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3月, 2012の投稿を表示しています

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お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈八〉

前回はmas氏のライカと新宿の話。当ブログ「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル」のシリーズは数えると今回で8回目である。これは私自身の、カメラと写真を軸とした“素行”を紐解く重要な鍵としての(「茶」の精神と絡めたりして)、過去に読み耽ったウェブサイトにまつわる“回想録抄記”となっている。  いま私は、自主制作映画というスタンスで、“ちっちゃな映画”(タイトルは『アヒルの狂想曲』)を本気で創り始めているのだけれど、その“ちっちゃな映画”的なものをかつて創ろうとしていたのが、サブカルで私淑するmas氏だったのだ。私は彼の影響を(ウェブとサブカルの側面で)多大に受けている。mas氏は90年代末頃、アメリカの写真家デュアン・マイケルズ(ドウェイン・マイケルズ、Duane Michals)に感化され、自身のカメラで撮影した散歩写真を掻き集め、一つのフォト・ストーリー作品を創ろうとしていたのだった。タイトルは、「My Last Pictures」であった。
 いま、“ちっちゃな映画”を創り始めた矢先、私はmas氏のウェブサイトをあらためて思い出す。そこにはサブカルへの深い愛着があった。彼は2000年代初め、自身のホームページ上のアーティクルにその映画創りの話を持ち込んで、読み人であった私にある種の熱量を注ぎ込んだのである。カメラとレンズと、そのアクセサリーを満遍なく揃えること。たっぷりと落ち着いた風情で世界を見わたし、その風景に己の足で大きく踏み出すこと。人生の最大の《余興》であり得るのが、映画ではないかということ――。
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 とても残念なことに、「My Last Pictures」のフォト・ストーリーのテクストも、そのウェブサイト自体も、今は現存していない(ただし、テクストは私個人がアーカイヴしてある)。それでも今年、彼の別のサイト[msbcsnb](http://www.geocities.ws/msbcsnb/index-2.html)がWWWのサーバー上に残っているのを発見して、今のところそれは、誰でも見ることができるようになっている(いずれ消えてしまう可能性がある)。更新は10年以上前を最後に途絶えてしまっているが、mas氏がそこに残した、旅行記や家族を写した写真、花などのフォト・ギャラリーとなっており、2000年代に作成したウェブサイトの一端を垣間見ることができ…

架構の空間

先日、何気なく手に取った『學鐙』(2012年春号・丸善出版)の中の、隈研吾著「不便な建築」を読んだ。“便利な機械”はあるが“便利な建築”というものはない、という書き出しで始まって、建築家ル・コルビュジエの“住宅は住むための機械である”という名フレーズに関連し、彼が建築したサヴォア邸の実際的な不便さについて触れていた。
 隈氏は、《便利さとは、一種の自己中心主義、人間中心主義にもとづく判断基準なのである。「便利な機械」というのは人間中心主義にもとづいて、人間に奉仕する一種の奴隷として作られたものである》と定義している。また逆に建築においては、そこで人間が従属し、奉仕している、のだという。

 コルビュジエの名作中の名作であるサヴォア邸の白いsquareの美しさは、誰が見ても美しいと思える。だが人が住むための建築としては、見た目で美しい、だけでは済まされない。

 コルビュジエは先の名フレーズによって20世紀を一歩前に踏み出したが、人が家に住むということはどういうことか、建築とは何か、の山ほどの課題が同時に噴出した。そしてあらゆる建築家がそれを思考熟慮した。白いsquareに魅了されつつも課題を乗り越え、時代が過ぎ、隈氏の言う“便利な建築”というものはない、という客観に至った21世紀の初頭を我々は過ごしている。

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 何故私が隈氏の「不便な建築」をここで取り上げたかというと、この21世紀の初頭、DAW(Digital Audio Workstation)という《魔法の箱》をついに手にしてしまった、音楽を作る側の人間の心の、悩みと不穏と優雅さとを暗示しているかのように思えたからだ。

 DAWは“便利な機械”であるか。

 かつての時代のレコーディングスタジオの有り様は、ほとんどすべてと言っていいほどDAWの箱の中に収まってしまった。だからといって、音楽が(誰でも)簡単に作れると言えるのか、という問題である。

 自宅スタジオという名目でDAWを中枢に据え置き、その周囲に付随されるべき機材を含めたシステム全体は、まさに架構の空間としての建築だ。音楽制作におけるこれらの機械は、機械でありながらも建築部位であり、身体的な部位でもある。これらが使用者にとって心地良い部位でなければ、単なる不快な部位となり、架構の空間そのものが不快と感じられてしまう。
 私が設置した自宅スタジオの中の…

アルバム制作メモのこと

自分自身が忘れかけていたものが見つかった。 それは、1990年代の中頃――25、6歳頃に書かれた「アルバム制作メモ」というメモで、自主制作中だったCDアルバムのコンセプションについて箇条書きしたものであった。

 ここに書かれたメモの内容は、今でも自分自身の音楽スタイルに通用する。むしろ今それに気づかされて、コンセプションの重要性を再認識するほどだ。以下に書き出してみる。

・シンプルな音源がヴォーカルを引き立てる。
・要所要所のポイントを設定し、ヴォーカルとの兼ね合いでアレンジを構成する。
・ヴォーカルパートを邪魔するパートを削除する。(ブラス、リード系、グロッケンなど音色が似ているもののメロディラインは避ける。)
・サビリピートはアレンジを少しずつ変化させる。(スネア、パーカッション)
・ディストーションをかけたギター系の音とアゴゴやカウベルを混ぜ、ブレイクビーツを作る。
・ステレオギターのワウ、あるいはフランジャーでバッキングを作る。
・スネアの変化は2~3段階に分ける。(リムショット含む)
・Apf、Epfの音色の選択に気をつける。
・アルバムの構造で重複する説明を省く。(余計な説明も)
・奇をてらった構成、テーマを避ける。テーマ性に欠けた題材もダメ。
・メロディラインの検討。(時間をかけて)
・すべてのパートのエディットをチェックする。
・バックグラウンドヴォーカルの付加の必要性をよく吟味する。
・「(プリプロ期間)作曲活動→オケのデモ作成→実質的な打ち込み制作→歌詞(ヴォーカルアレンジ)の作業→レコーディング」の行程や順序を曖昧にせず、デモと本作業の区別をはっきり付ける。(長いスタンスで1曲を構築していくこと)
・ヴォーカルマイクの選択とリバーブ等のエフェクトクオリティを重視する。

 貧弱と思われて当然な限られた機材を駆使して、いかに自己表現を完結できるか。完全燃焼できるか。20代の頃の自分を振り返り、何を残してきたか、何をやろうとしていたかを逆に研究することで、今後の精進に繋げてゆきたい。