投稿

5月, 2005の投稿を表示しています

☞最新の投稿

早熟だったブルージン・ピエロ

イメージ
35年前の、私の中学生時代の回想――演劇部の部長に仄かな恋心を抱き、さだまさしの「軽井沢ホテル」を聴きながら、夢うつつの日々を送っていた――ことは以前書いた(「さだまさしの『軽井沢ホテル』」参照)。小学4年生の時、既に《失恋》という暗澹たる想念の災いを子供ながらに経験して、それから3年が過ぎようとしていた中学1年の夏の、演劇部での仄かな恋心というのは、総じて早熟な恋模様の、いわゆる中学生らしからぬ――あるいはまさにこれこそが悶々とした思春期の中学生らしさか――《破廉恥な領域》の行き来を意味していたのである。  演劇部の部長(3年生)が意外なほど、大人びて色気づいていたせいもあった。「軽井沢ホテル」とはまた別のかたちで、曲の中の主人公に自分を見立て、夢の中を彷徨っていた月日――それが稲垣潤一の歌う「ブルージン・ピエロ」であった。
§
 1985年の夏。その頃の私の嗜好の営みは、深まりつつある夜の時間帯の、ラジオを聴くことであった。ラジオを聴き、初めて稲垣潤一の粘っこい、粘着質のある歌声を発見して、心が揺さぶられたのである。レコード・ショップに駆け込んで7インチのシングルを買うという行動に移ったのは、「軽井沢ホテル」とまったく同様だ。ただし、濃厚だったのは彼の声質だけではなかった。この「ブルージン・ピエロ」の独特のメロディと歌詞の、その大人の恋の沙汰の印象が、あまりにも何か、まるで暗がりの中の不明瞭な色彩を示唆しているかのようで、言わば《破廉恥な領域》の気分を刺戟したのである。五分刈りの頭部が一人の少年の羞恥心の、そのすべてを記号化していた中学1年生の自己の内面では、それがまだ充分には咀嚼できずに、消化不良を起こしていたのだった。そうして次第に、自身の恋沙汰の象徴からこの曲は除外されていった。 《下手なジョークで 君の気をひこうと 必死な ブルージン・ピエロ 下手なダンスで 君を離さないと ささやく ブルージン・ピエロ 君の気持ちはもう 決っていたのに 僕だけ 知らない》 《あの時 君は大人で そして優しくて バカだな 僕はそのまま 愛を信じてた 今でも 今でも 僕は ブルージン・ピエロ》 (稲垣潤一「ブルージン・ピエロ」より引用)
 歌詞にしても、また全体の曲の雰囲気からしても、「ブルージン・ピエロ」の熱気と予感めいた破局というものは、中学生の心にはあまりにも理不尽に早すぎた。イントロはエロテ…

蔵書森―松本清張と恩師を知る旅

イメージ
※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2005年5月26日付「蔵書森―松本清張と恩師を知る旅」より)。

1.旅行く前の余波
 学校法人・千代田学園の大まかな沿革はこうである。
 1957年、その母体である「千代田テレビ技術学校」が開校発足。1971年には、「千代田ビジネスカレッジ」開校。専修学校として認可されたのは1980年のことで、「千代田工科芸術専門学校」「千代田ビジネス専門学校」(のちに「千代田海洋科学ビジネス専門学校」と校名変更)となる。マンモス校と呼ばれる。
 2002年、経営破綻により、民事再生案の手続きを申請。校地校舎を無届けで売却した資産保有義務違反によるもの。2004年、最後の学生達200名以上が卒業。同年12月17日、東京都は私立学校審議会の答申を受け、学校法人・千代田学園の解散を命令。
 私はその千代田学園(千代田工科芸術専門学校)の卒業生である。  在籍していた2年間のうち、最初の1年でマスコミとジャーナリズムについての授業を受けた。その授業の講師は、元朝日新聞記者でエッセイストの秋吉茂先生であった(主な著書には、『美女とネズミと神々の島』『遙かなり流砂の大陸』がある)。  私のノートには、その時の授業の内容がびっしりと書き記されており、そのノートは現在も大切に保管してある。ジャーナリズムの狭義と広義、人格権、プライバシーについて、少年法、肖像権、情報公開法、誤報・虚報などが講義テーマに挙げられていた。印象に残っている講義は、新藤兼人監督の映画『裸の十九歳』のモチーフになった、昭和43年の「連続短銃魔事件」である。この時の秋吉先生の講義は、実に冷静で力強く、学生達に訴えかけるものであった。
 先生は1917年(大正6)福岡生まれである。白髪で、骨太を思わせるずっしりとした体格。普段は、か細い眼でクシャッと笑顔を見せる。が、真剣な話になると、その顔が一変してきりりとと引き締まった。甲高い声はどこか九州人らしい特徴を持っていて、その声の印象も忘れることができない。
 私が在籍していた1992年当時では、75歳であったろうか。  ある講義の冒頭で、秋吉先生は、自身の中央アジアへの旅について話していただいた。その時のことについて、当時の私の日記には以下のような記述があったので引用する。
〈平成3年10月11日:…秋吉先…

鉄道について考える―JR福知山線脱線事故から

イメージ
※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2005年5月26日付「鉄道について考える―JR福知山線脱線事故から」より)。
観客を楽しませる術と作法の問題
 鉄道という乗り物を「映画」に見立てる。  人や物を輸送する映画、という意味ではない。  人や物が移動する際の、その時間の、ありとあらゆる夢想を膨らませてくれる「映画」なのである。
 そう考えると、誰が「作り手」で誰が「見る側」かはっきりする。  作り手には、作るための術があるし作法があり、見る側にも術があって作法があるべきだ。
 福知山線脱線事故。  双方にとって、上映フィルムが途中で切れてしまうということはあってはならないことだ。  フィルムが切れて見えなくなってしまえば、映画は台無しだからだ。  だがその事故は、フィルムが切れるばかりでなく、その切れたフィルムの片が観客の首筋を切り裂いて殺すような、夢想を膨らませるどころではない、凄惨な現場となってしまった。
 鉄道を映画に見立て、あの事故をそのようなたとえ話にすること自体、不謹慎であるのは承知である。  だが判りきったはずの術と作法が、無造作に踏みにじられたということは、たとえばなしをしないとわからない人間が、この世の中に生きているということでもある。  それは、自分自身かもしれない。
 松本清張の『点と線』の中で、鉄道は殺人トリックに利用され、真の犯罪者を霧の中に隠蔽させた。  鉄道は、それほど深い霧の中に存在するのだろうか。