投稿

12月, 2004の投稿を表示しています

☞最新の投稿

アイリッシュ・ウイスキーとジョイスの話

イメージ
【世界最古の蒸留所が誇るアイリッシュ・ウイスキー「キルベガン」】  朝日新聞が毎月第1日曜日に発行する特別紙面[朝日新聞グローブ](GLOBE)のNo.245は、興味深いウイスキー特集だった。その紙面のトップページにあった写真に、思わず私は眼を奪われたのだ。それは、ウイスキー・グラスに注がれた琥珀色の液体が、揚々たる深い海と化し、そこに突き出た南極大陸の氷山を思わせる氷の塊の、なんとも美しい風景――。  この世に存在する桃源郷とは、そのようなものなのだろうか。写真の下に、それとなく村上春樹氏の言葉が添えられていた。 《あらゆる酒の中ではウィスキーのオン・ザ・ロックが視覚的にいちばん美しい》 (『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』新潮文庫)。  私はしたたかにこのウイスキー特集を読んでから、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の本を開いた。ウイスキーのオン・ザ・ロックがこの世で最も美しい酒の姿であるとするならば、ジョイスの小説は、男にとっても女にとっても、破廉恥で最も穢らわしい毛皮をはいだ自己の内面の姿を、目の前の鏡の中に見出す瞬間を与えてくれるものであり、その傍らに寄り添うウイスキーは、みすぼらしい本当の《私自身》と“親しい友”でいてくれる、最良の飲み物なのである。  ゆえに私は、心からウイスキーを愛している。 【[朝日新聞グローブ]No.245「ウイスキーの時間」】 ➤GLOBEの「ウイスキーの時間」  特別紙面のウイスキー特集のメインテーマは、「ウイスキーの時間」。コロナ禍で「家飲み」が増えたという。どの国においても、家族や友人知人と共にバーやレストランなどで酒を飲み交わす機会が減ったというわけだ。そんなご時世でも尚、ウイスキーは世界的なブームだそうである。むしろビールやワインとは違い、ウイスキーはもともと孤独を愛する人々が嗜む酒の代名詞であったから、「家飲み」の需要が底上げしたのかも知れない。  とは言いつつも、ウイスキーは近頃、ハイボールという飲み方でもたいへん愛されてきているから、女性が好んで“軽くウイスキーを飲む”という機会が増えているせいなのだろう。  紙面全体の内容を大雑把に要約すれば、スコッチの生まれ故郷以外の国でも――勿論日本も含まれる――新しいウイスキーが次々と誕生しているという。  ここでいう新しいウイスキーとは、伝

蔵と柳の町

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2004年12月28日付「蔵と柳の町」より)。 〈一〉私とEOS Kiss  銀塩一眼レフカメラ「Canon New EOS Kiss」を買ったのが、1998年の暮れ。滅多に体調を崩さない自分が、珍しく大風邪でダウンしたのでよく憶えている。翌年、その真新しいカメラを引っ提げて、栃木県栃木市を歩いて撮影。さらにその翌年の2000年、もう一度訪れて、栃木市の町を撮影している。  正直に言ってしまおう。一、あの当時は金がなかったこと。二、“イオス・キス”だなんて、口にするのは恥ずかしいし、カメラのボディも女性向けに感じたこと。三、一眼レフカメラなんて、怖々使っていたし、何を撮っていいのか良くわからなかったこと。  「写真を撮る」ということと「歩く」ことが同義であるとすれば、栃木市に行ったことは、私にとって始めの一歩であったし、本格的に写真を撮る原点であったと言っていい。「本格的に」というのは、何を指しているのか。つまり、何かを心に秘めて、その心を写真というかたちで表現したいと志したこと…を指している。  皮肉屋が皮肉屋に対して訊く。じゃあ今は、何かを心に秘めて、それを写真というかたちで表現したいのか、と。  その「何か」って、いったい何なんだい?  いったい、どんな心なんだい?  皮肉屋は、言葉に窮すわけでもなく、にやりと笑うわけでもなく、ただひたすら、あの時訪れた栃木市の町の風景を思い起こそうとしていた。  少なくとも私は、あの時、買ったばかりのEOS Kissで、最もおぞましい「作例写真」を撮るために、そこへ訪れたわけではなかったことは、何よりも救いではあった。買ったカメラが良いカメラか悪いカメラかを知るために、風景を撮ったのではない。もう少し単純な、その瞬間の風景に居合わせていた自分を見つけたくて、そこへ行ったのではなかったか。  やはり当時お金がなかった私は、その町の風景を写真に収めたお礼の代価として、その町にお金を「落とす」こともせず、まるで無言で素通りしていく素っ頓狂な男を演じ切り、その町を去ったのである。そう、旅人でもなく、また招かれた客人でもなかった。  どこでそんなことを覚えたのか、私はあの最初に買った一眼レフカメラを、

写真に残すということ

イメージ
※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2004年12月8日付「写真に残すということ」より)。 【子供時代、既に廃屋であった川島商店】  昔、よく買いに行った駄菓子屋がある。  昔、よく通った道がある。  数年前の写真、数十年前の風景…。  そしてその記憶。  その頃、何をして遊んだかについては、記憶として具体性に欠けるのだが、学校が終わって、友達の家に行き、そしてどこかの場所へ移動して、めいっぱい遊んだという、漠然とした身体の名残はある。時間を忘れて遊ぶものだから、気がつくと、あたりは薄赤い夕焼けに染まっていて、それが帰る時間だということを教えてくれた。 【神社の境内の石畳】  小学校高学年にもなると、そういうふうに外をかけずり回る遊びはしなくなり、もっぱら室内でパーソナル・コンピュータ(当時はマイコンと呼んだ)に夢中になるのだが、遊び場の記憶というのは、意外と残っているものなのではないか。そこで何をしたかは思い出せない。しかし、そこに何があったか、どんな人がいたかは、思い出せる。誰かが、あるいは小学生であった自分が、カメラを持って、自分たちの遊びを写真に収めていたら、それはどんなに痛快で、価値のあるものであるかを大人になって気づかされるだろう。  小学校の卒業アルバムには、畏まった自分たちが、教室の中で整列し、あるいは何気ない給食の風景をとらえてくれていたりするものの、放課後のことは何も教えてくれない。誰の卒業文集を読み返しても、そうである。修学旅行へ行ったこと、自分の学習態度がどうであったかということ、中学へ行ったら何をしたいかということ、作文の趣を変えたとしても、クラブ活動がどうだったかということが関の山で、自分が放課後に、誰とどんな遊びをしたかは、誰も書かなかったのではないだろうか。 【別の神社の敷地にて。子供の頃よくここに来て遊んだ】  学校という場から抜け出た、もう一つのフィールド。それは書き残してはいけないことだったのか。遊びは、記憶から忘れてよいもの、排斥してよいものだったのか。自分たちの遊びの風景を、もし誰かが写真で記録していたとしたら、それは本当に価値あるもの、貴重な自分史となったのではないか。  残念ながら、私の手元にそのような記録