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3月, 2012の投稿を表示しています

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引き出しの中に眠っていた剣道クラブの写真

“1982年10月11日”は月曜日であった。その古い写真には、撮影した日付が刻印されていた。コンピュータに入力すれば、今は簡単に過去の日付の曜日を割り出してくれる。とどのつまり、前日の10月10日体育の日が日曜日なので、翌日が振替休日であったということである。――その日、つまり36年前の10月11日月曜日。場所は思い出せない。もしかすると茨城県内の、境町の高校か総和町の県立高校(背景の校舎が私の母校の高校によく似ている)あたりではなかったかと思うのだが、ともかくそこでその日、剣道大会が催された。この写真は、その時の記念写真である。  自宅の、今はすっかり使うことのなくなった古びた木製の鏡台を片付けている際、引き出しの中から、この写真が出てきた――。その日からそう遠くない日に写真が現像され焼き増しされ、皆に配られ、ほんの僅かの時間だけこの写真を見てこの日のことを振り返った後、家族のうちの誰かが鏡台の引き出しにしまったに違いない。
 引き出しの中にしまわれたまま、おそらくそれ以降一度も手に取って眺められることもなく、ただただ猛烈な時間が過ぎ、猛烈な年月が経ち、家族は猛烈に歳を取っていった。そしていよいよ鏡台が処分されようとした瞬間、長らく開かずの間であった引き出しの扉がなんの前触れもなく漠然と開かれた。眠っていた36年前の古びた写真は、今ようやく21世紀の空気を吸い、私の眼に触れられた。稀有に生き長らえた写真、ということになる。写真という存在は、いつも惨めでそこはかとない悲しみを背負い、豪放磊落かつ純真な明るさを放ったためしがない。それが写真というものの、暗い宿命なのだ。
§
 そうして写真を見て、思い出すわけである。1982年――。36年前、小学4年生だった私は、地元の剣道クラブに所属していて、週に一度道場に通い、剣道に励んでいたのであった(写真では最後方の左から3番目が私)。  そう、その前――小学1年生から3年生頃まで――は、別の大所帯の少年団で剣道をしていたのだ。そもそも父が、剣道の指導員をしていたので、小学校入学と同時に剣道を習い始めたのである。おそらく小学4年の初め頃、この写真のちっぽけな剣道クラブに、父も私も移籍したのではなかったか。私にとっては、友達が急に変わって非常に辛労な思いをした。
 剣道というのは、いくつかの防具を身につけて竹刀を振り回す。…

架構の空間

先日、何気なく手に取った『學鐙』(2012年春号・丸善出版)の中の、隈研吾著「不便な建築」を読んだ。“便利な機械”はあるが“便利な建築”というものはない、という書き出しで始まって、建築家ル・コルビュジエの“住宅は住むための機械である”という名フレーズに関連し、彼が建築したサヴォア邸の実際的な不便さについて触れていた。
 隈氏は、《便利さとは、一種の自己中心主義、人間中心主義にもとづく判断基準なのである。「便利な機械」というのは人間中心主義にもとづいて、人間に奉仕する一種の奴隷として作られたものである》と定義している。また逆に建築においては、そこで人間が従属し、奉仕している、のだという。

 コルビュジエの名作中の名作であるサヴォア邸の白いsquareの美しさは、誰が見ても美しいと思える。だが人が住むための建築としては、見た目で美しい、だけでは済まされない。

 コルビュジエは先の名フレーズによって20世紀を一歩前に踏み出したが、人が家に住むということはどういうことか、建築とは何か、の山ほどの課題が同時に噴出した。そしてあらゆる建築家がそれを思考熟慮した。白いsquareに魅了されつつも課題を乗り越え、時代が過ぎ、隈氏の言う“便利な建築”というものはない、という客観に至った21世紀の初頭を我々は過ごしている。

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 何故私が隈氏の「不便な建築」をここで取り上げたかというと、この21世紀の初頭、DAW(Digital Audio Workstation)という《魔法の箱》をついに手にしてしまった、音楽を作る側の人間の心の、悩みと不穏と優雅さとを暗示しているかのように思えたからだ。

 DAWは“便利な機械”であるか。

 かつての時代のレコーディングスタジオの有り様は、ほとんどすべてと言っていいほどDAWの箱の中に収まってしまった。だからといって、音楽が(誰でも)簡単に作れると言えるのか、という問題である。

 自宅スタジオという名目でDAWを中枢に据え置き、その周囲に付随されるべき機材を含めたシステム全体は、まさに架構の空間としての建築だ。音楽制作におけるこれらの機械は、機械でありながらも建築部位であり、身体的な部位でもある。これらが使用者にとって心地良い部位でなければ、単なる不快な部位となり、架構の空間そのものが不快と感じられてしまう。
 私が設置した自宅スタジオの中の…

アルバム制作メモのこと

自分自身が忘れかけていたものが見つかった。 それは、1990年代の中頃――25、6歳頃に書かれた「アルバム制作メモ」というメモで、自主制作中だったCDアルバムのコンセプションについて箇条書きしたものであった。

 ここに書かれたメモの内容は、今でも自分自身の音楽スタイルに通用する。むしろ今それに気づかされて、コンセプションの重要性を再認識するほどだ。以下に書き出してみる。

・シンプルな音源がヴォーカルを引き立てる。
・要所要所のポイントを設定し、ヴォーカルとの兼ね合いでアレンジを構成する。
・ヴォーカルパートを邪魔するパートを削除する。(ブラス、リード系、グロッケンなど音色が似ているもののメロディラインは避ける。)
・サビリピートはアレンジを少しずつ変化させる。(スネア、パーカッション)
・ディストーションをかけたギター系の音とアゴゴやカウベルを混ぜ、ブレイクビーツを作る。
・ステレオギターのワウ、あるいはフランジャーでバッキングを作る。
・スネアの変化は2~3段階に分ける。(リムショット含む)
・Apf、Epfの音色の選択に気をつける。
・アルバムの構造で重複する説明を省く。(余計な説明も)
・奇をてらった構成、テーマを避ける。テーマ性に欠けた題材もダメ。
・メロディラインの検討。(時間をかけて)
・すべてのパートのエディットをチェックする。
・バックグラウンドヴォーカルの付加の必要性をよく吟味する。
・「(プリプロ期間)作曲活動→オケのデモ作成→実質的な打ち込み制作→歌詞(ヴォーカルアレンジ)の作業→レコーディング」の行程や順序を曖昧にせず、デモと本作業の区別をはっきり付ける。(長いスタンスで1曲を構築していくこと)
・ヴォーカルマイクの選択とリバーブ等のエフェクトクオリティを重視する。

 貧弱と思われて当然な限られた機材を駆使して、いかに自己表現を完結できるか。完全燃焼できるか。20代の頃の自分を振り返り、何を残してきたか、何をやろうとしていたかを逆に研究することで、今後の精進に繋げてゆきたい。