ロモとライカと藪の中

 カメラの話をしたいのだが、その前にしばし脱線する。

マンリョウの紅い実(CANON EOS 6Dで撮影)
 WWFジャパン(公益財団法人 世界自然保護基金ジャパン)の会報誌の見開きに、杉野由佳さんが描いた「ナンテン」の細密画が掲載されていたのを見て、とても味わい深く素晴らしいと思った。鎌倉時代の公家である藤原定家の日記によれば、平安時代には「ナンテン」は庭に植えられていたのだとか。

 私はほほうと感心して、〈ナンテンならうちの庭にもあるわい〉と思い、徐に庭に駆けだして、日光浴が心地そうな昼下がり、その紅い実のなる低木(灌木)にカメラを向けた。つい昨日のことである。

 撮り終わって少しばかりして、なんとなく気になったので、例によって牧野富太郎著『牧野 日本植物圖鑑』(北隆館)を開いてみた。すると、私がカメラを向けた紅い実のなる低木は、ナンテンではなく、ヤブコウジ科の「マンリョウ」であることが分かった。
 図鑑によれば、紅い実が上を目指して付いているのに対して、マンリョウはサクランボのように下向きに垂れ下がる。葉の形や大きさも違うようだが、ど素人の私には、調べてみるまではまったく分からなかった。
 まったく、己の愚鈍に辟易する、植物迷路に迷い込んだ一瞬であった。それにしても、植物という自然界は、人間の知力を常に飛び越えているような気がして、奥が深い――。

 子供の頃、家の近くに点在していた藪の谷底のような場所を分け入って、ジャングル探検ごっこのような遊びをしたが、そうした場所にマンリョウだかナンテンだか、とにかく紅い実のなる木が方々に生えていて、そんな科目の違う木であるとは知らずに、単なる「紅い実のなる木」として憶えていた。
 そうした藪だとか雑木林の闇は、入り込んだ人間の存在を軽く無視して、生存のためだかそれ以外のためだか、ひっそりと息を凝らして悠久の年月を佇む。闇には、人間をも脅かす《魔物》が棲んでいるとしか思えない。

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LEICA M6(2005年に撮影)
 もう8年ほど前になる。私はクラシックカメラが好きで、そうしたカメラの蒐集にへべれけになっていた時代があった。8年前までは、まだ銀塩とデジタルカメラを併行して使用していた。蒐集で最も興奮したのは、やはりLEICAのレンジファインダーである。M2がいいとか、ズミクロンやズマロンのレンズがどうとか、貴重なアクセサリーにこんなのがあるとか、LEICA! LEICA! LEICA!であった。

 実用としてはもっと安価な、「LEICA minilux」をよく持ち歩いていたが、見て楽しむカメラとしては、「LEICA M6」が好きであった。入手したM6はけっこう使い込んでいてキズも多く、レンズの生産国はドイツではなくカナダである。こうなると中古カメラとしては安値で取引されてしまう。

 クラシックカメラの嗜好は、LOMOにまで転じた。こんな安っぽいロシア製のカメラが、今でも万単位で取引される。この手のカメラというかレンズの画質は、今やスマートフォンアプリで定番のレンズ・エフェクトとしてプリセットされ、実機で撮影する人はよほどのマニアであろう。この数年で銀塩写真は本当に一般的ではなくなってしまった。

 今となっては、M6もLOMOも手放してしまったし、実用としてのコンパクトカメラはパララックスがあるので構図が甘くなる。ただし、デジタル一眼のフルサイズを使っていても、色調と粒子はフィルムのそれを踏襲したりしている。これは私のこだわりである。

 ということで私はまだ、「ナンテン」の現物を見ていない。カメラを持ってどこかの藪に足を踏み入れれば、それは見つかるであろうか。いや、藪の中で魂を抜き取られてしまうのではないかと、ちょっと怖い。

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