蔵と柳の町

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2004年12月28日付「蔵と柳の町」より)。

〈一〉私とEOS Kiss

 銀塩一眼レフカメラ「Canon New EOS Kiss」を買ったのが、1998年の暮れ。滅多に体調を崩さない自分が、珍しく大風邪でダウンしたのでよく憶えている。翌年、その真新しいカメラを引っ提げて、栃木県栃木市を歩いて撮影。さらにその翌年の2000年、もう一度訪れて、栃木市の町を撮影している。
 正直に言ってしまおう。一、あの当時は金がなかったこと。二、“イオス・キス”だなんて、口にするのは恥ずかしいし、カメラのボディも女性向けに感じたこと。三、一眼レフカメラなんて、怖々使っていたし、何を撮っていいのか良くわからなかったこと。

 「写真を撮る」ということと「歩く」ことが同義であるとすれば、栃木市に行ったことは、私にとって始めの一歩であったし、本格的に写真を撮る原点であったと言っていい。「本格的に」というのは、何を指しているのか。つまり、何かを心に秘めて、その心を写真というかたちで表現したいと志したこと…を指している。

 皮肉屋が皮肉屋に対して訊く。じゃあ今は、何かを心に秘めて、それを写真というかたちで表現したいのか、と。
 その「何か」って、いったい何なんだい?
 いったい、どんな心なんだい?
 皮肉屋は、言葉に窮すわけでもなく、にやりと笑うわけでもなく、ただひたすら、あの時訪れた栃木市の町の風景を思い起こそうとしていた。

 少なくとも私は、あの時、買ったばかりのEOS Kissで、最もおぞましい「作例写真」を撮るために、そこへ訪れたわけではなかったことは、何よりも救いではあった。買ったカメラが良いカメラか悪いカメラかを知るために、風景を撮ったのではない。もう少し単純な、その瞬間の風景に居合わせていた自分を見つけたくて、そこへ行ったのではなかったか。
 やはり当時お金がなかった私は、その町の風景を写真に収めたお礼の代価として、その町にお金を「落とす」こともせず、まるで無言で素通りしていく素っ頓狂な男を演じ切り、その町を去ったのである。そう、旅人でもなく、また招かれた客人でもなかった。

 どこでそんなことを覚えたのか、私はあの最初に買った一眼レフカメラを、3年目に寝かし込み、やがて別のカメラを買うために、下取りしてしまった。結局、その最初のカメラで、あの町に居合わせる自分自身を発見することはできなかったのである。

〈二〉2004年・藏のまちへ

 1999年の時は、エッセイにも書いた通り、帰りの駅での、学生たちが印象的であった。しかも、その雰囲気が非常に抒情的で、カメラを片手にどこかの町へ行くことの面白さを知った、私にとっての始めの一歩であったのだ。あの町の藏や川を写真に撮るという意味では、それは過去2回ばかりの散策で、既に完結していたのかもしれない。確固たる被写体がそこにあり、たとえ何を撮っていいのかわからない自分であっても、とりあえず写真らしいものはできるだろう、という読みもあったのは確かだ。
 そうして、2004年の暮れ。私の、あの町に対する気持ちは、どこか突き抜けてしまっていた。最悪、何も撮れなくてもいい、そこに立ち止まったり歩いたりすればいい、と。
 手持ちの一眼レフカメラは、銀塩からデジタルへと変わる。EOS 20D。だがそのカメラを持った感覚は、あのEOS Kissとほとんど変わっていない。EOSはEOSである。むしろ、微妙に変わったのは、私自身の眼差しだ。この町に、古びた藏や川が流れていることは周知している。私の態勢は、他者に対する鋭い“物見”ではなく、懐かしい町に対する柔らかな“物見”へと変わったのである。

 今回、大通りを初めて歩いた。ちょっとした買い物をするのに都合がよい商店街となっている。当然、交通量も多く、賑やかだ。昼飯に、鴨肉の入った蕎麦をいただき、さらに腹を満足させようと、「蕎麦ぜんざい」をもたいらげた。
 食卓の上には、EOS 20Dが置いてある。この時間のカメラは、まったくの置物である。今日はもう寒いから、写真は撮るまい――と心で言う。心というのは、時に自分に対しても嘘をつくもんだと思った。

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