ピーティーファンさん

新潮文庫版『開口閉口』
 8年前、とある雑誌の特集がきっかけで、それまであまりよく知らなかった開高健氏の人柄と文学に興味を抱き、『ロマネ・コンティ・一九三五年』(文春文庫)を読んだ。短篇にして圧倒された。それから同じ頃、彼のエッセイ集『開口閉口』を読み、深々と言葉の魅力に取り憑かれた。形而上で浮かれた言葉ではない人間の生身の言葉、それも活き活きとした五臓六腑に染み渡るような言語の奥深さに感銘を受け、以後彼の本をたびたび読み返した。なんとか掻き集めた28冊の『洋酒天国』コレクションも、そのうちの一つにすぎない。
 誤解を恐れずに述べると、開高健著『開口閉口』は「男の口答え」集だ。無論、女性に対しての――である。男の馬鹿さ加減を存分に発揮し、女性に対し男としての存在意義を並べて口答えしてみるのだが、やはり女性には敵わない。しかも男の刹那的な不甲斐なさに愛くるしささえ満ちてくる。開高氏の文章は、そういう母性をくすぐるものを感じさせてくれる。

 ところで、新潮文庫版『開口閉口』の装画は田淵裕一氏である。この本の中身を見事にイメージした装幀で、私は非常に好きだ。酒樽(樽の設計図?)にマス(鱒)の使用済みUS切手、フライフィッシング用の毛針、コルク・スクリュー、パイプの画、そしてカラーハーフトーンとなった多様な料理のフォトコラージュ。1976年の単行本(毎日新聞社)の装幀は、これとはまったく異質で同じ本とはとても思えず、やはり個人的には文庫本版が白眉だと思った。

 新潮文庫版の帯がまたキャッチーで、惹き付けられる。
《滋味豊かな言葉に風刺のスパイス。満ち足りた満腹感に似た、読後感。》
 ちなみに“ピーティーファン”って何? と興味を持った方は是非とも『開口閉口』を読んでいただきたい。面白い話である。

 その中で、私が特に好きな、酒に関するエッセイ「陽は昇り陽は沈む」は忘れられない。
 司馬遼太郎ふうに、西園寺公望の貴族らしい異彩話で始まり、どうやらこの人の酒の話になるのだろうと思いきや、このエッセイは意外にも大富豪・薩摩治郎八氏のエピソードで埋め尽くされる。
 薩摩治郎八(さつまじろはち)。私はまったくこの人について知らず、たびたび『洋酒天国』でコラムを書いている人、というぐらいの狭い認識しかなかったのだが、“バロン・サツマ”と知ってなんとなくどこかで耳にしたことがあるようなないような、ともかくこの人のことについては面白そうなので後で詳しく調べてみたい。

 開高氏が「陽は昇り陽は沈む」で書いているのは、彼に浅草へ連れられて“エンコ・ビール”(=ルンペン・ビール)を飲まされたことで、これは客の飲み残しのビールを瓶に詰め直して飲むビールだそうで、実業家で大富豪が呑む酒にしては、趣向が過ぎて凄まじい。

 筆を置く。この記事を書いている今、何やら下の方でモゾモゾとするので見たら、脚に一匹の蟻が張っていた。本当にびっくりするくらい偶然なのだが、頭の中で“蟻の門渡り”に絡んだエッセイを思い起こしていた。まるで天国にいる開高氏が私に、あの話、つまり“蟻の門渡り”(『開口閉口』のエッセイ「たくさんの蟻が門を渡ると」)の話をしろ、と指図しているようではないか。
 でも、脚が痒くなってきたので、この話はやめにする。もう冬が近づいてきた。

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