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1月, 2014の投稿を表示しています

漱石山房にたたずむ

東京はうららかな日和だった一昨日、今年9月24日に開館したばかりの――とは言いつつ、それから2ヵ月以上経過しているが――「新宿区立漱石山房記念館」(新宿区早稲田南町)を訪れることができた。  振り返れば2年前の秋、新聞の記事を見て、記念館の整備計画途中で発見された屋敷の礎石が、没後改築された屋敷(1920年)のものであることが分かった云々(当ブログ「漱石山房の香り」参照)をきっかけに、今年秋(漱石生誕150周年)の開館をどれだけ待ち望んでいたことか。この2年の歳月は実に感慨深いものであった。
 ところで、津田青楓が大正7年に描いた「漱石先生閑居読書之図」で見るような、木造屋敷及びその庭風景は、ここにはない。いや実際には、館内に漱石山房が復元され、記念館の窓ガラスからその特徴的な和洋折衷の平屋建ての外観がうかがい見ることができるのだけれど、あの山水画風の絵の中の長閑な風景は、あくまで津田青楓の虚構の世界であって、エッセンシャルなセザンヌの濃厚さが色めき立ったものである。しかし、庭には、「猫の墓」が遺されていた。石塚、あるいは猫塚と言いかえていい。  これは、漱石の次男である夏目伸六氏の著書の『猫の墓』(文藝春秋新社)の装幀写真で見られるのと同じものであり、もともとは形として石塔であった。夏目家で飼われていたペットの供養塔(九重塔)は1920(大正9)年に建てられていたものの、昭和20年の空襲で損壊。現在遺っている「猫の墓」は、昭和28年に残石を積み直して再興したものだという。ちなみにもともとの供養塔の台石には、津田青楓の描いた猫と犬と鳥の三尊像が刻まれていたらしい。
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 それはいつの頃だったのか――。正岡子規が漱石と、夏目坂のある早稲田から関口を歩いた“田園風景”を今、ここでそれらしく想像することはひどく難しい。私はこの日、原町一丁目から弁天町に向かう外苑東通りを歩いて記念館を訪れた。この外苑東通りの両側の趣が、今ではすっかり都会的に洗練されてしまっているけれど、それでもなんとか、空間の雰囲気と呼べるものは慎ましやかな感じがあり、決して嫌いではない。  かといって昔ながらの風情があるとか、お洒落なショップが建ち並んでいるという極端さはなく、言うなればかなり地味な通りなのだが、もし、長きにわたって住まいを構える場所として考えてみたら、案外こんなところがいいのでは…

私たちのレコード・コンサート

つい最近、自分の中学生時代に母校で扱われていたと思われる音楽の教科書「改訂 中学音楽1」を入手した。懐かしさもあって、時折読み耽っている(Dodidn* blog「『早春賦』と教科書」参照)。  ここで改めて発行の年月日を書いておくと、教育出版株式会社発行、昭和61年3月31日文部省検定済、平成元年3月31日改訂検定済。平成3年発行の「改訂 中学音楽1」。ちなみに私は昭和60年(1985年)で中学1年生であった。
 「改訂 中学音楽1」の表紙は、3種のリコーダー(ブロックフレーテ)を気球あるいは飛行船に見立てて、大空を彷徨っているメルヘンチックな画。この時代の他の教科の教科書より、イラストを採用している分、教科書としては硬派ではなく取っ組みやすかった気がする。  この教科書の裏表紙はというと、カントリー・ミュージックのライヴとインディオの民族音楽の演奏を写した写真が1カットずつレイアウトされている。  カントリー・ミュージックの方は、どうやらWillie Nelson(ウィリー・ネルソン)のライヴ写真のようだ(この写真とは直接関係ないが、2004年に市販されたDVDでウィリー・ネルソンを讃えるコンサートのものがあり、キャロル・キングが出演しているらしい。私はこのDVDが観たくてたまらない)。
 こうして懐かしい教科書を眺めてはいるが、私自身は中学校時代の音楽授業の思い出には非常に乏しい。  強いて言えば東龍男作詞、平吉毅州作曲の「気球にのってどこまでも」を班ごとに合唱したのを憶えているくらいだ。他はほとんど印象に残っていない。中学校の3年間を通じて、よほど音楽授業が退屈だったのか面白くなかったのか。  いま教科書を読み返してみれば、まったくつまらない内容だとも思わないのだが、中学生特有の、主観的でひねくれた立場では、これがつまらなく思えたのだろう。家ではブラック・ミュージックを聴いていたが、学校の音楽授業とは別物、と独善的にとらえていた。
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 この教科書の中で、“独奏曲の名曲を訪ねて”の「私たちのレコード・コンサート」というページに感心させられた。
鑑賞のポイント 1.いろいろな楽器の独奏曲の名曲を探して聴き、その音色に親しもう。 2.世界の名曲に親しみを持つようにしよう。
◇レコード・コンサート 先生の指導を受けながら、自分たちで計画してレコード・コンサー…

高級オーディオとはなんぞや

朝日新聞朝刊1月21日付に、「老舗の流儀」と題され、高級オーディオのメーカー“Accuphase”(アキュフェーズ)の会長・斎藤重正氏の談話が掲載されていた。質の良いアンプとCDプレーヤーのみを販売し、顧客との関係を大事にしながら、世界の一流ブランドを目指す。無借金経営、社員は70数人ほど。たくさん作らない、社員は増やさない。「徹底的に、とことん、作り込んでいきたい」と斎藤会長。
 確かに、国内全体の需要が、景気の上向きに伴って、高級ブランド志向に移行しつつある。大人買い流行りである。  オーディオの話に戻すと、私自身は、あまり再生系の“高級オーディオ”――数百万円もするような――には興味を示さない。だからといって、プレーヤーはiPodとイヤホンで十分、という意味ではない。青天井の価格帯でべらぼうに高く、趣味性に富んだオーディオには、正直ずっと関心がなかった。それは今でも変わらない。
 音楽制作に携わっていると、そういう傾向が強くなる。  まず何より、一般の大多数のリスナーがもっと簡易的な再生装置で音楽を聴くであろうから、そういったオーディオで自分の作品がどう響くのかという点に重点を置かざるを得ない。高級オーディオの、高度な技術力による音の忠実性には頷けるが、趣味性に富んだ作りやアクセサリーは無用、という考え方。手荒いモニタリングの現場では居心地が悪い。作る側の人間が、余計なところに金をかけてどうする?とも、教えられてきた。  しかし一方で、金銭的な贅沢ができるのならば、一度はジャズやクラシックをそういった環境でゆったり存分に聴いてみたい、とも夢想する。こちらの夢はいつも儚く消えゆくのだが。
 そもそも、“高級オーディオ”の尺度は、はっきりとあるわけではなく、あくまで相対的なものであろう。部品一つを比べてみて、どちらの部品が優れているか、ということの集合評価だ。中には、特に技術として優れてはいないのに、素材が高級というだけのものもあって、そういう意味でのブランドは、困る。ここが趣味性の部分である。
 こうした集合評価は、他者の評価と自らの評価との摺り合わせが必要だが、結局は買う側の嗜好の問題になってくる。この箇所にはこだわりがないが、こちらの箇所はこうであって欲しい、という嗜好。それがより高級なものを求める。  CDプレーヤーで言えば、ディスクの情報をいかに高…

Two Virgins

昨年の10月、フランスの舞台演出家であるパトリス・シェロー氏が亡くなって、何故かジョン・レノンを思い出したりした。厳密には、レノン&ヨーコの、『Unfinished Music No.1:Two Virgins』を、である。にわかにその共通性を見いだせないのだが、extremeな表現主義に傾いた時のオーラはどちらも感じられよう。そういった点でレノンを思い出したのかも知れない。

 個人的な記憶としては、私がBEATLES以外のレノンの曲を最初に口ずさんだのは、中学校の英語授業で取り上げられた、「IMAGINE」だ。――教室の戸を開き、おもむろに、大振りなラジカセを教壇前の台に置いた英語の先生は、その授業のテーマを“ジョン・レノン”とした。いくつかの講話を挿みながら、「IMAGINE」が録音されたカセットテープを再生して、その曲の歌詞を、生徒と共にしみじみと噛み締めた――。
 本当に不思議だったのは、その頃30代であった先生が、オノ・ヨーコさんとどことなく雰囲気が似ていたことだ。聡明であり、毅然とした態度で生徒と向き合い、芯からジョン・レノンを愛しているようでもあった。女性としての生き方、平和への願い。言葉としてしまうと陳腐であるが、悪い意味でのestablishmentに対する反骨心があったようで、少なくともレノンやヨーコに強く共感しているということを、生徒の側からも肌で感じられる立派な先生であった。
 高校に入ってから私は、別段先生に感化されたわけではなかったのだが、『レノン・コンパニオン―25年間、60篇のレノン論』(エリザベス・トムソン&デヴィッド・ガットマン編集、広河泰家訳、CBS・ソニー出版)を読んだりした。だが、この本に書かれている内容については、あの時の英語先生の柔らかな講話とは程遠く、私にはどうも敷居が高いような気がして、おそらく中途で読むのを投げ出してしまったのだろう。私のジョン・レノンに対する興味も、半分失せたようで、「GIVE PEACE A CHANCE」の高ぶるリズムへの興奮は、次第に私の中で封印されていった。
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 私は『Unfinished Music No.1:Two Virgins』のB面、すなわち「Two Virgins No.6」「Hushabye Hushabye」「Two Virgins No.7」「Two Virgin…

『洋酒天国』とステレオの話

好きな酒は日本酒とウイスキー。ウイスキーなら“JACK DANIEL'S”のブラック。ほとんどオン・ザ・ロックである。酒の肴は魚でも肉でも野菜でも何でもいいが、カマンベールのチーズか瓶詰めのオリーブがあれば尚良い。“千葉産”の落花生には最近縁がない。  『洋酒天国』第40号(昭和34年10月)の巻頭では、当時国税庁の醸造試験所長であった山田正一氏の「ウィスキーの話」でいきなり始まる。その起源や歴史を読んでみると、なるほどと思う。  この稿では、連続式蒸留機すなわちパテント・スチルのことが若干触れられているが、ウイスキーは蒸留と熟成以外に、ブレンディングが非常に重要だ。例えば“JACK DANIEL'S”は、蒸留したウイスキーをカエデの木炭で濾過するチャコール・メローイング製法である。スコッチ・ウイスキーの方は、大麦麦芽を乾燥させるために泥炭を燃して燻す。ここで独特の煙臭が付く。このようにウイスキーは穀類の種類、製法やブレンディング、熟成の仕方の違いによって、独特な香味が付けられ、千差万別である。
 この第40号はウイスキー以外の酒についても、特にワインについて言及しており、大変参考になった。最近、私はワインはあまり飲まなくなった。が、考えさせられた。その他、バーでの「口説き名セリフ集」だとか、洋酒豆知識として「酒と箴言」も面白く、文学的雑学的な表現がいつも巧妙である。
 そんな第40号で、見開き2ページを使ったカラーのヌード写真には度肝を抜かれた。昭和30年代のシルクスクリーン印刷ながら、肌の陰陽がなめらかで美しい。よく見ればそれは、裸の女性が寝そべってもまだ余裕のある大きな幅の、木目が鮮やかなセパレート型ステレオではないか。
 別のページの「お酒と歌」という稿に、その注釈があった。面白いので以下、これを引用しておく。
《ビクターから、ちょっとかわったステレオが発売されましたのでご紹介します。32頁のカラー写真にもつかいましたが、デラックス・完全ステレオ電蓄STL-2000型といいます。グラマーの藤尾竜子さんが乗っかってもビクともしないところからみて、家具としても堅牢なことがわかります。大きさもこれでご想像ください。特徴は、ステレオ演奏はもちろんラジオのAM-AM、AM-FMの立体放送が聞けること。嬉しいのは高級チーク合板をつかった洋酒キャビネ…

かまちの青春とBEATLES

昨年の11月、マッカートニーの「OUT THERE JAPAN TOUR」東京ドーム公演で、一際印象的だったのが、「Eight Days A Week」の演奏。このBEATLES全盛(1964年)の曲を、まさしく本人の歌声で聴くことができたというのは、幸福を通り越して奇跡という他はない。そのことがずっと心に残っていたのだが、ここで私は、もう一人の人物を思い起こすに至る。  私がその文庫本を書店で買い求めたのは、おそらく1997年頃だったと思う。私のその頃の精神的な不安定さと、音楽制作での行き詰まりと、あるいはもっと何か、焦りのようなものを感じていた時の、ある種絶望的な状況の中で、その一冊に出合ったことになる。
 山田かまちの詩集とも画集とも言える『17歳のポケット』(集英社)。1960年、群馬県の高崎で生まれた山田かまちは、幼少期から絵画や文芸に熱心で、中学時代では特に美術に没頭し、多くの絵画を描いている。15歳の頃よりロック・ミュージックに傾倒し、17歳になってエレキギターを購入し、練習を始めたのだが、そのエレキギターの練習中に“感電死”した。夭逝のアーティストとして知れ渡り、高崎市には「高崎市山田かまち美術館」(旧「山田かまち水彩デッサン美術館」)がある。
 私はその本の中で彼の作品とも呼べる絵画や詩に出合い、儚い命とひきかえに生涯を全うした、生きる力の素晴らしさを感じた。『17歳のポケット』は、私にとって忘れがたい書物となり、山田かまちという人の志と未来への希望は、果てしなく胸の内に響く礎となった。そうしてこの本に最初に出合ってから、16年の歳月が流れた。
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 『17歳のポケット』には、いくつかのプライヴェートな写真が掲載されている。彼が愛用したという「ステレオ」の写真もその一つだ。それは、今となっては懐かしい木製家具調の、セパレート型ステレオ(4chスピーカー)で、もしかすると70年代に発売されたVICTORの「DF-11」ではないかと思われる。当時のステレオは、レコードの出力とFMラジオ、AMラジオの出力が主であるが、スピーカーの上に据えられたブックエンドには、BEATLESのスコアらしき本が一冊、もう片方には、同じBEATLESの国内盤LPが立てられている。
 一番手前にあるLPは、『BEATLES FOR SALE』である。国内盤LPのジャケッ…

ロモとライカと藪の中

カメラの話をしたいのだが、その前にしばし脱線する。

 WWFジャパン(公益財団法人 世界自然保護基金ジャパン)の会報誌の見開きに、杉野由佳さんが描いた「ナンテン」の細密画が掲載されていたのを見て、とても味わい深く素晴らしいと思った。鎌倉時代の公家である藤原定家の日記によれば、平安時代には「ナンテン」は庭に植えられていたのだとか。
 私はほほうと感心して、〈ナンテンならうちの庭にもあるわい〉と思い、徐に庭に駆けだして、日光浴が心地そうな昼下がり、その紅い実のなる低木(灌木)にカメラを向けた。つい昨日のことである。
 撮り終わって少しばかりして、なんとなく気になったので、例によって牧野富太郎著『牧野 日本植物圖鑑』(北隆館)を開いてみた。すると、私がカメラを向けた紅い実のなる低木は、ナンテンではなく、ヤブコウジ科の「マンリョウ」であることが分かった。  図鑑によれば、紅い実が上を目指して付いているのに対して、マンリョウはサクランボのように下向きに垂れ下がる。葉の形や大きさも違うようだが、ど素人の私には、調べてみるまではまったく分からなかった。  まったく、己の愚鈍に辟易する、植物迷路に迷い込んだ一瞬であった。それにしても、植物という自然界は、人間の知力を常に飛び越えているような気がして、奥が深い――。
 子供の頃、家の近くに点在していた藪の谷底のような場所を分け入って、ジャングル探検ごっこのような遊びをしたが、そうした場所にマンリョウだかナンテンだか、とにかく紅い実のなる木が方々に生えていて、そんな科目の違う木であるとは知らずに、単なる「紅い実のなる木」として憶えていた。  そうした藪だとか雑木林の闇は、入り込んだ人間の存在を軽く無視して、生存のためだかそれ以外のためだか、ひっそりと息を凝らして悠久の年月を佇む。闇には、人間をも脅かす《魔物》が棲んでいるとしか思えない。
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 もう8年ほど前になる。私はクラシックカメラが好きで、そうしたカメラの蒐集にへべれけになっていた時代があった。8年前までは、まだ銀塩とデジタルカメラを併行して使用していた。蒐集で最も興奮したのは、やはりLEICAのレンジファインダーである。M2がいいとか、ズミクロンやズマロンのレンズがどうとか、貴重なアクセサリーにこんなのがあるとか、LEICA! LEICA! LEICA!であった。
 実用と…