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レトロスペクティヴ―私立探偵・濱マイク

もしこの映画を小学生の頃に観ていたとしたら、〈僕も私立探偵になりたいなー〉と本気で思ったに違いない。…な、わけねーだろ!と通りすがりの人にツッコミを入れていただきたいのであるが、林海象監督の1994年の作品、永瀬正敏主演の私立探偵・濱マイクシリーズ第2弾の映画『遙かな時代の階段を』(製作はフォーライフレコード、映像探偵社)をつい最近観た。何故最近この映画を観たのかについては、3月の当ブログ「永瀬正敏の私立探偵・濱マイクのこと」で書いたのでそれを読んでいただきたい。 §
 この映画『遙かな時代の階段を』について語るのは、やはり短めの言葉の羅列で充分であろう、と思うのである。私自身、東京で言えば新宿のベルク(BERG)、新橋のカフェテラス・ポンヌフの懐かしげなナポリタンとプディングに“憧れ”を抱くのだけれど、それと似たような感覚で、(この映画のロケ地である)横浜の映画館「横浜日劇」にかつて“憧れ”を抱いた人は、少なくないのではないか。この場合の“憧れ”とは、かなり強烈な回顧臭を漂わせた、古びた風景への《郷愁》を指す。だからその思いのなんたるかを言葉で表すには、長い説明は無用なのである。
 主人公の私立探偵・濱マイクを演じているのは、言わずもがな、永瀬正敏。横浜・黄金町のレトロな映画館「横浜日劇」の2階に探偵事務所を構え、萎凋する街の住民からの、しがない請負仕事で細々営んでいるチンピラ探偵である。彼はアメ車(AMC製のナッシュ・メトロポリタン!)を乗り回す。街には彼の仲間達がいるが、白タク運転手の星野くん(南原清隆)は濱マイクの右腕的存在だ。刑事役の麿赤兒、濱マイクの師匠役の♠宍戸錠、「横浜日劇」のもぎり嬢を演じる千石規子が好演。  この街に、昔自分と妹の茜を捨てて出て行ってしまった母親・リリー(鰐淵晴子)が突然戻ってきたことで物事がざわめき始め、暴力団組織・黒狗会のきな臭い暗躍に巻き込まれていくというのが筋。そして川の利権を支配する恐ろしい男=“白い男”(岡田英次)と濱マイクとの強烈なる対峙シーンが、この映画のハイライトとなっている。映画の後半、“白い男”アジトに向かうシーンは実にノスタルジックで幻想的だ。戦後のヤミ市とスラム街の陰影がフィルムアートと相まって折り重なる。  映画『遙かな時代の階段を』は、ハイテンポなアクションシーンの連続、音楽の演出もまた素晴らし…

『煤煙』と平塚らいてうのこと〈二〉

 〈一〉からの続き。
 歴史を感じさせる商店が、ぽつりぽつりと確かに散らばっている。しかしそれ以外は現代的なビルディングが建ち並んでいて、明治の面影を顧みることはできない。朋子と要吉が歩いたとされる、谷中から団子坂を私は歩いてみた。ひっきりなしに自動車が往来して、彼らに思いを馳せることも、また彼らと時代の呼吸を合わせることも、今となっては難しい。

⚤襟巻(ボア)と洋袴(ズボン)と団子坂

【団子坂のあたり】
《ね、貴方は――貴方は癲癇(エピレプシィ)の症候があるんだとばかり思つた。ね、さうぢゃないか。私一人でさう考へたのかも知れんが、私は如何しても貴方にさうなつて貰ひたい》
(森田草平著『煤煙』より引用)

 既に朋子の心は冷めていた。朋子があの日の夜に掛けていた襟巻は失せていて、要吉もそれに気がついた。いつも歩く道程を朋子は避け、よそよそしく無言を決め込んだ――。

 小説の中の朋子の態度と、実際にそれがあった平塚らいてうの心境とは、ここでは見事に一致する。珍しく朋子の内側の襞が現出した場面であり、無言であることが要吉に対する最後通牒でもあった。

 要吉すなわち森田草平がダヌンツィオの『死の勝利』を頭に思い描くあまり、朋子が癲癇患者であることを彼はひたすら望む。らいてうの自伝によれば、草平はダヌンツィオのみならずドストエフスキーまで持ち出して、癲癇は天才病なのだから、それによって昏睡状態に陥る発作の態(身体美?心理美?)を、彼女に求めたがったという。

 英文学者・評論家で知られる吉田健一氏の『煤煙』評論文が面白く興味深い。

《戀愛といふ言葉は出来てゐても、それが男女間のどのやうな感情を指すものかを、彼らは外國の詩や小説から學ぶ他なくて、それを實地に行はうとする場合、女の方でも、男の方でも、自分がさういふ外國文學から得たと信じてゐる戀愛の観念を先づ胸に描いてみなければならなかつた》
(筑摩書房『現代日本文学全集』第22巻吉田健一著「森田草平集」より引用)

 吉田氏は、男女間の在来の愛欲を越えた何か烈しい感情が彼らにとっては“ラブ”だったと述べ、そもそもこうした恋愛の観念が、外国文学の未熟な読み方から生じた錯覚だとしている。

 実際、草平とらいてう二人が、“ラブ”という抽象的な曖昧な観念の日常的現出をとらえきれていなかったとすれば、らいてうが嫌悪を感じた草平の演技的な接吻(らいてうの袴の裾に)と演技的な愛撫(らいてうの手の甲を取り上げ、二、三本指を口に含んでそっと噛んだ)に対する激しい怒りも頷けるし、また草平が自らそうした接吻と愛撫をすることで、らいてうの心を掴むことができると錯覚もしくは幻想を抱いたのも頷ける。

 草平は履き違えた“ラブ”のドラスティックな態度と行動の相乗によって、らいてうにエピレプシィを要求し、言わば互いに向き合った“ラブ”の確証が得られた暁には、らいてうを殺害し、自ら雪の樺太の独房で生涯を送る、といった夢想を渇望した。このロマンチシズムの渇望劇が『煤煙』のすべてである。無論、この渇望は絵空事、夢の世界、幻想のたぐいであって、本来的な愛の日常的現出ではない。吉田健一氏は草平をも「夢遊病者の一人だった」と言い切っている。

⚤髙山樗牛の『滝口入道』

 らいてうの自伝には、明治36年、当時16歳だった旧制一高の学生・藤村操が哲学的な遺書(「巌頭之感」)を遺して日光・華厳滝で投身自殺したことについて、ほんのわずか触れられている。らいてうが日本女子大家政科の学生だった頃だ。

 以前私は、平岩昭三著『検証――藤村操 華厳の滝投身自殺事件』(不二出版)を読んだ。藤村操が自殺した動機について、いわゆる人生不可解の苦悩という意味の哲学的な煩悶を抱いて自殺したのではなく、失恋によって自殺したという仮説がある。

 後年の作家や研究者らの検証によって、事実としても失恋説が濃厚であると記されてあるのだが、藤村はある本を年上の女性に渡し、自ら愛の告白を済ませた後、命を絶ったとされる。

 その本とは、髙山樗牛の『滝口入道』である。

 そしてらいてうもまた、『滝口入道』はもとより樗牛の哲学や思想論文にも目を通していた。藤村の自殺の翌年、日露戦争が勃発する――。

〈終〉に続く。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

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