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7月, 2013の投稿を表示しています

漱石山房にたたずむ

東京はうららかな日和だった一昨日、今年9月24日に開館したばかりの――とは言いつつ、それから2ヵ月以上経過しているが――「新宿区立漱石山房記念館」(新宿区早稲田南町)を訪れることができた。  振り返れば2年前の秋、新聞の記事を見て、記念館の整備計画途中で発見された屋敷の礎石が、没後改築された屋敷(1920年)のものであることが分かった云々(当ブログ「漱石山房の香り」参照)をきっかけに、今年秋(漱石生誕150周年)の開館をどれだけ待ち望んでいたことか。この2年の歳月は実に感慨深いものであった。
 ところで、津田青楓が大正7年に描いた「漱石先生閑居読書之図」で見るような、木造屋敷及びその庭風景は、ここにはない。いや実際には、館内に漱石山房が復元され、記念館の窓ガラスからその特徴的な和洋折衷の平屋建ての外観がうかがい見ることができるのだけれど、あの山水画風の絵の中の長閑な風景は、あくまで津田青楓の虚構の世界であって、エッセンシャルなセザンヌの濃厚さが色めき立ったものである。しかし、庭には、「猫の墓」が遺されていた。石塚、あるいは猫塚と言いかえていい。  これは、漱石の次男である夏目伸六氏の著書の『猫の墓』(文藝春秋新社)の装幀写真で見られるのと同じものであり、もともとは形として石塔であった。夏目家で飼われていたペットの供養塔(九重塔)は1920(大正9)年に建てられていたものの、昭和20年の空襲で損壊。現在遺っている「猫の墓」は、昭和28年に残石を積み直して再興したものだという。ちなみにもともとの供養塔の台石には、津田青楓の描いた猫と犬と鳥の三尊像が刻まれていたらしい。
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 それはいつの頃だったのか――。正岡子規が漱石と、夏目坂のある早稲田から関口を歩いた“田園風景”を今、ここでそれらしく想像することはひどく難しい。私はこの日、原町一丁目から弁天町に向かう外苑東通りを歩いて記念館を訪れた。この外苑東通りの両側の趣が、今ではすっかり都会的に洗練されてしまっているけれど、それでもなんとか、空間の雰囲気と呼べるものは慎ましやかな感じがあり、決して嫌いではない。  かといって昔ながらの風情があるとか、お洒落なショップが建ち並んでいるという極端さはなく、言うなればかなり地味な通りなのだが、もし、長きにわたって住まいを構える場所として考えてみたら、案外こんなところがいいのでは…

「ぼだい樹」とよい声の出し方

たびたびこのブログでも古い百科事典『原色学習図解百科』(1968年学研)の第9巻[楽しい音楽と鑑賞]のことを紹介している。

 この第9巻は音楽に特化した巻で、今でも私の手放せないバイブルとなっている。例えば昔あった“てんとう虫”型のコンパクト・レコードプレーヤー(小型スピーカーと一体になっているプレイヤー)があれば、気軽に幼少時代に聴いたレコードを鑑賞するのだが、もし今一度それらを聴いて、記憶の印象とかけ離れていたりすると、案外幻滅したりして困惑すると思うから、そういう取り組みをすぐさま実行するのは、なかなか気が引ける。

 [楽しい音楽と鑑賞]には、付録のEP盤が6枚あったはずである。それほど遠い昔でない頃に、このレコード群のパッケージを家のどこかで見たような気がする。が、今も家にあるのかないのか、探してみなければ分からない。もしあったとしても、相当傷だらけでノイズの多いサウンドのはずだ。
 とどのつまり、この本で解説されていたシューベルトの「ぼだい樹」が、急に聴きたくなったのである。  レコードでの演奏者などの情報は、今のところEP盤が手元にないから分からない。ただ、このレコードではどんな「ぼだい樹」であったのだろうか。是非探し出して聴いてみたい。
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 ところで、本の中の「ぼだい樹」のページでは、「よい声の出し方」という解説が附されていた。いわゆる歌唱の発声法について書かれていて、そのこととレコードの中の「ぼだい樹」とが、歌唱をキーワードにしてどのようなかたちを示しているのか、非常に興味深い。  「よい声の出し方」の解説自体は、極めて初歩的で、どの音楽教科書にも必ず付随されているような内容である。だから私自身も少年期の頃は見過ごしてきた。見過ごすというよりも、軽視してきたと言っていい。
 そのページの写真が、古めかしい。  ボンネルのようなニットのワンピースを着た少女が、テニス・ラケットを振り上げている。その横には、アオウエイの口の開け方がイラストで示されている。昔なら、どこの学校の音楽室にも貼ってあったような学習用の画である。  ここでは5つの要点というのがあって、「正しいしせい」「よい呼吸」「よい口形」「正しい発音」「共鳴」となっている。読んでみると思いがけず詳しい解説になっていて、実践向きだ。無論これらは基本的な発声法であって、あくまで「声」の出し方…

「雪」という唱歌

個人的に最近、文部省唱歌に関心を寄せている。私の中の思い出として、電子音楽と文部省唱歌が切っても切れない関係にあって、そのあたりの思い出話は、ホームページ上の「PC-6001とがっこうのうたの話」で述べてみた。
 また昨年では、急に懐かしくなって学校のリコーダーを吹いたりして、「ふじの山」をやった。文部省唱歌については、岩波文庫の『日本唱歌集』(堀内敬三、井上武士編)が詳しい。唱歌の発祥や教科書検定制度の制定に関する詳しい解説もあり、興味のある方は読まれると面白いかも知れない。
 文部省唱歌はそもそも作詞・作曲者の明記がなく、昭和33年刊の『日本唱歌集』では、その時点で判明した者だけが明記されており、ぽつりぽつりとしかない。「ふじの山」の作曲者は不明だが、後々の研究によって作詞者は巌谷小波と分かっている。現在でも作曲者はよく分からないようだ。
 「ふじの山」の、その巌谷小波が書いた歌詞を読み返してみても、私自身、一番については記憶にあったが、二番についてはあまり印象が残っていない。
 何故かと推測すれば、当時学校では、リコーダー合奏の学習を優位に「ふじの山」が扱われた。リコーダーで吹くためのハ長調の音階はよく暗記させられた(原曲はニ長調)。おそらく、この曲での合唱にはほとんど力を入れなかったため、二番の歌詞の記憶は自然と薄らいでしまったのではないかと思うのだ。確かに当時、運動会での鼓笛隊の演奏でも「ふじの山」が用いられた。したがって二番の歌詞の馴染みは私にとって極めて、薄いものとなった。
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 つい先日、ソフトウェアのテスト用の曲として、文部省唱歌の「雪」を選曲した。《ゆーきやこんこ あられやこんこ》のあの「雪」である(時に「こんこ」が瀧廉太郎の曲「雪やこんこん」の歌詞と混同されて話題になる)。  原曲のまま、ヘ長調、4分の2拍子、テンポ92で採用。正規の楽譜はメロディ譜しか存在しないので、自分でコードを適当に付け足した。  これをピアノ音源でプログラミングし、わずか54秒で終わるピアノの独奏とした(「Pro Tools 11簡易レコーディングテスト」参照)。ただテンポに関しては、人間味を出すため、小節毎にわざとこまかくテンポ値を変えて揺らしている。
 さて、「雪」の唱歌は、私自身、幼年時代に随分歌ったと記憶する。その頃から二番の《猫は火燵で丸くなる。》は微笑…

昆虫採集セット

私が通った小学校の通学圏には、子供相手の駄菓子屋やら雑貨商店が6軒ほど点在していた。駄菓子屋は明らかに駄菓子屋であって分かり易いが、昔風の雑貨商店というのは最近とんと見かけなくなってしまって、若い人には説明しなければいけないかも知れない。
 その頃の雑貨商店は、基本的には児童向けの文房具店であった。学校で必要な筆記用具各種、画工用品、書道用品、模造紙などの小売。今風の便利グッズであるとか個人を飾り立てるようなおしゃれグッズなどは置いてない。これら文房具品に加え、少年少女向けのマガジン誌、テレビ系の週刊誌などの雑誌販売、その他はパン食系、菓子類、ジュースやアイス類の食品を大雑把に販売していた。商店の隣で書道教室、あるいはクリーニング業を兼ねていた店もあった。薄利多売ともいかない。いずれにしてもコンビニエンスストアがなかった頃の話である。
 学校の夏休み期間中ともなると、子供の出入りも増え、これらの商店は繁忙期ではなかったかと思われる。夏になってこうした店に入荷するのが、虫かご、虫網、昆虫採集セットのたぐいであった。
 夏休みの宿題のうち、やはり“自由研究”というのが子供らにとっていちばんのネックであり、何をテーマにして何をするか、毎度頭を悩ませたものだ。  児童の中には飛び抜けた少年がいて、自分の家の前の道路の交通量を調べた者がいた。車が通過した数と歩行者の数。じいちゃんばあちゃんが歩いた数。それを夏休み期間中ずっと調べて、大きな模造紙にグラフを記したのである。理科の範疇を超えて社会学、文化人類学的な見地で調べ上げ、やはり飛び抜けた秀才だと感心した。
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 閑話休題。ここに、昭和時代の古い昆虫採集セットの現物がある。DBKデビカの学習教材「昆虫採集セット」。中に入っているのは虫メガネ、ピンセット、虫ピン、注射器、液、ネームカード、昆虫採集容器、袋とある。
 私は一度だけ、その“自由研究”で昆虫採集に挑んだことがあった。  家の前は大きな雑木林で、昆虫などは五万といる。甘いエサを仕掛けてカブトムシやクワガタを捕獲し、この昆虫採集セットで昆虫をいじくった後、カルピス瓶の中元用の箱を利用して、そこに捕獲した昆虫を並べて標本にした。特に昆虫に興味がなかったから、別段その昆虫の名前やら生態やらを細かく調べることはしなかった。ただ殺した昆虫を標本にして学校に提出しただけのこ…

怪人二十面相になった頃

我が団地に“ゴレンジャー”がやってきたのは、おそらく1975年か76年のことで、その記念写真については、「団地―冬空の経験」で書いた。ミドレンジャーにだっこされ、ゴレンジャーのアルバムレコードをしっかり抱えて写真に収まったのは、3歳の頃であろうか。
 家族アルバムに保管された、そのゴレンジャーとの記念写真の右隣には、幼少の私の、ある変装姿の写真が貼られていた。それは“怪人二十面相”であった。
 調べてみると、江戸川乱歩原作の、怪人二十面相がテレビの実写ドラマになったのは1977年(昭和52年)のことらしく、フジテレビ系列放映で、ドラマのタイトルも『怪人二十面相』である。子供向け番組であり、乱歩の原作がどれだけ再現されたか、あるいはされなかったのか、私の記憶の中にはこのドラマの脚色の印象がまるで、ない。
 ドラマのことはまったく憶えていないが、この変装写真については、よく憶えている。  当時5歳の頃で、私にはちょっとした変装癖があったらしい。部屋の片隅には、いつでも変身できるように、この二十面相の「変装用具一式」がたたんで用意されていたようである。帽子に風呂敷、色眼鏡に黒いちょびひげ。ステッキ代わりの棒もどこから見つけてきたのか、とにかくそれも一式の中に含まれていた。姉貴らとの喧嘩で不利になり、 「よーし怪人二十面相に言いつけてやる!」  とでも言い放って、こっそりと怪人二十面相に変装。部屋中をかけずり回り、風呂敷マントをなびかせて「ワァッハッハッハァ…」とやったかもしれない。
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 さておき、幼少の頃から歌が好きになっていった過程においては、この時の、このテレビドラマの主題歌が大いに影響したのではないかと仮説を立ててみた。しかし…。
 確認のため、最近になってネット検索でこの主題歌を突き止めた。  やはりそうであった。  上條恒彦さんが歌う『怪人二十面相』の主題歌。この曲はしっかり耳にこびりついている。上條さんが野太く豪快に、伸びやかに歌い続けるブレスとそのアクセント。クレッシェンドが大らかで、いかにもふてぶてしい怪人二十面相らしい印象を与えてくれる。また、アウトロもまったく唐突な和声で終わるのがサスペンスチックで怖かった。
 この主題歌のシングルレコードを、おそらくその頃親に買ってもらったはずであり、レコード盤のレーベルのイエローカラーをなんとなく憶えている…

ガルガンチュアの箱のこと

ごくたまに、その物体や景色の「色味」に魅了されて、それを取り込むためだけにデジタルカメラを向け写真画像を撮ることがある。
 例えば、とあるどこかで、ゴツゴツとした重々しい石綿の建物の壁面に出くわしたりして、そのなんとも言えない濁った白色に目を奪われ、この色を取り込みたいとシャッターを切ったりなど――。

 ウェブサイトで音楽作品用のジャケットやバナーを作る際、その作品のイメージカラーや構図的バランスはとても重要で、毎度四苦八苦する。いま私がPhotoshopで使用している色味のプリセットは、Pantone Colorである。長年、豊富なプリセットをいろいろ試行錯誤してみて、ようやくPantone Colorに行き着いた。私はこれが好きである。尤もこれはプリント用で、ウェブ用にリダクションする際には多少最適化され色味が微妙に変わってしまう。とは言え、視覚的に色味をできるだけ正確に再現するため、定期的なモニター・キャリブレーションは欠かすことのできないメンテナンス作業となっている。

 色に関してはPantone Colorのプリセットですべて用を足せるのだが、やはり写真素材から簡易的に色を取り込むことは少なくない。色味を簡単に取り込むことができるのは、Photoshopの基本的な機能でもある。ただやはり、実物の色彩に魅了されてわざわざ写真を撮ったりするのは、私の中でも以前と比較して例外的な儀式となってきた。

 昨年のこと、岩波書店PR誌『図書』2012年11月号の表紙に、私は頗る魅了された。文庫本の箱の写真である。調べてみれば貴重な、リッツォーリ社が出版した『GARGANTUA E PANTAGRUELE』であった。

 私は直ぐさまこの現物、すなわち『GARGANTUA E PANTAGRUELE』を取り寄せた。
 この美しさを何と形容したら良いのか。ともかくサミヴェルのイラストが際立っており、それに加えて装幀の見事なこと。そして何より、視覚的に飛び込んできたのが、この装幀の下半分を占めるオレンジ色。巨人ガルガンチュアの顔の色味から反復された特徴的なオレンジ色であり、この融和がとても美しい。

 『図書』の中でフランソワ・ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』を紹介したのは、この本の日本語対訳版の訳者である宮下志朗氏。このリッツォーリ社BUR文庫の箱が気に入っ…

世界怪奇X館のこと

たびたびこのブログで掲載している、かつて父がOLYMPUS TRIP 35というコンパクトカメラで写した数々の懐かしい写真。やはり年代を感じさせ、どことなく味わい深い。  TRIP 35は昭和43年に発売されたカメラで、当時のOLYMPUSらしく品のいい図体をしている。昨今の中古販売やオークション市場でも意外と人気が高い。ただ、PENシリーズと誤解して“ハーフサイズ”と紹介されていることもあり、このTRIP 35は“フルサイズ”でしょう、と突っ込みを入れたくなってしまう。

 ところで面白いことに、我が家の家族アルバムの“公式”ライブラリーから外された、父が写した不出来なプリントやネガも、とりあえず保管されていて、こちらの方が今となっては興味深い。多くがピンぼけ、構図がおかしい、意味不明等々。一昨年だったか、その中から遊園地を映した写真を発見して、懐かしさを覚えた。
 背景は「世界怪奇X館」というお化け屋敷のたぐいのアトラクション。おそらく私が小学4年生の頃(1982年頃)に訪れた、“後楽園ゆうえんち”でのスナップではないかと思われる。写真の右側で青い手袋をしている子供が私自身で、それ以外の被写体はすべてアカの他人。この写真がひどいのは、その他人の方がカメラの方を向いて目立っており、家族アルバムから外されたのも頷ける。
 後楽園ゆうえんちは現在の「東京ドームシティ アトラクションズ」であり、JR又は地下鉄三田線の水道橋駅が最寄りである。ここに当時、エンタープライズやフライングカーペットというアトラクションがあって、人気を博していた。スカイフラワーはその頃からあるアトラクションだ。
 「世界怪奇X館」でドラキュラやフランケンシュタイン、狼男を知った私はその頃、とあるホビー業者の通信販売でドラキュラの貯金箱を買った。  注文してから商品がなかなか来ず、2週間以上経過してようやく届いたそのブリキ製の貯金箱は、郵送の際の不手際のせいか、既に壁面が凹んでいて不良品となっていた。ゼンマイを回しておき、ドラキュラの棺に硬貨を置くと、棺からドラキュラの手が伸びて硬貨を中へ引きずり落とす、という安物の貯金箱である。ドラキュラの手の部分が夜光塗料で塗られていて、暗闇でもそれを楽しむことができた。
 だが私としては、ドラキュラの棺が凹んでしまっていたのがショックで、程なくして使わなく…

団地―冬空の経験

自らのちっぽけな平凡な思い出話を書くのに、まず不謹慎な例えや比べ方をすることをためらわずに書いておきたい。
 震災で津波に流され、住んでいる家や学校や職場や思い出のある風景が一変に喪失し、その物理的に喪失したものを記憶によってたぐり寄せる時、残された写真や動画やその他の記録物がそれまでの存在価値を超越して、家族にとってかけがえのない「記録の財産」となり得ることを私は信ずる。それは深い悲しみの中から一点の光が射した瞬間であり、家族が生きてきた証として写真が残っているというのは、どれほど幸福なことであろうかと思う。
 私が幼少の頃に過ごしたマンモス団地は、これを書いている今において、まだそこに顕在している。40年以上経過しているにもかかわらず。この団地のことは9年前にも書いた(「団地と写真」参照)。
 そこには、数キロ離れた場所からも目視できるのっぽの、貯水塔があった。当然、40年前は団地そのものが真新しく、この貯水塔があるせいか、水道がやたらカルキ臭かった。  団地にはうじゃうじゃと子供らがいて、各棟の隙間にはブランコや滑り台など、それぞれ遊具が設置されてあった。団地に住む子供らは、棟に隣接した遊具でいつも遊ぶから、離れた遊び場は言わば“異国”である。行ったことのない遊び場には顔の知らない子供らがいて、どうも近寄りがたい感じがした。
 ある日、この団地に秘密戦隊ゴレンジャーがやってきた。  ゴレンジャーは戦隊ヒーローの元祖らしい。何であのゴレンジャーが団地に来たんだろうとびっくりした。もしかして、“黒十字軍”がこの団地に潜伏しているのでは、と不安になった。
 隣同士でいつも遊んでいたガールフレンドと一緒に、5階から駆け下りて、遊び場へ行ってみた。すると、アカレンジャー、アオレンジャー、キレンジャー、ミドレンジャー、モモレンジャーが“黒十字軍”とまさに闘っていたのだ。僕らが毎日遊んでいたあの場所で、あの遊具を巧みに扱って、ばったばったとゾルダーを倒しているではないか。正義の味方、ゴレンジャー。僕らのヒーロー、ゴレンジャー。
 ゴレンジャーの勇士に駆けよって、記念写真を撮ってもらった。
「アカレンジャーがいいの? じゃあ僕は大好きなミドレンジャー!」
 ミドレンジャーにだっこしてもらった私は、頗るご機嫌になった。〈強いなあ。ゴレンジャーは〉。こうしてこの日、夢のよう…