スキップしてメイン コンテンツに移動

☞最新の投稿

靴下とパンツと甚平と『初夏の沐浴』

他愛ない一連の夢想から、無意識なる肉体の歓喜によって、音楽の断片が生まれることがある。ありふれた日常の中から、ぽつりと生まれ出た瞬間の、忽然とした所作の子宮的邂逅――。
 それはまだ冷え荒んでいた冬の2月のこと。私はある日の夜、自宅で入浴をしながら、何気に《初夏》の季節を夢想してみたのである。それは肉体の耐えざる反抗でもあった。あまりにも寒い日々の連続であったから、肉体にとっての心地良い夢想――寒さから解放された新緑の初夏――に思わず心が傾斜したのである。  確かに、去年の初夏のあたりから、突如として始まった家庭のゴタゴタ続きのおかけで、日々折々の季節を肌身で感じ取る余裕すらなかったわけだから、そのすっかり忘れ去られていた《初夏》という季節を、既に年を越えてしまった晩冬に思い描きたくなったのも無理はない。どこか新緑の季節が懐かしいと思わせてくれるのは、たとえば鮮やかな上野の公園の光景が脳裏に刻み込まれているせいであろうか。
 バスタブから湯が立ちのぼる。その寸前に、首筋から汗が滴り落ちる。  湯から身体を起こして、頭を洗う。思いがけず、シャンプーの量が多い。泡立ちが果てしなく続く。次は身体を洗う。ジャブジャブジャブと湯を上半身にかけた後、シャボンの香りが柔らかく裸体の隅々から漂ってくる。爽快な気分に陥る。  おそらくそうした瞬間から、メロディは生まれたのだろう。風呂から上がってPC内のCubaseを立ち上げると、そのゆったりとしたメロディは、チェンバロの奏でる音となってスピーカーから響いた。とりあえず記録に成功。ともかくそれが、「初夏の沐浴」というタイトルの、曲作りの始まりであった。
§
 始まりは程なくして終息を迎える。作曲の行程はあっけなく終わる――。形式的にはそのチェンバロは、2分半ほどで緩やかに結びを迎えたので、これに則ってほかの楽器のパートを付け加えても、さして難儀な展開にはならなかった。どこかしら幻想的で、それでいて日常的すぎた。仄かな明暗も感じられた。程々小さく素朴な曲である。素描と言っていい。特に仰々しい部分はなく、子宮的邂逅というにしてはあまりにも平易だ。波乱のない曲の誕生。
 波乱のない曲の誕生――で何が悪い…。私はぽつりと独り言を呟いた。生まれ出ることの喜び。それは、安産であろうと難産であろうと等しいものだ。他人に喜んでもらえそうもない、…

孤独と神話【補遺】

【性教育本『ふしぎ!男の子のからだとこころ』】
 学校でのあくまで個人的な経験としての、性教育について端的に触れてみたい。
まず一つめの関心は、昨今、外国での“過激な性教育”という言葉が聞かれるが、80年代半ば、我々の世代(学校)ではどんな学習をしたかということ。二つめは、「孤独と神話」本文中にある“性教育の本”について、それはいかなる本であったのか、という関心である。

 「性教育」という言葉の連関で、“おしべとめしべ”が引き合いに出されることがあるらしい。さすがに我々の世代ではそういう時代錯誤な見識はなかった。尤もこれは学校によって大きく異なるのかも知れないが、感覚的に言えば、人間の性を植物の生殖機能から連想させることは無理がある。その点で日本の学校教育では、性をどう教育するかで壁が生じていたことは否定できない。
 現在の日本の小学校では、児童の成長に沿って、すなわち学年毎に、ゆるやかに性に関する学習が為されているようである。小学3年から4年では身体の発育・発達について及び衛生面の指導、4年生の後半から第二次性徴、月経や射精などを学習、5年6年では心の発達や病気予防についてが学習されるという。
 では、1985年に小学校を卒業した、我々の世代の性教育はどんなものであったか――。
 インターネットの無かった時代のあのO君の《神話》は、これを踏まえなければ理解できまいと思われる。ともかく私はそれを知るために、あの当時の、つまりO君が読んだあの性の本を、改めて入手し読んでみようと思い立った。

【図解で学習する「女の子のしくみ」】
 最近得ることのできた情報によって、ようやくそれが、1984年にポプラ社から発行された『女の子と男の子の本2 ふしぎ! 女の子のからだとこころ』(文・小形桜子、三井富美代、江崎泰子/絵・おかべりか)であることが分かった。ただし私が入手できたのは、対になっている『女の子と男の子の本3 ふしぎ! 男の子のからだとこころ』の方である。

 この2冊の本が我が母校の図書室に置かれたのが、小学6年生の時点ということになる。当時の子供の側からすれば、突然、図書室に“エッチな本”が置かれた、という感覚になった。今のように段階的に保健体育指導が為されていなかったのだから、まさに突然であった。誤解を恐れず極端な言い方をすれば、学校という真面目であるべき環境に、その学校の先生が意図して置かれていったのは、紛れもなく女の子と男の子の裸の描かれた本だ、という児童側の冷ややかな受け取り方だった。

 あの頃、そこからの実際的な性教育指導は、あまりにも急な、突貫工事的なものであった。これまた突然、プリントが配られ、第二次性徴に関するアンケートが実施された。

 確かに無理もない話であった。
 あの本が置かれる以前のことだが、我々高学年の子供ら(男子)は、教室を行き来するほど大騒ぎをして、「セイシとランシどっちがいい?」と質問攻めをしたことがある。誰か一人が始めた単純な問答が、学年全体に連鎖したのだ。
 訊かれた男子は“セイシ”と答えなければならない。訊かれた女子は“ランシ”と答えなければならない。単純で稚拙な言葉遊びである。ただ、これを知った先生らは、おそらく驚愕し、驚嘆したのだろう。門外漢を決め込んでいたものの、子供らの知識は、この程度に留まっているではないかと。
 精子と卵子の意味もわからない。何故男子は“セイシ”と答えなければならないのか、何故女子は“ランシ”と答えなければならないのか。そこにはまったく理屈がなかった。答えて正誤を知った児童は、瞬く間に別の友達に同じことを質問する…。こうしてこの稚拙な言葉遊びが、1日中、学年の教室を駆け巡った。何とかしなければ、と先生達は思ったに違いない。

 プリントによるアンケートが集められた後、ごく簡単な保健体育的な授業が行われた。むしろあの本を読むよう積極的に奨励する程度の授業であったと思う。当然の如く、もう既に胸を大きくした女子がいて、髭を生やし始めた男子がいた。遅かりし性の授業であった。

 1986年頃、学研の少年向け科学雑誌『UTAN』に、「ボクたちのSEXサイエンス 思春期のこころとからだ」という記事が掲載された。私が中学2年の時の月刊号で、当時のコンピュータグラフィックを駆使しながら、男女のからだの成長が図説された衝撃的な記事であり、個人的にも衝撃を受けた。もしかすると少年向け雑誌としては国内で最初の“過激な性教育”であったかもしれない。




コメント

このブログの人気の投稿

YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

劇団鴻陵座『OH MY GOD!』を観たの巻

ついこのあいだのこと、地元の古河公方公園を訪れた際に、中世の戦乱期における古河公方の歴史について文献を読んだ。調べていくと、江戸城を築いた太田道灌なんていう人が出てくる。あまりに複雑に人物が絡んでくるので辟易としたのだけれど、室町時代の永享の乱あたりの史実では、1478年に起こった戦で、太田道灌らが築いたとされる国府台城(千葉県市川市)の名称が出てくる。これを、鴻之台城とも書く。  その国府台の文化的空気を多分に吸い込んだ鴻陵座の“彼ら”のもとへ、古河公方の町で生まれた私が、一つの演劇を目的に遭遇するというのは、何かの因果であろうか。いや、そんなものはありはしない。ありはしないが、でもひょっとして、これは神懸かった出会いであるのかも、と思い込んでみるのも面白い――。  市川市にある県立高校、国府台高校の文化祭・鴻陵祭は1948年に始まったという。まもなく70年を迎える伝統と活気ある文化祭。そうした高校で育まれた鴻陵生の卒業生ら十数名が集まって昨年結成されたのが、劇団鴻陵座。その鴻陵座の旗揚げ公演を、今月13日に観てきた。とんでもなく愉快だった演劇。熱く心のこもった舞台。これは私の、忘れられない一夏の経験となったし、おそらく“彼ら”にとっても、一生思い出に残る一夏の記憶となるだろう。
§
鴻陵座の旗揚げ公演『OH MY GOD!』。劇場は、京成新三河島駅から歩いてすぐのキーノートシアター(東京都荒川区)。ちなみに、この京成線で千葉方面へ東に向かい、荒川を越え、中川を越え、寅さんの故郷の柴又付近を越え、さらに江戸川を越えると、そこが国府台なのである。脚本・演出は根太一。キャストは棚橋直人、岡田リオス拓人、金児綾香、工藤桃奈、宮島吉輝、物永穂乃香、山田将熙、山脇辰哉。オープニングとエンディングテーマは、4人組歌モノロックバンドのcram school
 大雑把に『OH MY GOD!』のあらすじを書くことにする。  5人の大学生が集う「映像制作研究会」は、動画投稿サイトで圧倒的なアクセス数を誇っていた。そこに現れたのは、「神」と名乗る男。どう見ても人間にしか見えない。だが一応、「神」の神通力はあるようだ。そんな「神」の“お告げ”にしたがい、研究会の彼らはある動画を投稿するはめになる。が、この投稿がネット・ユーザーから非難され大炎上。カリスマYouTuber、タナトス…