をスーパーで買えばいいのかすっかり困ってしまうのである。メモに魂があり、働く肉体の方は、メモ魔の傀儡にすぎないともいえる。そんな冗談はさておき、いずれにしても、メモを喰いながら暮らしているようなものであるというのは、確かなのだ。 衣食住以外で、とくに文筆のために書いたメモなどは、それこそ必要不可欠なものであり、これが無かったとしたら、私はまるで嘘っぱちのでまかせな文章をウェブ上に撒き散らしていることになる。つまり、大方、メモというのは、ある種の事実性に基づいた記録の断片でなければならず、そういうUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-44155509060635193922023-01-10T06:55:00.002+09:002023-01-10T16:13:21.763+09:00真昼の心霊写真【写っているのは美しい女性なのか?】 思いがけず、身の回りの物品の“断捨離”(だんしゃり)などをして、かつて思い入れのあった品々をざっくばらんに処分したりしたのだが、その勢いに煽られて、ちょっとばかり大きな所有物を処分するまでに至った。先月の話である。 書類を揃えなければならないとなって、役所に行き、印鑑登録証明書や戸籍謄本(必要な目的によって種類がいくつかある)を作成してもらった。そうしてなんとなく、自分の家族の出生だとか入籍だとか除籍だとか、あるいは死亡日だとかの仔細の記述を眺めたりして、血縁者の脈々とした「生」の痕跡に、感慨深げな思いに駆られてしまった。 そもそも“断捨離”とは、個人の念に隠っている、ある種の「煩わしさ」をともなう思い出を、ばっさりと処分することに意義がある――と思っていたのだが、どうもこうして“断捨離”を決行すると、あからさまにそれらの人間関係の「煩わしさ」をUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-74024741369217647082023-01-02T14:31:00.007+09:002023-02-12T22:18:42.665+09:00『ウォー・ゲーム』とコンピューター侵入事件【映画『ウォー・ゲーム』のパンフレットの表紙。二人の顔が画面に映った顔と違う】 かつて、パソコンマニアの高校生が、軍のホスト・コンピューターのネットワークをハッキングし、アメリカと旧ソ連の全面核戦争を引き起こしかねない事態に陥らせた――という驚愕の映画があった。監督はジョン・バダム氏。1983年6月公開アメリカ映画『ウォー・ゲーム』(WarGames)である。主演はマシュー・ブロデリック(Matthew John Broderick)、アリー・シーディ(Alexandra Elizabeth "Ally" Sheedy)、ダブニー・コールマン(Dabney Wharton Coleman)。 日本での公開当時(83年12月)、私は小学5年生であった。この映画が話題を呼んだことをかすかに憶えている。いわゆる平凡なアメリカ人少年が、米ソの全面核戦争を引き起こすなんて――。 既に私の自室には、Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-1174058408173511542022-12-31T06:20:00.005+09:002023-03-04T05:41:19.627+09:00コロナ禍の前途を見据えて【『Sound & Recording Magazine』2020年6月号より】 コロナ禍がそれぞれの活動家にどのような影響を与えたかを振り返ることは、無益ではないはずだ。一つは、民主主義の役割を果たし最善を尽くした例があり、一つは、民意から乖離した強権的な政治によってコロナ禍の被害を拡大させ、皮肉にも民主化運動の呼び水を急進させてしまった例として、顕著なものを提示してみたいと考える。コロナ禍は実体的な被害(あるいは弊害)とは別個の部分で、民衆の心情を刺戟し、いみじくも人類の繁栄への無軌道さに対する警鐘を鳴らしているようにも思われる。➽ベルリンの音楽業界の対応 月刊誌『Sound & Recording Magazine』(リットーミュージック社)で「Berlin Calling」を連載しているのは、ベルリンで活動している音楽ライターのYuko Asanuma氏(@Utarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-16848540498791233672022-12-22T14:21:00.001+09:002022-12-22T14:45:13.712+09:00果てしないツイッター論【全世界のメディアで報道されたマスク氏のツイッター買収騒動】 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でインターネット上の個人・企業その他の投稿の場であるツイッターについて、ここ1年くらいに思っていたことを殊更吐き出してみようかと思っている。これがいわゆる政治家さんたちが連呼して已まない「丁寧に説明していくことが大事だ」――に値するかどうかは、読者の判断に委ねたいと思う。➽ツイッターの問題点とは ツイッターに関していうと、もともと個人や企業その他がインターネット上(厳密にはツイッターのアプリケーション内)でつながっていく、その「コミュニケーションの調和性」(これは作家・博物学者の荒俣宏氏が流用していた言葉を、私が学んで拝借した)に富んだプロトコルが、それ自体の効能であり魅力であると、つねづね私は思っていた。 ところが、ツイートの中味の真偽性(統計や調査結果などによる可視化されたUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-41341452907337743602022-12-15T05:56:00.002+09:002022-12-15T06:09:29.574+09:00「ビューティフル・ネーム」と国際児童年【タケカワユキヒデ率いるゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」】 幼年時代に“英語の混じる歌”を違和感なく歌えたのは、姉のおかげである。 まだ保育所に通っていた頃、テレビドラマ『西遊記』(主演は堺正章、夏目雅子、岸部四郎、西田敏行)のエンディングテーマ「ガンダーラ」(1978年)が好きで、姉に頼んでスーパーのレシートの裏に、歌詞を書き留めてもらったことがある。 “In Gandhara,Gandhara”“They say it was in India”の英詞の部分は、“イン ガンダーラ、ガンダーラ”“ゼイ セイ ワズィ インディア”といったようにカタカナに置き換えて書いてもらったので、すらすらと歌うことができた。「ガンダーラ」は、タケカワユキヒデがヴォーカルの、70年代に大人気だったプログレ・ロックバンド、ゴダイゴ(GODIEGO)の名曲である。➽「ビューティフル・ネーム」のこと ついUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8360486055799266065.post-81974794301033897292022-12-06T07:19:00.001+09:002022-12-06T07:19:16.924+09:00五味彬の『YELLOWS Americans 1.0』【五味彬『YELLOWS Americans 1.0』】 90年代に一世風靡したヌード写真集の伝説的至宝、写真家・五味彬氏の“YELLOWS”シリーズについて永らく追い続け、前回は中国人女性版『YELLOWS 3.0 China』を取り上げた。今回は、その双璧ともいえるアメリカ人女性版『YELLOWS Americans 1.0』を取り上げてみたい。ちなみにこちらの初版は1994年で、『YELLOWS 3.0 China』よりも先行である。 前回書き綴った『YELLOWS 3.0 China』は、撮影そのものが困難を極め、いわば脂汗をひたすら掻くような政治的配慮をめぐった一種の陰謀譚――ハードボイルド的硬派なアドヴェンチャー――が多分に含まれていた。中国ではヌード撮影は厳禁で、捕まれば懲役刑となり、笑い話では済まされなかった。今はどうか知らない――。ここ最近、行き過ぎた行動規制(禁制といUtarohttp://www.blogger.com/profile/10179538523695383976noreply@blogger.com0