REBECCAの記憶

 当ブログの「琥珀色の少年」の稿で、中学時代の旧友について書いた。

 中学時代――かれこれ28年前になるが――彼を含めたその友人らとの間で、ラジオドラマ(正しくは“オーディオドラマ”と称するべきだが、私にとっては“ラジオドラマ”の方が言葉として愛着がある)の自主制作を始めた。それが私にとって「音」と「音楽」と「演技」と「映像」とによる表現の、底知れぬ魅力に取り憑かれたきっかけであり、今の音楽制作に何かしら影響を及ぼしている面も少なくない。
 他方、10代半ばからの演劇活動(20代から“自己批判ショー”へと推移する)においては、ラジオドラマ自主制作の経験が、私の中で基礎となっていた。その頃の旧友T.H.との親交が中学時代になかったとしたら、私自身の20代あるいはそれ以降に至る表現活動は、まったく違ったものになっていたはずである。

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 旧友T.H.は、人気ロック・バンド“REBECCA”(レベッカ)の大ファンであった。当時のメンバーは、Vo:Nokko、Drums:小田原豊、Bass:高橋教之、Gt:古賀森男、Key:土橋安騎夫(バンド・リーダー)。テレビ・ドラマ『ハーフポテトな俺たち』(1985年日本テレビ系列で放送。主演は中山秀征、湯江健幸、河合美智子)で主題歌や挿入曲でタイアップしていたのがREBECCAで、私も何枚かシングル・レコードを買った。T.H.はLPアルバムを持っていたから、たまに彼からREBECCAのレコードを借りることもあった。

 実際、中学1年の時、ドラマを真似して、「ハーフポテトな俺たち」というタイトルのラジオドラマを演ったりした。それほど、そのドラマやREBECCAの音楽に夢中になっていたわけで、「Friends」や「Girls,Bravo!」「Maybe Tomorrow」は本当によく聴いた。

 T.H.と一緒にライヴを観に、横須賀埠頭や代々木競技場へ行った思い出も忘れがたい。
 しかし当時はチケットを入手するのが頗る難しく、チケットの電話予約のために日曜の10時からずっと公衆電話ボックスに張り付いて、電話が通じるまで何度も何度もチケット・センターの電話番号をプッシュしたことを思い出す。自宅の黒電話はダイヤル式で、プッシュホン式の公衆電話の方が繰り返し掛けやすかったのだ。
 ちなみに、横須賀埠頭でのライヴでは、駆け出しだった“PRINCESS PRINCESS”が前座演奏していたが、まだほとんど見向きもされていなかったのを憶えている。
【『REBECCA IV Maybe Tomorrow』】

 T.H.は中学時代からアマチュア・バンドを結成してベースを弾いていたようだが、そのあたりのことについてはよく知らない。高校の時、彼のバンドメンバーだったギタリストの知り合いからは、よく彼の噂を聞いたりした。決して途方もない噂話ではなかったが。

 REBECCAが1991年に解散する以前、私と彼は既に疎遠になっていた。89年に自主制作したラジオドラマ「正義と微笑」(原作は太宰治の「正義と微笑」)で会ったのが仲間内としては最後であり、それ以降のことは「琥珀色の少年」の通りである。

 今年、REBECCAのアルバム『REBECCA IV Maybe Tomorrow』がCDでReissueされ、久々にNokkoの声を聴いた。あざとくなくていい。T.H.はその頃、小田原豊氏のドラムが凄いと、たいそう惚れ込んでいたが、私も改めて聴いてみてそう思う。REBECCAの音楽スタイルは、ドラムとギターで骨格を作り、ベースとコード感が“薄め”なのが特徴である。

 REBECCAを聴く機会があれば、私は必ず、まだ声変わりをしていない少年であった頃のT.H.を思い出す。そうそう、道端で彼と別れる時は、「チャオ!」と声を掛け合った。学年だけではない、お互いの心理まで等しかった友というのは、もしかすると彼だけであったかも知れない。

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