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5月, 2012の投稿を表示しています

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酒と女と『洋酒天国』

今年に入って時折、シェリー酒なんていうのを飲んだけれど、その他はほぼ確実に、毎夜、ウイスキー一辺倒である。スコッチとアイリッシュである。スコッチは、シングルモルトのグレンリヴェットが美味かったし、いま飲み続けている12年物のザ・バルヴェニーも、スコッチならではのコクがあって美味い。思わず唸ってしまう。  アイリッシュはオールド・ブッシュミルズのブレンデッド。こちらはつい先日、空瓶になった。酒に関しては、日本酒の地酒よりもアイリッシュのラベルの方が親近感がある。おかげでここ最近は、サントリーのトリスも角瓶も遠のいてしまっていて、ジャパニーズ・ウイスキーを忘れてしまっている。あ? そう、かれこれしばらく飲んでいない「山崎」も「白州」の味も、もうてんで憶えちゃいないんだな、これが…。とここはひとまず、肴にもならぬウイスキー談義で嘯いておこう。
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 お待ちかね壽屋PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第4号は、昭和31年7月発行。表紙はお馴染み、坂根進氏作のフォト&イラストのコラージュ。  昭和31年(1956年)は、“太陽族”や“ゲイボーイ”といった言葉が流行った年である。ちなみに“太陽族”(タイヨウゾク)とは何のことでございましょう? もはや死語に近いと思われるので、語源について書いておく。  同年、第34回芥川賞を受賞した石原慎太郎の短篇小説『太陽の季節』が新潮社から刊行された。この短篇小説は大いに物議を醸した。そこから“太陽族”という言葉が生まれたのだけれど、ここでは敢えて、Wikipediaからその意を引用してみる。
《『太陽の季節』の芥川賞受賞を受けて『週刊東京』誌で行なわれた石原慎太郎と大宅壮一の対談で、大宅が「太陽族」との言葉を用いたことから、特に夏の海辺で無秩序な行動をとる享楽的な若者(慎太郎刈りにサングラス、アロハシャツの格好をしている不良集団)のことを指す言葉として流行語化した》 (Wikipedia“太陽の季節”より引用)
 “太陽族”のみならず、社会の乱れた風紀を取り締まる、という公安的気概が、この時代にはあった。時代の要請でもあった。私は溝口健二監督の遺作映画『赤線地帯』(主演は京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子)が好きである。あれも5月に公布された“売春防止法”に絡んだ話であった。この年の7月には、横山光輝の「鉄人28号」が月刊『少年』(…

黛敏郎の芸術論

雑誌『音樂藝術』(第14号・第6巻/1956年5月号)を読んでみた。この号は「現代と音楽特集」と冠されており、現代音楽に関連した論考がいくつか掲載されている。そこで、当時の新興著しい“電子音楽”や“ミュージック・コンクレート”に対する通念はいかなるものであったかということと、この雑誌の座談会企画で黛敏郎氏が芸術論を展開し、また電子音楽についてどのような考え方を持っていたかを抜粋してみた。
 まず、小倉朗著「現代と音楽」の論考では、電子音楽及びミュージック・コンクレートについて以下のように触れられている。

《最近、電子音楽やミュジック・コンクレートが新聞やラジオに紹介されましたが、まるで新しい音楽が生れたと言わんばかりの騒ぎです。冗談ではない。出来たのは音楽を作る手段です。それも海のものとも山のものとも未だ判らぬ。判らぬうちからこのようなセンセーショナルな扱いをするのが、ジャーナリズムの好みでしよう。
 尤も早速この手段を幾人かの作曲家が実験して、結果を持ちよつて先日音楽会を催した。そこで出掛た人達が果してどんな感慨を抱いて帰つたかは知らぬが、或るアブストラクトの画家が舌を巻いた。自分達が苦心惨憺していることを、これらの音楽はわけもなくやつてしまうと言う、その話を聞かされて、僕は甚だ面白く思つた》

 また、伊奈一男の「楽壇の話題・記録・思潮【音楽界】」の欄では、もっと一般的な感覚に寄った形でそれらを紹介している。

《ミュージック・コンクレートと電子音楽の初の演奏会? が二月四日山葉ホールで行われた。作品の性質上、すべて過去において放送その他で発表されたものばかりだつたからこの場合、初めて会場で“行われた”という事実だけが貴重なのだろう。ところで会を開くについての宣言「既成の音楽は無内容な音によつて組立てられるようになつた。われわれは失われた音の生命を発見しよう…」に対して誰も何もいわなかつたのは何故だろう。伝統を破壊するという意味においては、論争をまき起した石原慎太郎の出現が与えた以上にショッキングなはずではないか。「あんなものは音楽ではない」と真正面から言い切れないことがすでに宣言のなかばを肯定せざるを得ない弱み――危機を感じているためといつてはいけないだろうか。もつともこの第一回の催し全体が、まだ新しきものの展示ですらもなく、宣言そのものをフエン、説明する程…