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5月, 2005の投稿を表示しています

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私はデュシャンの「泉」を観た

先月23日――。JR上野駅の公園口を出ると、空はまったくの濃灰色に染まっていた。まもなくぽつぽつと雨が降り始め、私は足早に公園内を通り抜けた。そそくさとライカのカメラをバッグにしまい込みながら――。  向かうは東京国立博物館(東博)。東博の平成館にて催された、“東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展”なる冠の『マルセル・デュシャンと日本美術』を観覧したのである。  率直に言って今回の目的を述べると、私はその特別展で、“便器”(urinal)が観たかったのである。皓々と光に照らされ恥ずかしげな面持ちの、urinalの姿。それを粛々と見届けたいという思い。デュシャンの、最も有名な“男性用小便器”が暗がりの中で浮かび上がっていた。
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 念願の、urinalを観る目的は達せられた――。  1917年、デュシャンの「泉」(Fontain)。フィラデルフィア美術館所蔵、1950年のレプリカ。磁器製小便器。  そもそもデュシャンの作品を知ったきっかけは、20代の半ばである。彼が「フランス生まれ」であるとか、「20世紀現代美術の巨匠」であるとか、「抽象主義」であるとか、「チェスが得意」であるとか、そういった情報は頭の中にからきし無かったあの頃、偶然にして唯々その一点のみ、つまりそのurinalの写真を、ある本の中で目撃したのだった。  その本とは、宝島社の『図説 20世紀の性表現』(編・著は伴田良輔)である。しかしあくまで私は、その本で、1900年代の性表現クロニクルの位置づけとして、デュシャンの作品すなわちあの真っ白な磁器製のurinal=「泉」の写真を見たに過ぎなかったのだった。何故これが性表現に値するのか理解せず、むしろ通り一遍の解釈を用いようとすれば釈然としない写真でもあった。その時代のクロニクルとしては、モンパルナスのモデルのキキ(Alice Prin)の存在の方が、遙かに重要に思われた。  当時の私の頭の中では、こういうことが駆け巡っていた。何故このurinalが、デュシャンの「泉」という作品なのか。また本来、小便器として実際に設置して使用する場合の向きは、その有名な「泉」の写真を見れば分かるとおり、被写体urinalの正面中央に当たる排水口の部分が底部になければならず、それをわざわざこのような向き(横向き)にして作品とした意図とはいったい何なのか…

蔵書森―松本清張と恩師を知る旅

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2005年5月26日付「蔵書森―松本清張と恩師を知る旅」より)。

1.旅行く前の余波
 学校法人・千代田学園の大まかな沿革はこうである。
 1957年、その母体である「千代田テレビ技術学校」が開校発足。1971年には、「千代田ビジネスカレッジ」開校。専修学校として認可されたのは1980年のことで、「千代田工科芸術専門学校」「千代田ビジネス専門学校」(のちに「千代田海洋科学ビジネス専門学校」と校名変更)となる。マンモス校と呼ばれる。
 2002年、経営破綻により、民事再生案の手続きを申請。校地校舎を無届けで売却した資産保有義務違反によるもの。2004年、最後の学生達200名以上が卒業。同年12月17日、東京都は私立学校審議会の答申を受け、学校法人・千代田学園の解散を命令。
 私はその千代田学園(千代田工科芸術専門学校)の卒業生である。  在籍していた2年間のうち、最初の1年でマスコミとジャーナリズムについての授業を受けた。その授業の講師は、元朝日新聞記者でエッセイストの秋吉茂先生であった(主な著書には、『美女とネズミと神々の島』『遙かなり流砂の大陸』がある)。  私のノートには、その時の授業の内容がびっしりと書き記されており、そのノートは現在も大切に保管してある。ジャーナリズムの狭義と広義、人格権、プライバシーについて、少年法、肖像権、情報公開法、誤報・虚報などが講義テーマに挙げられていた。印象に残っている講義は、新藤兼人監督の映画『裸の十九歳』のモチーフになった、昭和43年の「連続短銃魔事件」である。この時の秋吉先生の講義は、実に冷静で力強く、学生達に訴えかけるものであった。
 先生は1917年(大正6)福岡生まれである。白髪で、骨太を思わせるずっしりとした体格。普段は、か細い眼でクシャッと笑顔を見せる。が、真剣な話になると、その顔が一変してきりりとと引き締まった。甲高い声はどこか九州人らしい特徴を持っていて、その声の印象も忘れることができない。
 私が在籍していた1992年当時では、75歳であったろうか。  ある講義の冒頭で、秋吉先生は、自身の中央アジアへの旅について話していただいた。その時のことについて、当時の私の日記には以下のような記述があったので引用する。
〈平成3年10月11日:…秋吉先…

鉄道について考える―JR福知山線脱線事故から

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2005年5月26日付「鉄道について考える―JR福知山線脱線事故から」より)。
観客を楽しませる術と作法の問題
 鉄道という乗り物を「映画」に見立てる。  人や物を輸送する映画、という意味ではない。  人や物が移動する際の、その時間の、ありとあらゆる夢想を膨らませてくれる「映画」なのである。
 そう考えると、誰が「作り手」で誰が「見る側」かはっきりする。  作り手には、作るための術があるし作法があり、見る側にも術があって作法があるべきだ。
 福知山線脱線事故。  双方にとって、上映フィルムが途中で切れてしまうということはあってはならないことだ。  フィルムが切れて見えなくなってしまえば、映画は台無しだからだ。  だがその事故は、フィルムが切れるばかりでなく、その切れたフィルムの片が観客の首筋を切り裂いて殺すような、夢想を膨らませるどころではない、凄惨な現場となってしまった。
 鉄道を映画に見立て、あの事故をそのようなたとえ話にすること自体、不謹慎であるのは承知である。  だが判りきったはずの術と作法が、無造作に踏みにじられたということは、たとえばなしをしないとわからない人間が、この世の中に生きているということでもある。  それは、自分自身かもしれない。
 松本清張の『点と線』の中で、鉄道は殺人トリックに利用され、真の犯罪者を霧の中に隠蔽させた。  鉄道は、それほど深い霧の中に存在するのだろうか。