投稿

8月, 2007の投稿を表示しています

☞最新の投稿

ティーンエイジャーはなぜ問題行動を起こすのか

イメージ
私は10年ほど前にその数年間、余程の理由もなく気晴らしに――それもかなり熱っぽく『ナショナル ジオグラフィック』(NATIONAL GEOGRAPHIC)の日本語版(日経ナショナル ジオグラフィック社)を定期購読していた。通称“ナショジオ”は知っての通り、ネイチャー&サイエンス系の月刊誌である。子どもから大人まで、購読者の年齢層は幅広い。何と言っても“ナショジオ”は、表紙から中身から、視覚中枢を圧倒するかのようなフォトグラフィックの雨嵐で、構図的な美や色彩の艶やかさに魅了され、私はその頃、この月刊誌のファンだったのだ。  そうしたふくよかな書物の残滓は、私の手の中でかろうじてあった。購読していた当時の本は今や、“2011年10月号”の1冊しか残っていなかった。その号の表紙のイラストはサム・ハンドレー氏で、水彩絵の具を丸一日撒き散らした、らしい。眼に焼き付いてしまうくらい、印象的な表紙である。
§
 この号の特集記事「ティーンズの脳の驚異」が、斬新なサイエンス・フラッグとしてたいへん読み応えがあったのだった。内容は、「思春期の若者は、なぜ厄介な問題行動を起こすのか」がテーマである。ちなみに表紙の見出しは、「解明されるティーンズの脳」となっていた。“ナショジオ”日本語版の、本の中身における各種標題は、このように厳密な標題にこだわっていない。したがって、どの標題がどの記事を指しているのか、少々分かりづらいことがある。  ともかく、まずは本当のことを言おう――。  私は当時(2011年9月)、これをまったく読んでいなかったのである。この雑誌が書棚の片隅に未開封の“ポリ袋状態”で差し込まれたまま、およそ8年間――いっさい手を触れることなく眠っていたわけである。本を開いたのはごく最近のことだ。そうして記事の「ティーンズの脳の驚異」を読んだら、思いがけずこのテーマへの関心の度合いが高まったのだった。
 この特集記事のフォトグラフ――撮影場所はほぼすべてテキサス州のオースティン――だけを見ていっても、そのあざやかさに思わず引き込まれてしまう。フォトグラファーは1987年生まれのアメリカ・フロリダ州出身、ビジュアル・デザイナーであるキトラ・カハナ(Kitra Cahana)氏。彼女のサイトに掲載してあったアートワークで、“Still Man”が私は好きだ(おそらくその被写体の男…

ニルヴァーナ『In Utero』

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2007年8月15日付「ニルヴァーナ『In Utero』」より)。
 ニルヴァーナ『In Utero』を鑑賞。――このアルバムの演奏を聴くまでの数日間、カート・コバーンの人物像あるいはニルヴァーナのサウンドに対するリスナーの様々な批評、そしてあながち無関係ではない、三島由紀夫の「文化防衛論」に偶然ながら触れた――。
 カート・コバーンがこのアルバム発表の翌年に自殺したという流れを考えると、相当ネガティブな要因が絡んでいると思わざるを得ない。前作『ネヴァー・マインド』で商業ベースに乗るためのニルヴァーナが構築されたが、彼らは厳格な自分たちのサウンドを取り戻し追い求め、それらは大概、インディーズからの猛烈な批判と侮蔑に苛まれ、その大衆化への転向を否定するためなのだが、強烈なる『In Utero』が生まれた。  しかし私は、客観的に聴いて、このアルバムのサウンドが将来的なニルヴァーナのサウンドになり得たとはまったく思わない。またある種の時代の金字塔であるとも思わない。カート・コバーンのきわめて私的な、極私的な心の内面を記録したことは言うまでもないが、それはきわめてmasturbationに近いものである。と同時に、彼の音楽的才能が、いよいよ枯渇してきた、という印象すら浮かぶのだ。
 ある程度のリズムの変化は見られるものの、彼の放屁的メロディラインはどれも似たようなもので、多少変化のあるバッキングにそれをかぶせたに過ぎないと言ったら言い過ぎであろうか。しかし彼は愚直にその個人的問題に葛藤したはずで、ドラッグに溺れた背景には、自分の才能への疑問符が消えなかったことにあるのではないだろうか。