スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

11月, 2010の投稿を表示しています

☞最新の投稿

『洋酒天国』―南米の葡萄酒と罪と罰

当ブログの2014年5月27日付でヨーテンの第44号を既に紹介している。「『洋酒天国』とペルノー」である。最近、懐かしくなってその第44号を手に取って読み返してみた。その中身の内容の充実さと比較して、自分が書いたブログの本文が、随分と物足りないものに思えた。4年前の本文では、サガンとフランスのリキュール酒ペルノーの話に終始しており、粗末とまでは言わないが、ヨーテンの中身の紹介としては、ちょっと天然すぎて調味料的旨味が足りないし味気ない。悔いが残るというか、気分的にもこのままでは体に悪い。ならば――再び第44号を紹介しようではないか、ということで、異例なことながら今回は、『洋酒天国』第44号“再登板”なのである。 §
 壽屋(現サントリー)のPR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第44号は昭和35年3月発行。この年(1960年)を振り返ってみると、ちょうど安保闘争が最高潮に過熱していた頃で、4月にはサドの小説『悪徳の栄え』で猥褻表現が問題視された訳者の澁澤龍彦が起訴されている。いわゆる“サド裁判”である。さらにこの年は、西田佐知子さんの「アカシアの雨が止む時」が流行。いま聴いてもこの歌はいいし、この人の声はとてもチャーミングで男心をくすぐる。西田さんと言えば、いまでも容易に、庶民派の日本酒“菊正宗”のコマーシャル・ソングでその美声とコブシを聴くことができる(曲名は「初めての街で」)。
 昭和35年に日本公開された映画を一つ挙げる。ウィリアム・ワイラー監督のアメリカ映画、チャールトン・ヘストン主演の『ベン・ハー』。これは、ユダヤの青年を主人公にしたキリスト誕生に絡む冒険譚で、言わば泣く子も黙る大長篇映画であった。上映時間は212分。約3時間半と恐ろしく長い。  『ベン・ハー』については、中学校時代の鈍色の思い出がある。おそらく卒業式間際だったのだろうと記憶しているが、正規の授業をほとんどやらない3学期のいずれかの頃、教室で『ベン・ハー』を観る羽目になった。実はその日一日、3学年の授業は限りなくほったらかし状態となったのである。“自習”という授業の名目で、午前から午後にかけて、教室のビデオデッキに『ベン・ハー』のビデオテープがかけられた。担任の先生がレンタル・ショップから借りてきたビデオテープと思われる。  授業を長くほったらかしにするには、何かビデオを流せばいい。それも…

「月刊少年チャンピオン」のホビー通販

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2010年11月25日付「『月刊少年チャンピオン』のホビー通販」より)。

 小学生の頃、愛読していた少年コミック雑誌というと「月刊少年チャンピオン」「週刊少年サンデー」「週刊少年ジャンプ」であった。(「少年マガジン」は自分の中で何故か除外していたことになる。読みたかったコミックが前者の3つにあって、たまたま後者にはなかったせいであろうが、それ以上の理由は特にない。)ちなみに、私が小学生の頃――は小学1年時が1979年(昭和54年)、小学6年時が1984年(昭和59年)の頃で、巷に電子玩具、電子ゲーム、パーソナル・コンピュータが溢れ出した時代である。
 少年コミック雑誌について言えば、それに対する個人的な好き嫌いの推移があった。低学年の頃は“どおくまん”や山上たつひこ氏のコミックが好きで「月刊少年チャンピオン」をよく買って読み、高学年になるとほぼ「週刊少年ジャンプ」一辺倒になり、『キャプテン翼』『キン肉マン』などを愛読した。ただし、中学生になるとぴたりとコミック雑誌を買わなくなった。私自身の一般的なコミックに対する愛情の温度は、中学生の頃に急激に低下したことになる。
 私の少年時代の初期に愛読していた「月刊少年チャンピオン」。その裏表紙に、ユニークなホビー通販広告が毎号掲載されていたのを今でも憶えている。これについては、エッセイ「『モリ』ちくのう錠の謎の女性」でも触れているが、ここにその一文を書き出しておく。
《小学生の時分、少年雑誌の裏表紙に掲載されていた、玩具通販の広告は好きだった。だから毎号よく目を通していた。覚えている商品を少し列記してみる。
●紫色をしたボール状のマグネットを掌で転がし、血行を良くする類の健康器具。 ●歯を白くする歯磨き粉「セッチマ」。 ●缶詰に入った「金のなる木」。 ●好きなイラストを拡大縮小自由に贋作できるアーム状の筆記用具。 ●小型スパイカメラ+現像器具一式。
等々…》
 厳密には、そのユニークなホビー通販の広告のみを鮮明に憶えていて、それがどのコミック雑誌であったかについては逆に無頓着であった。近年になってもう一度この広告を見てみたいと熱望するようになり、実際に入手すべき少年コミック雑誌はどれかを検討したところ、先述した少年コミック雑誌の愛読遍歴から推理して「月刊…

土曜喫茶室

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年11月22日付「土曜喫茶室」より)。

 ブログ8月17日付「私のラジオの思い出」の余話。
 先日入手した『FMレコパル』を見ていてふと思い出したのです。当時中学生だった我々が、どんな「ラジオ番組ごっこ」をしていたか。
 『FMレコパル』の番組表1986年2月2日日曜日、NHK-FMの欄。  12:15~14:00枠の「日曜喫茶室」。
 この日の出演者欄には、〈はかま満緒/岡崎満義/安藤優子、ゲスト:森下郁子(淡水生物研究所副所長)/関野吉晴(医師、探検家)〉とあり、テーマは〔秘境、アマゾンを診察する〕。曲目未定となっています。
 つまり、当時我々が真似をした番組が、この「日曜喫茶室」でした。
 マスター役、ウェイター役(「日曜喫茶室」ではウェイトレス)、常連役、そしてゲストをキャスティングし、気儘なトークを進行するというもの。我々の方は土曜の昼に放送していたので、「土曜喫茶室」というタイトル。
 喫茶店のイメージに相応しいジャズをバックで流し、オープニングの決め台詞を台本通りにしゃべってもらい、音楽を1曲挿入して、あとは自由なトーク。ただし、ウェイターが司会進行役を果たし、常連役の鋭いツッコミ、それに受け答えするゲスト、ボケて笑いを誘うのがマスター役と役割は決めてあったので、「日曜喫茶室」同様、完璧な演出でした(笑)。何度も言うように、全員中学生が演じていた、というのがミソです。
 中学生の話題というのは実に限られたもので、あるゲスト中学生を呼んだ時は、やはり話題が修学旅行の顛末になるわけです。
 そもそもこの我々ラジオ仲間は同級生なので、同じ宿部屋で修学旅行を経験しました。それがとんでもない修学旅行で、1日目、2日目、3日目と三夜続けて担任の逆鱗に触れ、怒鳴られるわ正座させられるわの始末。番組のトークではその顛末の根本的責任者は一体誰なのか――という核心に。
 俺は被害者だ…俺も被害者だ加害者ではない…などと口論になり、挙げ句の果てには、マスター役の彼が事件当日、寝言を放ちながら爆睡していた話を暴露され、とんでもないトークに発展していきます。
 とは言いつつ、仲の良いグループなので、最後はきっちり決め台詞を台本通りにしゃべって番組終了。無論、「日曜喫茶室」のような品のある知的な番組などでは…

伊藤整の「青春について」

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2010年11月18日付「伊藤整の『青春について』」より)。

 高校3年の国語の授業において、個人的に想起するものは、唐木順三の「疎外されることば」であり、柳田国男の「清光館哀史」の授業であることは他の稿で述べた。  その教科書を、最初から最後まですべて読み通すことはついになかった。授業としてもそうであった。年間学習行程などの都合があり、3分の1もしくはそれ以上が省かれ、1年が過ぎてしまった。そのことは当時、まったく無頓着で思うところは何もなかったが、今その教科書を懐かしく手に取る度に、工業高校故の無反動を決め込んだ怠惰を思わずにはいられない。
 いかなる理由があったか知るよしもないが、「評論」の章の題材になっていた伊藤整の「青春について」(『知恵の木の実』に拠る)は、おそらく授業というかたちになっていなかったかと思われる。ただし、個人的に何度か、当時この評論を読んだりはした。  その頃、自ら読書感想文の課題にした武者小路実篤の『友情』と比較して、伊藤整の「青春について」の内容は、後者が著しく短い評論でありながらも、桁違いに難解な主題であった。教科書の【学習の手引き】にある《この文章の論旨をたどって、「青春」と「所有」の関係について筆者はどう考えているか、確かめてみよう》の詰問からして難解で、著者自ら〈四十歳代の末がやって来ている私にとっても、それが完全に終わったと言うことはできない〉と述べている以上、18歳の私がそれを理解するには、よほどの経験と見識がなければならないではないか、と生真面目に憤慨したほどだ。
 日夏耿之介の詩の一節から、伊藤は「(青春の)所有」という言葉を引き出した。いま考えればこの詩が重要な意味をもっていると理解できるが、注釈によれば、日夏耿之介の『転身の頌』の中の「Une Jouissance」の一節とある。
《われ賛美す たしかなるみづからのもちものについて われは最初にもつとも不可思議なる青春なり (中略) われは独りなり われは青春く われは繊弱し されどわれは所有す 所有は五月の曲江のやうに照りかがやき はつ夏の日輪のやうに撫愛しむ》
 伊藤はこう述べている。 《青春が所有するもの、それは、全人生である。それは、いわば、地球を自分は所有していると考えるのと同様であり、人生というものを全部…

学校の広告

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2010年11月17日付「学校の広告」より)。

 古い雑誌などを必要に応じて収集している際、偶然ながら「千代田工科芸術専門学校」の広告に目が止まる。少なくともこうした広告で学校名を覚え、高校の進路指導の分厚い資料で改めて学校の情報を得る――というようなかたちを経て私はここを入学したことになる。  古い広告自体にも味わいがあるが、かつて専門学校系の広告は特に味わい深いものがあった。「インターネットの無かった時代」というのを必ず枕詞にしなければ、こうした広告の性質は、なかなか理解されないかもしれない。
 さて、もう一つの意味合いとしては、千代田工科芸術専門学校の情報をできるだけ手元に置いておきたい、というのがある。  いちばん基本的なことで言えば、この学校でどれだけの課程科目があったか、私はすっかり記憶の片隅すらも忘却していた。こういった失われた記憶の部分を、残存している情報源から断片的に取り戻すことで、自分が卒業した母校の全体像を留めておこうとする試みである。
「千代田テレビ電子学校」時代の広告
 あるカメラ雑誌にあった千代田の広告なのだが、学校名が「千代田テレビ電子学校」となっている。非常に古い雑誌なので学校名も旧名である。  学園の沿革を調べてみると、1964年にまず「千代田テレビ技術学校」として上野に1号館が完成する。そして1972年に「千代田テレビ電子学校」と改名。1980年には「千代田工科芸術専門学校」となるから、72年から80年の間の広告であることがわかる。その当時の専攻科目を抜粋してみる。
○放送芸術科  ・テレビ専攻  ・ラジオ専攻 ○演劇文芸科  ・演劇専攻  ・文芸専攻  ・ジャーナル専攻 ○映画芸術科  ・テレビ映画専攻  ・CM専攻  ・ドキュメンタリー専攻  ・アニメーション専攻  ・劇映画専攻
 ちなみに、広告の中の教授陣に記されてある、「作家=秋吉茂」氏は私が在籍していた当時(1991~93年)でも現役の講師で、私も秋吉先生のジャーナリズムの聴講を受けていた。
雑誌『FMレコパル』の中の広告
 たまたま入手した1986年の『FMレコパル』(No.3関東版)にも学校の広告があった。当然、学校名は「千代田工科芸術専門学校」となっていて、おそらく私はこの頃の広告を度々“拾い見”…

岸田劉生の『道路と土手と塀』

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2010年11月11日付「岸田劉生の『道路と土手と塀』」より)。
 私のブログのエッセイ「教科書のこと」では、高校時代の国語の教科書(筑摩書房)について触れています。
 この国語教科書の思い入れがあまりにも強いため、高校卒業の数年後、ある高校1年生の後輩に、
「中学校の国語の教科書をもっていたら譲って欲しい。できれば3年分」
 と頼み込んだら、何の躊躇もなく、3冊の国語教科書を譲り受けることができました。ところが…。
 やはり思い入れという点では母校の、自分が使い込んだ教科書以外、耽読することはありませんでした。当たり前の話ですが、その教科書を使ったその授業に、自分がどう対面したかの度合いによって、思い入れもさることながら勉学の痕跡を知る手がかりの深みは違います。他人の使った教科書には、その深みは到底感じ得ない。単に他人がそこにメモを残した「落書き」に過ぎないのです。
 私が大事に保管していたその国語教科書を開くとすぐ、ある絵画が目に飛び込んできます。
 岸田劉生の『道路と土手と塀』です。
 これから国語を学ぶというのに、この絵は一体どんな意味が込められているのか。
 それにしても…もし僕がこの絵の中に入り込んで、土面の坂のような道を上へ歩くとしたら、さぞかし船酔いならぬ徒歩酔いをするのではないか…。むしろ坂の上のその先は急激に下っているかもしれぬ。いや、崖かもしれぬ。へたをすると大怪我をするぞ。…それよりもっと気になるのは、手前に長く伸びた柱のような影だ。まるですべてが明らかのように見えるが、実は何も見えていないのではないか…。
 そんなふうに私は当時、この絵を見て思いました。
 教科書にあるその画の解説文を引用しておきます。
《道路と土手と塀 岸田劉生 1915年作
「地軸から上へ押し上げているような力が、人の足に踏まれ踏まれて堅くなった道の面に充ちているのを感じた。そこに生えてる草は土に根を張って、日の方へ伸びている。自分は、これこそ、自分の眼でみるものだ、セザンヌでもゴッホでもない、と感じた。」と、劉生は言う。「切り通しの写生」とも呼ばれるこの名作には、日常風景に深い精神的な美を発見した作者の感動が、単純な構図と克明な描写によって表現されている。
明治の先駆的ジャーナリスト、岸田吟香の四…

教科書のこと

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2010年11月11日付「教科書のこと」より)。※2018年12月13日に加筆修正しました。

 筑摩書房の『高等学校用 国語Ⅱ二訂版』という高校3年時の国語教科書が今でも書棚に残っている。表紙の抽象的なデザインの、その索漠とした印象と「秋山虔・猪野謙二・分銅惇作 他編」という文字が妙に重々しい。昭和63年3月31日(文部省の)改訂検定済の表記がある。実際に私が高校3年時にこの教科書を使ったのは、1990年(平成2年)のことだ。  私が当時この教科書を捨てずに残そうと思った明確な理由は、今となっては判然としない。が、おそらく、国語という教科に対する幾分かの興味以上に、やはりその教科書の装幀と中身の滋味ある文体に惹かれ、後々もそれを眺めていたい、中身に触れてみたいという欲求があったからではないだろうか。実際、その他の教科書はすべて処分してしまったが、ここにその一冊のみが、過去の歳月を経ても尚、現存しているのである。
 目次からその内容を書き出してみる。 筑摩書房『高等学校用 国語Ⅱ二訂版』目次
ことばと生活小説(一)古典(一)―古代の歌―表現(一)―文章を書く―随想現代詩漢文(一)―古代の詩文―古典(二)―『枕草子』と『源氏物語』―小説(二)評論短歌古典(三)―芭蕉と西鶴―漢文(二)―先哲のことば―表現(二)―表現を磨く―ことばと文化
◎三春駒  筑摩書房のこの教科書を、まったくの情趣抜きで語ることはできない、と私は考える。  第1章の「ことばと生活」の冒頭頁に、福島県産“三春駒”の写真が添えられていた。例に挙げれば第4章の「表現(一)―文章を書く―」の冒頭頁には、本郷菊坂の路地の写真がある。この章中の「塵の中」の著者は樋口一葉であり、自ずとその写真との関連性が浮かび上がる。他の章も同様である。しかしながら第1章における“三春駒”は非常にわかりづらい。
 第1章は唐木順三著「疎外されることば」と長田弘著の「ことばとつきあって」であり、その内容と直接関係ないように思われる。長田氏は福島県出身で、彼の文章の中に、《どうもわたしの成長した東北の地方都市の周辺は、日本語のなかでのいわば無アクセント地帯ともいうべきところに位置するらしくて――》とあり、福島という点では関連性があるが、“三春駒”には行き着かない。