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9月, 2010の投稿を表示しています

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私はデュシャンの「泉」を観た

先月23日――。JR上野駅の公園口を出ると、空はまったくの濃灰色に染まっていた。まもなくぽつぽつと雨が降り始め、私は足早に公園内を通り抜けた。そそくさとライカのカメラをバッグにしまい込みながら――。  向かうは東京国立博物館(東博)。東博の平成館にて催された、“東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展”なる冠の『マルセル・デュシャンと日本美術』を観覧したのである。  率直に言って今回の目的を述べると、私はその特別展で、“便器”(urinal)が観たかったのである。皓々と光に照らされ恥ずかしげな面持ちの、urinalの姿。それを粛々と見届けたいという思い。デュシャンの、最も有名な“男性用小便器”が暗がりの中で浮かび上がっていた。
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 念願の、urinalを観る目的は達せられた――。  1917年、デュシャンの「泉」(Fontain)。フィラデルフィア美術館所蔵、1950年のレプリカ。磁器製小便器。  そもそもデュシャンの作品を知ったきっかけは、20代の半ばである。彼が「フランス生まれ」であるとか、「20世紀現代美術の巨匠」であるとか、「抽象主義」であるとか、「チェスが得意」であるとか、そういった情報は頭の中にからきし無かったあの頃、偶然にして唯々その一点のみ、つまりそのurinalの写真を、ある本の中で目撃したのだった。  その本とは、宝島社の『図説 20世紀の性表現』(編・著は伴田良輔)である。しかしあくまで私は、その本で、1900年代の性表現クロニクルの位置づけとして、デュシャンの作品すなわちあの真っ白な磁器製のurinal=「泉」の写真を見たに過ぎなかったのだった。何故これが性表現に値するのか理解せず、むしろ通り一遍の解釈を用いようとすれば釈然としない写真でもあった。その時代のクロニクルとしては、モンパルナスのモデルのキキ(Alice Prin)の存在の方が、遙かに重要に思われた。  当時の私の頭の中では、こういうことが駆け巡っていた。何故このurinalが、デュシャンの「泉」という作品なのか。また本来、小便器として実際に設置して使用する場合の向きは、その有名な「泉」の写真を見れば分かるとおり、被写体urinalの正面中央に当たる排水口の部分が底部になければならず、それをわざわざこのような向き(横向き)にして作品とした意図とはいったい何なのか…

学生必携

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2010年9月23日付「学生必携」より)。

〈1〉学校の追憶
 卒業生である私にとっては不慮の事象であるとしか言い様のなかった、学園の倒産劇からだいぶ月日が流れた。  私は千代田工科芸術専門学校の音響芸術科を1993年に卒業している。  上野の下谷にあったその学校へは、上野駅の入谷口改札から、あの長い通路を通り抜けて、鶯谷方面へ、いくつかのモーターサイクルショップが集合した道に沿って歩いていく。やがて交差点に辿り着けば、交差点の向こうに小さな喫茶店が見える。その先の細い道を1分ほど歩いた所に、学校の通用口があった。主に学生はこの通用口を利用した。
 その学校で2年間勉強したノートやテクスト、参考資料のたぐいは私の大事な宝物となっている。それはその中身の充実性とは関係のない部分においても、内面の問題として重要であった。学校がその数年後に消えて無くなることは考えもしなかったが、今となっては、その2年間の学習の痕跡こそが、私にとって学校の《母体》そのものとなっているからだ。
 卒業して学校が消えるまでの数年間、上野駅へ近づく電車の窓から、建物の壁に模された巨大な時計が目印となって、その度に学生時代を追憶した。無論、校舎の窓から生徒が顔を出していたし、それが本当の意味での追憶となることなど知るよしもなかった。  あれは、卒業後7、8年が経過した頃。強い郷愁の念に駆られてわざわざ下谷に赴き、学校の食堂へ入ってみることを思いついた。さらにその「3階にある食堂脇の購買部でペラを買おう」とも企てた。ペラとは、200字詰めの原稿用紙(半ペラ)のことだ。  ところが行ってみると、その校舎はなかった。工事によって取り壊され、建物の廃棄物で埋め尽くされていた。別館の建物はまだその時残存していて、私は手持ちのカメラで写真を撮ることができた。いずれにしても生徒らの姿はどこにもなかった――。
〈2〉学生必携の発見
 学校法人・千代田学園の一連の倒産劇について、私はあまり関心を抱かなかった。1990年代後期以降の少子化あるいは経営に問題があったかなどによって、1,000人を下回る劇的なほどの生徒数減少。それによって巨額の負債を抱え、不正な経理の問題も発覚した。負債総額8億7900万円。2002年に民事再生手続きを申請、2004年に…

世界ジャンボ旅行ゲーム

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年9月14日付「世界ジャンボ旅行ゲーム」より)。

 小学生の頃、私はたいへんな“ボードゲーム狂”でした。放課後ともなると、たびたび友人達を自宅に招き、ジュースやお菓子を頬張りながらボードゲームをハシゴしました。  ボードゲームはおそらくその頃、十数個持っていたと思いますが、そのうちの一つ、「世界ジャンボ旅行ゲーム」は特に面白かった印象の強いゲームの部類に入ります。
 内容及びルールはこんな感じです。 ●4人まで参加できます。同額の旅行費が各プレイヤーに配られます。 ●それぞれプレイヤーは、カタログの中から好きな“旅行テーマ”を選び、盤上にチェックポイントを設置します。どの旅行テーマもチェックポイントの数は同じです。 ●スタートは全員“東京”発で、選んだテーマのチェックポイント地点をすべて旅行し、一番早く東京に戻ってきたプレイヤーが勝ちです。 ●世界旅行の基本的な乗り物はジャンボ機ですが、4つのエリア(北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジア)の主要空港からは、それぞれ小型飛行機、鉄道、ジープ、船舶に乗り継ぎ、チェックポイントを回ることができます。 ●盤上の地球マップは時刻儀となっており、ルーレットの指示によって時刻が動きます。 ●世界旅行をするには、ジャンボ機の発着時刻表をもとに、航空チケットを購入しなければなりません。現在地点の時刻を把握し、次の発便時刻を確認し、チケットを購入します。その時刻になった時点でジャンボ機は離陸します。深夜の離陸はありません。朝になるまで動けません(宿泊)。尚、乗り遅れた際のチケットの払い戻しはありません。 ●中途、手持ちの旅行費がなくなった場合、アルバイトをすることができます。1時間経過することに2,000ドルずつ支給されます。その間、別の空港に移動すなわち旅行することはできません。
 …といった感じで、簡単に言えば「日本特急旅行ゲーム」の世界版なのです。旅行テーマもバラエティに富んでいて、今で言う世界遺産巡りとか、ショッピングを楽しむとか、アドベンチャーを体験するとか、そういうテーマだったと思います。
 バラバラに散らばったチェックポイントを誰よりも最速に回るためには、それなりのテクニックが必要になります。ジャンボ機は時刻によって発着が制御されるので、互いのプ…

ある市民運動会の写真より

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年9月9日付「ある市民運動会の写真より」より)。

 ついこの前の日曜日、友人が鬼怒川の龍王峡に行きたいというので、東武鉄道で龍王峡に行ってきました。
 関東の北、それも山と谷の中の鬼怒川は比較的涼しいだろうと思っていたら、とんでもなく蒸し暑い、関東一円どこも暑さは変わらず、といった具合でした(この日は30度を超えた真夏日)。唯一、龍王峡にある「虹見の滝」の真正面はひんやりとしていた…のですが、上り下りのハイキングコースのごくごく一部を歩いただけで汗が噴き出し、鬼怒川で納涼というわけにはいきませんでした。
 帰りに鬼怒川公園駅近くの温泉に立ち寄り、これまた汗の噴き出す熱い湯に浸かって、“気分的な”涼を楽しみました。
 さてその日はカメラを持っていきませんでした。個人的には珍しいことなのだけれども、最近はケータイカメラで用を足してしまうことが多くなりました。ブログ用の画像なら、ケータイのカメラで十分…といった気持ちがあるせいか、あの猛暑の中をカメラ片手に歩き回るのは、かなりしんどいし、友人も同伴しているのでその点で省いたわけです。
 自宅にある古い写真アルバム――大凡、父がOlympus TRIP35で撮影した――はどっしりと大きなアルバム帳で、それが数個分あります。ほとんどが家族を写したスナップです。
 数年前それらを整理した結果、そのうちのごく一部の写真のネガフィルムがあることがわかりました。そうしてそれをデジタルスキャンして保存してあるのですが、デジタル処理を施すと、オリジナルのネガフィルムの特性を超えて美しくなる場合があります。従ってそれは、劣化していない当時のネガの状態からプリントした最良の画質という意味ではありません。しかしそれでも敢えてデジタル処理すれば美しくなる。
 もう30年以上前のネガフィルムにあった、市民運動会のスナップ。全体が青みがかっていたのを修復して純正な白色を引き出しました。すると30年以上前とは思えない写真に。
 まるで最近撮影したかのような写真に見えても、やはり写り込んでいるあらゆる被写体の、その時代を表した造形は、決して2010年の今の、日本のとある町の様子ではない。表されるのは造形のみならず、人々の活気、表情の時代性のようなもの、流行や嗜好に基づいた服装・髪型…

上野大仏の話

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年9月1日付「上野大仏の話」より)。
 昨日は国立科学博物館を参観した後、久しぶりに上野恩賜公園を散策しました。真夏の日差しが照りつける中を。
 ――学生時代、上野の公園は私にとって恰好の暇つぶしの場でした。
 午前の授業が終わり、昼休みを挟んで午後の授業は「14時から」などとなっている曜日は、紫煙を燻らせた校内の食堂で時間を潰すのも退屈するので、とぼとぼと駅の入谷口から改札を通って公園口に抜けるか、あるいはゆるりと浅草口のあたりを素通りして交差点を渡り、聚楽レストラン近くの石段から公園へ向かうルートで上がっていき、園内を1周して森林浴を楽しみ、余った時間は丸井の書店でさらに時間を潰す…などということをしていました。
 そんな時間を持て余していた時であっても、「上野大仏」へはまったく立ち寄らなかった――。
 学生時代、そんなものがあることを、なんとなく“噂”では聞いていた程度でした。…あまりにも不運としか言いようがない幾度の罹災により大仏は顔面のレリーフのみとなり安置されている…パゴダ様式の祈願塔がある…といったどこからかの“噂”が、いつの間にか私の頭の中でいい加減に組み合わさり、“パゴダの像…パゴダの像”とまったく見当違いな言葉が刻み込まれて、ずっとそれが記憶の中にありました。
 「上野大仏」は上野精養軒の程近いところにあります。  個人的な好みですが、私は奈良の大仏のように整然とした顔立ちよりも、この上野の大仏(釈迦如来)の顔立ちの方が東洋然としていて好きです。おそらく大仏が全身で安置されていれば上野恩賜公園の名所となっていたと思うのですが、レリーフと祈願塔のみのせいか訪れる人も少なく、ここはいつもひっそりとしています。私が昨日訪れた際は、二人の外人観光客がカメラを片手にやってきていました。
 それでも尚、私の頭の中では、それは“パゴダの像”なのです。