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『洋酒天国』―全号踏破とサイエンス・フィクション

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前号に引き続き、今回は第61号。振り返れば、当ブログの2011年7月に初めて『洋酒天国』を紹介した(「開高健と『洋酒天国』」)のを思い出す。それより数年前から個人的にこの雑誌を蒐集していて、当時は25冊ほど手元にあったかと思われる。まさかそれから、9年の歳月を経て全号(第1号から第61号まで、合併号が1冊あるので全60冊)を入手し、ブログですべて紹介しきるとは、まったく想像していなかった。まことに珍奇なことである。
 途中、何度も蒐集をあきらめ、全てを掻き集めることは到底不可能――とも思われた。昭和の古い時代の稀覯本であるがゆえ、入手は困難を極めた。その度に、温厚な個人蒐集家の方々の協力に救われた。  こんなこともあった。それは数年前のことだが、「全号を所有している」というご高齢の男性の方とメールでやりとりをしたのである。何部かお譲りいただけないだろうか、と私は図々しく懇願してしまったのだけれど、その方からこういう返信があった。いや、本当に申し訳ないのだが、私にとってこの雑誌には若い頃の懐かしい想い出が詰まっています。どうかお察し下さい――。  『洋酒天国』は昭和を生き、今も生き続けている“珍本・豆本”に違いないのである。本日は、昭和31年4月の第1号から39年2月の第61号まで、およそ8年間駆け抜けた伝説の雑誌の、フィナーレである。
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 壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第61号は昭和39年2月発行。昭和39年(1964年)と言えば、何と言っても東京オリンピックである。この年の上半期は、オリンピックに向けて準備に追われた各業界のせわしさが印象的だ。  開会式は10月10日。それに合わせ、この年は様々な形で新しいものが誕生した。関連した事柄をおおまかに列挙してみる。  国鉄の列車指定席の予約システムがコンピュータ化(マルス101)。国産の半導体式電卓(早川電機工業のCS-10A)が世界で初めて発売。日本人の海外への観光渡航が自由化。山梨県で富士スバルライン(富士山有料道路)開通。東京・羽田に羽田東急ホテル開業。営団地下鉄日比谷線開業。ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル開業。気象庁の富士山レーダー完成。東京モノレール開業。神奈川県川崎市によみうりランド開園。大阪市営地下鉄御堂筋線新大阪駅・梅田駅間が開業。東海道新幹線開業。静岡県の熱海峠か…

失われた声を求めて

14歳の自身の歌声が吹き込まれたカセットテープ
 ホームページ内の拙著コラム「歌の精髄に耳をこらして」の中で、《歌》は「自分自身の生き方である」と書いた。私は歌というものに対して、これを本分として情熱を注ぐ。

 そこにも書いたように、中学生時代にWhitney Houstonの歌と出合い、ゴスペルを下地にした歌唱に魅力を感じた。というより、あの時のことははっきりと憶えている。彼女の歌声が、雷電を起こしながら私の身体に入り込んでいったのだ。私は震えた。黒人霊歌と訳されるゴスペル・ソングは、彼らにとっての民謡に近いものではないかと思った。黒人霊歌であり、黒人民謡だ。

 ここに1本のテープがある。

 ――1986年、中学2年の時、Whitney Houstonに倣い、そのアルバムの曲に沿って自分の声をカセットテープに吹き込んだ。自身の歌を吹き込んだ最も古い“7歳のテープ”とともに、この時の14歳の“1986年テープ”は私にとって重要な記録であり、貴重な現存資料である。

 歌唱に対して自覚的にそれを記録した時点で、そこに大きな意図があったわけだが、とりわけ、“1986年テープ”は中学生時代の肉声を残したという点において貴重であった。無論このことは、すべて修練を目的とする「自身にとって」という意味であり、第三者にはまるで何の資料的価値はない。ただの古びたテープにすぎない。私にとっては、その自身の歌唱修練を積むことになる「第一歩の手前の」痕跡が、そのテープの中の肉声に表されていると定義づけていた。

 まず一つ、「声変わり」の緩やかな過程の、段階的に進行していく痕跡を、そこに残した。小学校高学年から始まった「声変わり」の変化が、高校生になる頃にかけて少し定着してくる。私の場合、中学3年生の時にそれがみられたのだが、“1986年テープ”に記録されたのは、その前段階の、まだオクターブが高く感じられる声だ。

 もう一つ。それ以降、歌唱を続けることによって徐々に「失われてしまった」自身の中の微妙な、あるいはもっと大まかな、声の性質や発声があることに気づき、それを取り戻すためにあの“1986年テープ”を聴き返すということがしばしばあった。そこに《何か》が有って、今、私の中にそれが無い、と感じられる声の《何か》。

 だがその《何か》が具体的に何であって、どうすれば取り戻せるのかという方法が見つからなかった。長年、私はそのことで悩み苦しんだ。そして一方で、それを取り戻すことができれば、最良の歌唱となることも直感していた。テープを聴き返すたびにそこに有るものを確信する。しかしいつも、それを取り戻す方法の解決には至らなかった。20代後半から30代にかけて、私はずっとそれを追い求めていた――。

 今となっては、それは過去形の話である。あのテープの中の《何か》は具象として言葉に言い表され、その解決法も具体となって示され、私はそれを訓練して取り戻すことができた。言い換えれば、ようやく私は、本当の自分の声を歌唱することができるようになったのだ。

 としても、あの中学生時代の、「声変わり」の中途段階の声を獲得したわけではない。それはまったく別の意味の、失われた、もう二度と取り戻すことのできない声、である。
 その声から、煌めくような日常であるとか、懐かしい思い出を思い浮かべることはできず、逆に苦々しい思春期の日々が浮かぶのみであるが、私にとっては遠く懐かしい「隣人の声」なのかもしれない。

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