フーガと鳥の歌の話

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年11月17日付「フーガと鳥の歌の話」より)。

 “音響芸術科”の学生だった頃、優れた音響を聴きたいのなら、カザルスへ行きなさい、というようなことを講義で教えられ、ノートにもそのように書いておいたことがあります。しかし私はそれ以上の行動を起こさなかったのだけれども、後にドイツ製のパイプオルガンが設置されたというニュースを知って、そのうち、昔よく聴いていたバッハの「前奏曲とフーガ」をそのパイプオルガンで聴いてみたいものだ、と勝手気ままな夢想をしたのを憶えています。

 昨年、カザルスホールは閉館。

 いま私は、読み終えたジョイスの本を書棚に戻し、1ヶ月半前に戻ってグールドの平均律クラヴィーアCDを聴こうと思う。タイムマシン――。

 ――昨日の朝日新聞朝刊、大江健三郎先生の「定義集」(【もうひとつの前奏曲とフーガ】「胸掻きむしりたくなること」)を拝読して、「前奏曲とフーガ」のこと、そしてカザルスホールのことを再び思い出しました(ブログ「ダブリンとU2」参照)。

 私が昔よく聴いていたフーガは、イ長調でした。1980年代前半(小学生の頃)、所有していた8ビットパソコン「PC-6001」に雑誌で目にとまったフーガイ長調の演奏プログラムを打ち込み、ちょっと風変わりなフーガを何度も“RUN”して聴いていたのです。

 荘厳なパイプオルガンを据えたカザルスホールは客席数511席とこぢんまりとしており、平均吸音率24~21%、残響時間1.8秒だったとのこと(1999年『ぴあホールMAP』より)。一度もここを訪れることがなかったことを悔やみます。

 「定義集」で大江先生が述べられている“ドリア調”を聴いてみると、確かに重苦しく、暗く、息が詰まる感じがする。《第三発目の原爆》の話になぞらえて、いっそう深刻な趣にも聞こえます。空想でも絵空事でもなんでもなく、日本の現実のこと。

 カザルスホール復活という夢が叶うのなら、私はパブロ・カザルスのチェロの、「鳥の歌」を聴いてみたい。彼とそしてカザルスホールの平和の希求という願いは、新たな出発の日を迎えた日本にとって、忘れてはならない基礎となるはず。えらく乱暴に通り過ぎてしまった記憶の中の音楽を、私は一つ一つ確かめながら耳にすり込んでゆきたいのです。

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