性教育本の名著を伝える〈一〉―ぼく どこからきたの?

 明治時代、婦人解放運動の先駆けとなった雑誌『青鞜』、その雑誌を手掛けた平塚らいてう女史の若き学生時代において、自らの性や男女の身体的交渉の知識が、ウニの生殖と春画によって不本意にもたらせたものであったことの事実は、返す返す驚くばかりである。
 婦人解放運動のそもそもの出発点はおそらく、〈人間とは一体何か〉という文化人類学の先見的な見地から派生した、男とは何か、女とは何か、人間道徳とは何か、人間倫理とは何か、の疑問であったはずだ。「婦人解放」の可逆的な倫理が、実は性差を超えた「人間回帰」への警鐘であったということだろう。

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 話を軟らかい話に戻す。

 当ブログの記事「孤独と神話」で述べた通り、私が小学生であった1980年代半ばに、少なくとも母校の小学校では、はじめて書籍(主として絵本)による性教育らしき指導が始まった。まず図書室にそういった本を並べ、児童の興味を惹いて“地ならし”をした後、アンケートを採り、実際の授業へと進展させるといった急場の処置がとられた。
 今日の小学校での性教育指導のように、学年毎にゆるやかに教えるという体制がまだ整っていない時代であり、母校の小学校において私の世代以前では、もっとお粗末な指導であったと推測できる。

 子供向けの性教育絵本として有名なのが、ピーター・メイル著、谷川俊太郎訳の『ぼく どこからきたの?』である。
 河出書房新社の版の記録を見るとよく分かる。ハンディ版の初版発行が1974年10月30日、その次の初版発行が2002年12月20日。そしてその第4版発行が2011年6月30日。2度の初版発行の間が28年も隔てており、名著でありながら、こうした絵本の処遇は、日本では特に荒波に揉まれてきた歴史と言い換えなければならない。

 結論を先に言えば、『ぼく どこからきたの?』はまったくお薦めできる絵本である。
 アーサー・ロビンスの絵が優しげで風変わりで愛嬌があって思わず笑ってしまう。「夫婦がベッドで見つめ合いながら寝ている」絵は、この本のテーマの核心部分だろう。「どこからきた」かは、この見つめ合いから始まるからだ。
 おそらく日本人には、大半、こうした本を親が読み聞かせることは無理のようだから、子供が小学校に上がる頃を見計らって、家の書棚にそっと置いておけばいいと思う。まさしく「ぼくはどこから生まれたの?」と訊かれた瞬間のためにこの本がある。

 『ぼく どこからきたの?』を子供のいる家庭にお薦めする最大の理由は、人がどうやって生まれてくるかを、めしべやおしべだとか、コウノトリだとか、ましてウニの生殖などと他の生物や神話(?)でごまかさずに、大人になっても通用する適切な言葉で率直に述べているからで、このことはむしろ遠回しでなく良心的である。

【絵本『ぼく どこからきたの?』】
 もしこの本の中で書かれていることが、まだ子供にとって難しく理解されなくとも、家庭や図書室の書棚に隠さず置いてあれば、いつでも子供がこの本を開き、分からなかった部分を時間をかけて“自分で”反復して学習すると思う。つまり、いずれのための、学校の性教育の授業の予習となればいい。

 そして、大人たちが力んで、何か教えなければと焦るあまり、不要な知識や想像を子供らに与えるのならば、いっそそんなのはやめてしまった方がいいとさえ思う。子供が「ぼくはどこから生まれたの?」「男の子と女の子ってなに?」といった素朴な疑問を持った時に、こうした本の力を借りよう。あくまで、そっと書棚に置いておくのが最適だ。

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