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4月, 2014の投稿を表示しています

漱石山房にたたずむ

東京はうららかな日和だった一昨日、今年9月24日に開館したばかりの――とは言いつつ、それから2ヵ月以上経過しているが――「新宿区立漱石山房記念館」(新宿区早稲田南町)を訪れることができた。  振り返れば2年前の秋、新聞の記事を見て、記念館の整備計画途中で発見された屋敷の礎石が、没後改築された屋敷(1920年)のものであることが分かった云々(当ブログ「漱石山房の香り」参照)をきっかけに、今年秋(漱石生誕150周年)の開館をどれだけ待ち望んでいたことか。この2年の歳月は実に感慨深いものであった。
 ところで、津田青楓が大正7年に描いた「漱石先生閑居読書之図」で見るような、木造屋敷及びその庭風景は、ここにはない。いや実際には、館内に漱石山房が復元され、記念館の窓ガラスからその特徴的な和洋折衷の平屋建ての外観がうかがい見ることができるのだけれど、あの山水画風の絵の中の長閑な風景は、あくまで津田青楓の虚構の世界であって、エッセンシャルなセザンヌの濃厚さが色めき立ったものである。しかし、庭には、「猫の墓」が遺されていた。石塚、あるいは猫塚と言いかえていい。  これは、漱石の次男である夏目伸六氏の著書の『猫の墓』(文藝春秋新社)の装幀写真で見られるのと同じものであり、もともとは形として石塔であった。夏目家で飼われていたペットの供養塔(九重塔)は1920(大正9)年に建てられていたものの、昭和20年の空襲で損壊。現在遺っている「猫の墓」は、昭和28年に残石を積み直して再興したものだという。ちなみにもともとの供養塔の台石には、津田青楓の描いた猫と犬と鳥の三尊像が刻まれていたらしい。
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 それはいつの頃だったのか――。正岡子規が漱石と、夏目坂のある早稲田から関口を歩いた“田園風景”を今、ここでそれらしく想像することはひどく難しい。私はこの日、原町一丁目から弁天町に向かう外苑東通りを歩いて記念館を訪れた。この外苑東通りの両側の趣が、今ではすっかり都会的に洗練されてしまっているけれど、それでもなんとか、空間の雰囲気と呼べるものは慎ましやかな感じがあり、決して嫌いではない。  かといって昔ながらの風情があるとか、お洒落なショップが建ち並んでいるという極端さはなく、言うなればかなり地味な通りなのだが、もし、長きにわたって住まいを構える場所として考えてみたら、案外こんなところがいいのでは…

つつじまつり―お辻の伝説

先週、麗らかな春の日差しに恵まれて、群馬県は館林市に在るつつじが岡公園にて、「つつじまつり」を鑑賞した。風は穏やか、花は見頃。前回は3年前に訪れているが、今年はいっそう鮮やかに様々な品種のツツジが威勢よく咲き誇っていた。  ツツジの魅力は、その多様な色彩で、品種によって同じ紅系でも色の度合いが違う。例年これを見比べるのが楽しみであり、ヤマツツジ、オオヤマツツジ、キリシマツツジなどの紅と朱のバリエーションは見事なものである。そうかと思えば、キシツツジのように、花弁の全体は白色でありながら、ほんのわずかに薄紅の色味がかかっていて、単純な白色ではない美しさの映えにも魅了されたりする。
 花の美とは、常に主観である。だから詩歌の題材に好まれる。観る側つまり人間の心の移ろいや時事の感性によってその美的視点が変わる。私も何度か訪れている「つつじまつり」ではあるが、あの朱系のキリシマツツジが最も美しいと思った年もあれば、キシツツジの白色に感興したりもする。
 今回訪れて最も感動したのは、ヨドガワツツジである。  原産は朝鮮半島だそうだが、他の写真集や植物図鑑で観るより、このつつじが岡公園のヨドガワツツジの方が遙かに美しい。花弁は紫の濃淡で広がり、ほとんど黒に近い濃紫色とほとんど白に近い薄紫色との構成は誠に自然美の極致、神の仕業としか言いようがない。この花の品格は、この花冠の繊細な造りですべてを物語っており、物理的な美を超越して文学的音楽的詩趣にまで触れたくなるような絶世である。これもまた、人と同じ一期一会の出逢いであろうか。
 ところで、公園の北側に広がる「城沼」は、田山花袋の歌でも知られる。  一旦ツツジの群生を背にして、この広く落ち着いた沼の風景を見渡す。向こう側に寺が見える。石材を土台にした白壁が直線に伸びている。沼の水面が鏡となって、その全体が、繁茂する樹木と融和しながら鏡像で浮かび上がっている。
 その浮かび上がった寺――禅宗・巨法山善長寺は、江戸期の館林城主・榊原康政の側室お辻の供養塔がある寺で、1605年(慶長10年)、城沼で侍女と共に命を絶ったという伝説がある。館林のツツジの繁栄はこの伝説が発端となっているそうだ。  戦乱の世の、武将の愛妾となったお辻とは、どのような女性だったのだろうか。ここでの私の主観的想像は、あのヨドガワツツジの美しさを生き写した、暁の…

ヘチマコロンから思い出すこと

何がきっかけだったかはっきりとは憶えていない。ヘチマコロンを愛用し続けてかれこれ10年以上経つ。無農薬・有機肥料で栽培されたヘチマのヘチマ水。冬場の乾燥肌にも効果的で、安心して使い続けている。使っているのは60mLタイプの化粧水と乳液で、サイズが小さいから旅行にも持参でき、とても便利だ。今日はどちらを使うか、気分によって化粧水か乳液かを決めることが多い。

《日本の植物派化粧品 ヘチマコロン》
 ヘチマコロンの歴史は古く、その歴史は大正時代にまで遡る。ロゴマークがとても美しく、深緑色に統一されたカラーとデザインは大正・昭和初期の「モガ」を連想させ、何と言っても竹久夢二が描く婦人画が、それぞれのボトルのシンボルとなっている。
 いつも私はヘチマコロンを通販で購入する。年末頃に注文すると、竹久夢二の画のミニ・カレンダーが封入されて届くので、今まさに手元にあるそのカレンダーを見ながら、これを書き綴る。  婦人画に魅せられて少しばかり気分が昂揚する。つい先日、新たに乳液の瓶を買い求めたのだが、その時一緒に折り込まれていたパンフレットを、つい凝視してしばし眺めてしまったりする。
 1930年の竹久夢二イラストの新聞広告。
 《優良国産品 ヘチマコロン へちまの水から発明した化粧水》。その右側には「ヘチマコロンの唄」とやらが記してあって、その下はなんと裸体画である。  この前、読み終えたばかりの漱石『草枕』の、湯船の場面を想起させるような婦人の裸体画――。例えば、漱石とも馴染みの深い装幀作家・橋口五葉の「浴後の女」(木版)はどちらかというとリアリズムが漂う。が、夢二のこの裸体画は、粗野で美人画と言うほどではない。しかしながらとてもさっぱりとした、広告ならではの素描さが際立っており、決してエロチシズムがないわけではない。
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 そんなことを考えながら、化粧水をパシャリ顔に付けてみる。不思議と爽快な気分になって、心持ち毅然としてしまう。
 何故私はヘチマコロンを愛用しているのだろうという、きっかけを、やはり思い出そうと努力するのだが、どうもそれは個人的なちっぽけな影響らしいことが分かった。  竹久夢二を描いた映画『夢二』(1991年作品)の監督・鈴木清順先生が、私の母校の専門学校で在学中、講師(映画芸術科)をしていた。課程が違うので直接聴講を受けたことはない。ところが、ある日そ…

草枕―漾わす黒髪

草枕的な。仮初めの旅寝。非人情。

 私の身近に、そういう世間観をもって生きる人が、何人か、いまいかいるか。いや、いるような気がする――。
 およそ6年ぶりに『草枕』を読んだ。夏目漱石の、明治39年の作である。比較的短篇だから読みやすい。何かの折、読みたくなったらこれを読む。私にとって『草枕』は、生涯読み続けるであろう、まさに枕元に置きたい小説である(当ブログ「漱石の『草枕』」参照)。
 初めてこれを読む人にとっては、冒頭の書き出しで、およそこの小説の性質が推察できる。《人の世は住みにくい》と言い放ち、《どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る》と括る。まずここで、漱石ならではの芸術論を連想する。案の定、その直後に芸術論が飛び出る。人や世間の煩わしさも兼ね、その住みにくい所でなんとか寛げて、束の間の住みよさを得たい。《ここに詩人という転職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい》。
 漱石は別の談話筆記の中で、『草枕』という小説を《在来の小説は川柳的である。穿ちを主としてゐる。が、此の外に美を生命とする俳句的小説があつてよい》と解題している。これは非常に分かり易い論で、『草枕』は物語でも寓話でもなく、美的主眼の萌芽を鏤めた、構成主義の小説である。
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 『草枕』は全十三の節で構成されている(これは短篇だから、章というより節が適当だろう)。  私は十三の節のうち、第七番目の節が最も好きで、この小説の性質がよく活かされた場面ではないかと思っている。第七の節は、 《寒い。手拭を下げて、湯壺へ下る》で始まる。
 重要なのはその前の第六の節で、主人公の画工が、絵画に関する独特な芸術論を展開する。言わばそれは画工の机上の芸術論であって、理屈に続く理屈という気がしないでもない。ところが、その次の第七の節で、画工のまさに目の前で「芸術的な情景」に出くわし、展開される。
 春の夜、那古井の湯治宿の湯船に浸かった画工は、まず《立て籠められた湯気》から美を見いだし、あるいはその美的空間の大事な装置として見立てる。湯気。烟。靄。この場所で湧き出る湯の如く、画工にとっての制限ない流れ出る潤沢な「時間」こそ、彼の言わしめる“非人情”を通暁した草枕的な旅路での一服に継ぐ一服であり、自由律な俳句そのものである。

『洋酒天国』とバーボンの話

花散らしの風とはよく言ったもので、もうすっかり暖かくなった昼下がり、桜並木のたもとで桜が散り、自動車が通るたびにさらに散った花びらが舞う、という中を、顔に花びらを当てながらのんきに通り過ぎたりして、誠にこの時期はうららかな風情がある。  そんな春風の夜、小冊子『洋酒天国』(洋酒天国社)を気儘に一冊選んで開いてみた。もちろん洋酒を入れたグラスを片手に。第29号(昭和33年9月刊)の表紙の、白い背広を着たダンサーは、歌手で俳優のジェリー伊藤さんだそうである。
 表紙をめくると、
《酒のない食卓は 片目の美女である フランス俚諺》
 と、ポイントの大きな文字で記してあった。咄嗟に瞑想に耽る。  さてこのフランス俚諺とは。  調べてみると、これはブリア=サヴァランの《チーズのない食卓は――》なのだが、『洋酒天国』としては中等なジョークである。ではサヴァランを追っかけてみるかと思ったのだが、調べのついでに発見した、海月書林さんのホームページでの『洋酒天国』の解説と話が酷似するような気がするので、ここはぴしゃりとやめておく。
 第29号の冒頭のエッセイ。これが本題。崎川範行氏(理学博士)の「スコッチの味」。崎川氏がグラスゴーのレストランで、“レモンスカッシ”にスコッチを入れてくれと注文したところ、隣にいたスコットランド人が「レモンスカッシにスコッチを入れるなんて飛んでもない話、それは金を海へ投げ込むようなものだ」と言ったという。イギリス人は案外ビールだのシェリーだの葡萄酒などを飲む人が多いとも書いている。尤もそれは昭和30年代の頃の話で、今のイギリスでは酒で何が好まれるのか、私はよく知らない。
 さらに崎川氏は、サントリー十二年クラス以上と本場のスコッチとが容易に味わい分けることができない、ジョニ赤と黒のどちらが美味いかまったく分からない、とも書いている。味は分からないが、崎川氏が方々で飲んだくれている様子はよく分かる。
 話は変わるが、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画で『北北西に進路を取れ』という面白いのがある。主人公のアメリカ紳士、ロジャー・ソーンヒル(ケーリー・グラント)は何者かに誘拐され、強引にバーボンを飲まされる。そして完全に泥酔状態になったロジャーは、無理矢理車の運転席に座らされ、飲酒運転による転落死に見せかけられて殺されそうになる。なんとか九死に一生を得…

PIPES OF PEACE

当ブログ「再び『愛蘭土紀行』」でも触れた、ポール・マッカートニーの「Pipes Of Peace」という曲について。

 その前にもう一度、ケルト的な気分を味わうため、アイルランド民謡の「The Last Rose of Summer」を聴いてみた。明治17年、里見義がこれに日本語詞を付けて「庭の千草」とした。  ――司馬さんの一行は現地の人にこの「庭の千草」を歌って聴かせるのだが、その店でこれからバグパイプ名人の演奏に陶酔しようとする現地の酒飲み人らには、何のことか分からぬ様子。何故「The Last Rose of Summer」を日本語で歌うの?といった困惑した感じ。  明治期に遙々アイルランドの民謡が入ってきて日本の愛される唱歌の一つとなったことを、司馬さんは説明したかったのだろうが、そのちょっとした国際交流的な気遣いは、歌の理解を前にして少しばかり及ばなかった――。
 「庭の千草」のように、原題の“夏の最後のバラ”が庭の千草、あるいは菊の花、白菊に置き換わっても、ケルト的な悲しい調べは、曲に溶け込んだまま残っている。比喩は変われど本質的な部分は不変であるという、歌としての最たる善例だと思うが、私個人としては、やはりこういう歌を若い学生時代に学んでおきたかったと悔やむ。  同じような例では、コンヴァース作曲の「What a Friend we Have in Jesus」(日本では杉谷代水作詞の「星の界」)が挙げられるが、これらは単に意味もなく日本語詞を付けているのではない。原曲の中に含まれている深い意味を汲み取って、それなりに掘り下げていることがよく分かる。音楽教育の上で、それが和物か洋物かといったような十把一絡げの価値判断の植え付けは、かえって原曲の純粋な歌の意味を読解することができなくなってしまうから、日本人はもっと原曲への自然な愛着をもった方がいい。
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 ということで、話題を「Pipes Of Peace」に転ずる。  私自身、ポール・マッカートニーのアルバム『PIPES OF PEACE』が本当の意味での“白地”のジャケットであることを、いつ知ったのだろうか。
 1987年に発売された『All The Best!』でそれを聴いて以来(高校生の時)、この分かり易いタイトルのメッセージが世界平和に向かっていることには気づいていたものの、それがアイ…