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伴田良輔の「筋肉質のキューピッド」

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【伴田良輔著『愛の千里眼』「筋肉質のキューピッド」】  90年代に遡って、河出文庫(河出書房新社)の“日本文学”に類する出版目録を調べてみると、さすがにわが国の一癖ある名うての文庫ということもあって、澁澤龍彦の『エロスの解剖』や『華やかな食物誌』、稲垣足穂の『天体嗜好症』や『A感覚とV感覚』、『少年愛の美学』などの作品が羅列してあるのは、壮観の極みである。そしてまたこれらは、“河出文庫愛”としてもすぐに咀嚼できるものだ。少し毛色の違うところでは、瀬戸内寂聴の『祈ること』、『愛すること』、坂口安吾の『安吾新日本風土記』なども、“河出文庫愛”から通ずる日本文学の底の深さを感じる。  ところで、我が敬愛するヴィジュアリズム文芸作家・伴田良輔氏の河出文庫の出版本は、言わずもがな、“日本文学”のカテゴリーには含まれていない。  この河出書房新社の慇懃な対応に、怒る者は一人もいないであろう。  そう、おそらく、一人も――。  いや、私はあえて、はて――と疑問符を投げかけてみたくなったのだけれど、ご本人様はこれでもご満悦、という節がある。  これは、伴田氏が本屋で『月刊プレイボーイ』を立ち読みしていた時のこと。その雑誌に、ゲージツ家・篠原勝之氏のインタビュー記事があったらしい。本棚の写真に、伴田氏の名著『独身者の科学』(冬樹社版の単行本)の“色盲検査表を素材にした背表紙”が見えたという。稲垣足穂や坂口安吾などの本と並んで、自身の著書が置いてあったことに深く感動。篠原氏の『放屁庵退屈日記』(角川文庫)の本にはなんと、 《興味のない献本は焚本にする》 と書いてあったらしく、自分は篠原氏に献本していないが、その書棚に自身の本が陳列してあることにすっかり有頂天になってしまったという。この話は、伴田氏の『眼の楽園』に拠る。 【河出文庫の伴田良輔著『愛の千里眼』装幀】  いずれにせよ、河出文庫目録における伴田氏の出版本は、ニホンブンガクのたぐいではなく、“教養”という括りの中に、鉄壁の代表作『独身者の科学』と『愛の千里眼』が並んでいることになる。おもわず、某書店のオーナーがくすんと笑うに違いない。  はて――。少々間を置いてから、私は考えてみるのであった。  林美一の『江戸枕絵の謎』とか、岡本綺堂の『風俗明治東京物語』など、絶品で素晴らしいじゃないですか。そうね、それらが“教養”のカテゴリー

大江健三郎「晩年の読書のために」

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【大江健三郎著『「伝える言葉」プラス』(朝日新聞社)】  作家・大江健三郎氏が3月3日に亡くなった――。14日付の朝日新聞朝刊では、「大江文学 戦後精神と歩む」という見出しで、大江氏の来歴や評伝などが掲載された(筆者・吉村千彰)。「民主主義・反戦 問い続け 未来へ」という小見出しでも頷けるように、氏が歩んできた文学的こころざしの高みが偲ばれる。  まことに私的で恐縮ながらも、かつて私が好きだった彼の著作のうちの一つから、“戦後派”といわれた彼の文学的精神を読み解いていきたいと思う。 ❖エラボレーションの極み  大江健三郎著『「伝える言葉」プラス』(朝日新聞社/2006年初版)は、2004年以降、朝日新聞朝刊で月一連載されていた「伝える言葉」の随筆を収録した単行本であり、まだ30代半ばだった私が、手探り状態のインターネット時代をどうとらえ、生き抜くかの遠視的旗標となった随筆集であった(装幀画は舟越桂)。  この本に(というか連載の一つに)、「晩年の読書のために」という稿がある。大江氏はその頃既に、 《もう先の見えている自分》 と括り、自身の“晩年”という観念を強く抱いて執筆していたことがわかる。ただし、多少の〈若い者に負けてたまるか〉という気負いの部分の謙遜が、含まれていたかと思われる。  私が“大江文学”というものを直視し、初めて彼の書き物に対して個人的な雑感を抱いたのは、まことに恥ずかしながら、20代を過ぎただいぶ後のことだった。  一言でいって、“大江文学”とはたいへん「難解」な、その彼の執筆する「巧妙なる構文」を読み解くのに苦労した――という点で、一筋縄ではいかぬ慎重さを覚えたのは忘れもしない。  これについては、勝手な解釈として、彼がフランス語で思考した論理的な構文を、日本語にそのまま置き換えているせいだ――と思っているのだけれど、いずれにせよ、そうしたことから、今でも彼の書き物を読む私側の癖――すなわち読解に神経を尖らせる難儀な作業――は、かえって私自身の「あらゆる書き物に対する読解力」が鍛えられたというか、よい経験になったと自負している。  実際、「晩年の読書のために」においても、そこにはいくつかの論旨が複雑に絡んでいて、「難解」といえば「難解」なのである。いまここで、一つの段落を例に取り出し、それを掻い摘まんで説明するとするならば、こういうことになる。

疫病レイブのこと

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【『Sound & Recording Magazine』2020年11月号「Berlin Calling」】  ここ最近、好んで夜にレヴォン・ヴィンセントの 『Levon Vincent』 (2015年/Novel Sound)を聴いている。  ウイスキー党の私がうつらうつらしている時に聴く音楽は、クラシックであれジャズであれ、あるいはサンフランシスコの小さなガレージ・スタジオで黙々と重ね録りされたであろうチープなサウンドであれ、いったん耳から脳内にその音の波長がインプットされた時点で、森羅万象の一事象にすぎないのである。知的な作業というよりは、いかに揺りかごの中で気持ち良くいられるかだ。  レヴォンのファースト・アルバムは、喩えていえば、ポータブルなゲーム機で何の気なしに遊ぶ“単純なゲーム”でありながら、どこか際立って毒気があり、薄気味悪さもあり、かつカット野菜にドレッシングをかけ、その歯ごたえと酸味を味わいつつ、過剰な審美性に反応して即座に歯磨きを始めてしまうような、素っ頓狂的な感覚の、デオドラントの装いがある。染み出た彼の本質が、そういう音楽性を創造しているといえなくもなかった。  尤も、これまで私がオルタナティブの音楽を愉しんできた――例えば、 『Oh! Penelope』 (1995年/MUTSUSHI TSUJI and ZENTARO WATANABE)のサウンドの、イメージとしての“青空の解放感”だとか、ベトナムのニンビンの日当たりのいい屋内で、その間接光を浴びながら外の鳥や虫や風の音を混入させつつ録音された『Ninh Binh Brother's Homestay』(2020年/玉置周啓&加藤成順)のような――心地良い空気感とは、レヴォンの創る音楽性は、まるで次元の違うハウス系ミュージックであることは、百も承知である。  レヴォンに関していえば、彼の創造物生産の拠点がベルリンであることに、私の音楽的嗜好の特異点を見出しているのは、自分でも少しざわざわとした興奮と驚きをもって、何か奇妙な出会いを経験したかのような新しさを感じるのであった。ちなみに、レヴォンのファースト・アルバムについては、高橋勇人さんのレヴューが詳しい( [ele-king.net] )。 ❖「Berlin Calling」  ベルリンのクラブシーンを注視し続けてい

恋するベアー―性教育関心への定点観測

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【私のときめくベアーへの想い。ベアーが好きだ】  ある写真を眺めていて、ベアーのぬいぐるみが素敵だと思った。そしてまた、ある本を読んでいて、そのベアーの人形が、あまりに精巧で愛くるしく、食べてしまいたいと思った――。  写真の方は、エドワード・スタイケン(Edward Steichen)の『THE FIRST PICTURE BOOK EVERYDAY THINGS FOR BABIES』とmas氏の撮ったベアー(当ブログ 「幸福に捧ぐるはベアーの編みぐるみ」 参照)のことであり、本の方は、これから紹介する性教育の本のこと。いずれにしても私が、沈鬱のコロナ禍の中で、幼心の〈ベアーが好き〉という潜在的な観念を思い起こしたことからきている。この意味がなんなのかについては、実はとてつもなく謎なのだ。 ❖ウェブサイトと性教育本  40代半ばにさしかかり、著名な芸術家たちの性表現とセクシュアリティの源泉を理解したい――という思惑が、根底にあった。我がサイト [男に異存はない。性の話。] を開設したのは、6年前の2017年7月29日のことで、いわば教養のない自己に対する勉強会のつもりだった。日本の公教育の現場では、昭和の頃の性教育とほとんど変わり映えしないのではないかという危惧が、重要なとっかかりとなったのだ。  もともとウェブ名は、[男に異存はない。包茎の話。]だった。2017年8月1日の当ブログに、ウェブサイトの開設紹介を発信している( 「男に異存はない。包茎の話。」 )。当初、ウェブサイトのテーマを男性の性徴や生理に絞っていた理由は、それくらいの部分でしか確実に学べないのではないかという自信の無さがあったからだ。 【小学生の時初めて出合った性教育の本】  ところで2017年というと、元号はまだ、平成(29年)だった。  どういった年だったか――。世相を少しばかり振り返ると、今や大人も子どもも心をときめかせる画期的なゲーム機「Nintendo Switch」が発売され、稀勢の里が日本人としては19年ぶりに横綱に昇進。棋士の藤井聡太四段(当時)がプロデビュー以来29連勝を果たし、早実の清宮幸太郎さんが高校野球で大活躍。ちなみに清宮さんは、のちの9月の試合で111号ホームランを打つ。アメリカでは1月にトランプ大統領就任。国内の政治絡みのトピックでは、森友学園と加計学園の問題で世

映画『微熱少年』のこと

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【REBECCAのシングル「Monotone Boy」】  その昔、演劇部を中途退いて、お互いに疎遠になっていた 友人H が、中学3年になったばかりの春、1枚の7インチバイナル(シングルレコード)を貸してくれた時のことを、私はかすかに憶えている。  バイナルは、ロック・バンドREBECCA(Vo:Nokko、Drums:小田原豊、Bass:高橋教之、Gt:古賀森男、Key:土橋安騎夫)の「Monotone Boy」(1987年4月22日発売)であった。この曲は、松本隆監督の映画『微熱少年』(1987年6月公開)の冒頭のタイトルバックに流れるテーマ曲である(作詩/松本隆、作曲/土橋安騎夫、編曲/REBECCA)。  Hが、『微熱少年』を観た後にバイナルを貸してくれたのか、あるいはその前だったのか、貸し借りの微妙な時期については、判然としない。だがもし、あの時のHが、『微熱少年』を観た後にバイナルを貸してくれたのだとすれば、「Monotone Boy」の“貸し”は、かなり意味合いの濃い、あの映画から想起される、言葉にできないまでの私に対する痛烈なメッセージだったのではないか、と思うのだ。したがって、それを借りた時の怠惰な私の、無自覚で無頓着で冷淡な態度は、彼に大きな失望の念を抱かせ、揺るがぬ失意の決定打になったに違いないのである――。私はこのことについて、触れておきたかった。 ❖『微熱少年』のこと  ビートルズ世代の青春群像を描いた松本隆監督の渾身の映画『微熱少年』――。原作者で作詞家・ミュージシャンである松本氏所縁の曲々が、随所にちりばめられた恰好のノスタルジックな半自叙伝的映画。主演は斉藤隆治、西山由美(由海)、広田恵子、関口誠人、広石武彦。  つい先日、私はこの映画を観たのだった。「Monotone Boy」が流れるタイトルバックで、そこに映し出されていた青い海面が、異様なまでに光り輝いていた。  夏の湘南・葉山――長者ヶ崎の海岸にちっぽけなテントを張って、じわじわと溢れ出る青春の血潮をバンド仲間とすごそうという男子高校生たち。その一人の名は、島本健といい、ドラマーでもある彼が、この映画の主人公である(松本氏もドラマー)。  彼はその砂浜にて、吉田という男の率いるロックバンドと出会い、吉田と意気投合。吉田はどういうわけか、恋人の優子と別れ、健と優子を付き合わせよう

UNICORNのペケペケ伝説

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【UNICORNのアルバム『PANIC ATTACK』。左がEBIさんで、右が奥田民生さん】  今回は短めに。  昨年の初夏、約2年間ほっぽらかしていた自主製作の映画 『アヒルの狂想曲』 の編集を突然再開し、その間、ツイッターをやめるべくアカウントを削除。無風で真夏のギラギラした熱量に耐え凌いでいたかと思えば、秋に再びツイッターを復活( @twittutaro_7 )。作品を完成させるまでのあいだ、それからその後のウェブ活動構想の、 「乾いた家」 にいたる一連のメンタリティー(の昂揚)を支えてくれていたのは、実をいうと、UNICORNの「ペケペケ」の曲だったりする。この半年間、どれほど「ペケペケ」を聴きまくっていたことか――。 【お洒落すぎず、俗的な魅力のあるUNICORNのメンバー】 ❖「ペケペケ」伝説?  UNICORNの「ペケペケ」には、不思議な昂揚感の魔力がある――と私は信じて已まない。  ところでUNICORN(ユニコーン)とは、奥田民生(ヴォーカル&ギター)、EBIこと堀内一史(ベース&ヴォーカル)、川西幸一(ドラム&ヴォーカル)、Tessyこと手島いさむ(ギター&ヴォーカル)、ABEDONこと阿部義晴(キーボード&ギター&ヴォーカル)の5人のメンバーによるロックバンドである。  彼らのメジャーデビュー以降の音楽活動は、80年代後半から90年代初めの、私の中学高校時代にぴったりとリンクする。1993年にバンドは解散しているが、個々の活動期を経て、2009年に再結成している。ちなみに「ペケペケ」(1988年7月発売のアルバム『PANIC ATTACK』収録)の時は、ABEDONさんはまだサポートメンバーであった。  つい先日、高校3年の時(1990年)に付けていた日記を断捨離したのだが、ベースギターを友人の友人より安価で譲ってもらった云々が書いてあって、あの頃のロックバンド熱の影響をもろに受けていたのを思い出す。  私個人は、音楽的趣味としてブラック・コンテンポラリーに傾倒していたし、R&Bとか、ロックといえば マッカートニー あたりを聴いていたが、少なくともUNICORNの曲は、自分ではほとんど聴いていなかった。ただ、ラジオではUNICORNはよく流れていたし、友達の持っているSONYのウォークマンのカセットテープに、UNICORNの曲が録音され

伴田良輔の『眼の楽園』―最後尾の美学

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【伴田良輔著『眼の楽園』を開けば、そこには美しい女がいた…】  「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉がある。グレシャムの法則と、辞書に出ている。  私がこの言葉を知ったのは、司馬遼太郎著 『愛蘭土紀行Ⅰ』 (朝日新聞社)であった。司馬さんは、学校の英語の授業で、“Bad money drives out good.”を、「悪銭身につかず」と訳して笑われたという。  悪銭とは、勤労以外のもうけ仕事、あるいは博打で得たお金を指す。だが、若き司馬さんは、“drives out”――悪銭は善人を追い出す――と勘違いしたのだった。  グレシャムの法則でいう悪貨とは、悪銭のことではない。品質が悪く、価値が劣る金・銀・銅の貨幣のこと。ヘンリー八世のやとわれ財務顧問でもあったトーマス・グレシャム(Sir Thomas Gresham)が、エリザベス一世に、 《陛下、それはさきに陛下が貨幣改鋳をなさったからです。悪貨は良貨を駆逐します》 のような進言をしたとされる。司馬さんの悪貨云々の話は、あっけなくこれで終わっている。  通貨として制度上、同価の貨幣であっても、質の高い貨幣(例えば銀よりも金を多く含有)は手放したがらず、質の劣る貨幣(例えば銀よりも銅を多く含有)の方を、ふだんよく使うだろうというところで、グレシャムの法則のことばは、あらゆる人間社会の本質的な合理と不合理が見え隠れする部分をあぶり出しているわけだが、さて、この貨幣の価値の話を、“書籍の本質的な値打ち”に当てはめてみても、通用するであろうか。  例えば、一方に、伴田良輔の稀にみる名著がある。もう一方に、シェイクスピアの美しい装幀の全集本があるとする。あなただったら、どちらの本を売りに出しますか?――。  これに関して私自身は、心情的に、答えに窮するところがある。なぜならば、伴田氏の著書が好きだからだ。単純な思いつきで、彼の本を手放したりはしない。私にとって、それは価値のある本と思っているのだ。  しかしながらごく一般的に、80年代から90年代において、圧倒的に“立ち読み派”の読書愛好家に好まれたであろう伴田氏の名著群について、「悪貨は良貨を駆逐する」の法則ではないが、普及本としての意義は、やはり敷居の高いシェイクスピアの全集本を圧倒的な量で駆逐していたのではあるまいか――という仮説は、じゅうぶんに成り立つかもしれないと思

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