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8月, 2007の投稿を表示しています

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酒と女と『洋酒天国』

今年に入って時折、シェリー酒なんていうのを飲んだけれど、その他はほぼ確実に、毎夜、ウイスキー一辺倒である。スコッチとアイリッシュである。スコッチは、シングルモルトのグレンリヴェットが美味かったし、いま飲み続けている12年物のザ・バルヴェニーも、スコッチならではのコクがあって美味い。思わず唸ってしまう。  アイリッシュはオールド・ブッシュミルズのブレンデッド。こちらはつい先日、空瓶になった。酒に関しては、日本酒の地酒よりもアイリッシュのラベルの方が親近感がある。おかげでここ最近は、サントリーのトリスも角瓶も遠のいてしまっていて、ジャパニーズ・ウイスキーを忘れてしまっている。あ? そう、かれこれしばらく飲んでいない「山崎」も「白州」の味も、もうてんで憶えちゃいないんだな、これが…。とここはひとまず、肴にもならぬウイスキー談義で嘯いておこう。
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 お待ちかね壽屋PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第4号は、昭和31年7月発行。表紙はお馴染み、坂根進氏作のフォト&イラストのコラージュ。  昭和31年(1956年)は、“太陽族”や“ゲイボーイ”といった言葉が流行った年である。ちなみに“太陽族”(タイヨウゾク)とは何のことでございましょう? もはや死語に近いと思われるので、語源について書いておく。  同年、第34回芥川賞を受賞した石原慎太郎の短篇小説『太陽の季節』が新潮社から刊行された。この短篇小説は大いに物議を醸した。そこから“太陽族”という言葉が生まれたのだけれど、ここでは敢えて、Wikipediaからその意を引用してみる。
《『太陽の季節』の芥川賞受賞を受けて『週刊東京』誌で行なわれた石原慎太郎と大宅壮一の対談で、大宅が「太陽族」との言葉を用いたことから、特に夏の海辺で無秩序な行動をとる享楽的な若者(慎太郎刈りにサングラス、アロハシャツの格好をしている不良集団)のことを指す言葉として流行語化した》 (Wikipedia“太陽の季節”より引用)
 “太陽族”のみならず、社会の乱れた風紀を取り締まる、という公安的気概が、この時代にはあった。時代の要請でもあった。私は溝口健二監督の遺作映画『赤線地帯』(主演は京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子)が好きである。あれも5月に公布された“売春防止法”に絡んだ話であった。この年の7月には、横山光輝の「鉄人28号」が月刊『少年』(…

ニルヴァーナ『In Utero』

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2007年8月15日付「ニルヴァーナ『In Utero』」より)。
 ニルヴァーナ『In Utero』を鑑賞。――このアルバムの演奏を聴くまでの数日間、カート・コバーンの人物像あるいはニルヴァーナのサウンドに対するリスナーの様々な批評、そしてあながち無関係ではない、三島由紀夫の「文化防衛論」に偶然ながら触れた――。
 カート・コバーンがこのアルバム発表の翌年に自殺したという流れを考えると、相当ネガティブな要因が絡んでいると思わざるを得ない。前作『ネヴァー・マインド』で商業ベースに乗るためのニルヴァーナが構築されたが、彼らは厳格な自分たちのサウンドを取り戻し追い求め、それらは大概、インディーズからの猛烈な批判と侮蔑に苛まれ、その大衆化への転向を否定するためなのだが、強烈なる『In Utero』が生まれた。  しかし私は、客観的に聴いて、このアルバムのサウンドが将来的なニルヴァーナのサウンドになり得たとはまったく思わない。またある種の時代の金字塔であるとも思わない。カート・コバーンのきわめて私的な、極私的な心の内面を記録したことは言うまでもないが、それはきわめてmasturbationに近いものである。と同時に、彼の音楽的才能が、いよいよ枯渇してきた、という印象すら浮かぶのだ。
 ある程度のリズムの変化は見られるものの、彼の放屁的メロディラインはどれも似たようなもので、多少変化のあるバッキングにそれをかぶせたに過ぎないと言ったら言い過ぎであろうか。しかし彼は愚直にその個人的問題に葛藤したはずで、ドラッグに溺れた背景には、自分の才能への疑問符が消えなかったことにあるのではないだろうか。