ウミとドクヤクとサガン

サガン著『絹の瞳』(新潮文庫)
 古書小冊子『洋酒天国』に珍しい遠藤周作訳のフランソワーズ・サガン「イタリーの空」が掲載されていたのを発見して、その“サガンらしくない”男っぷりのある文体にある種の違和感を覚えた私は、すぐさまサガン著の短編集『絹の瞳』(朝吹登水子訳・新潮文庫)を買い求めて、所収の「イタリアの空」(Le Ciel d'Italie)を読んでみた(「『洋酒天国』とサガン」参照)。なるほど、こちらはサガンらしく(とは言え、私はまだサガンをよく知らなかったが)、随所に女性的な情緒と品が感じられ、やはり訳者によって文体は変わるなという印象を受けた。
 しかしながら、遠藤周作氏のそれが、まったく劣悪なものであるという意ではない。むしろ遠藤氏の文体は端正で芳醇なコニャックの辛さや香りすら漂うよう。それがかえって女性らしさを喪失しているのだけれども、そうした遠藤氏の優れた訳文が、あのような小冊子の中に掲載されていたことに驚かされた。

 私は以前、遠藤氏の小説『海と毒薬』の文庫本を読んだと思い込んでいたのだが、どうもそれが見当たらない。遠藤氏の文体を確認しようと思ったのだが、私はそれを買って読んでいなかったのかも知れない。
 尤も、熊井啓監督の映画『海と毒薬』(1986年)は何度も観た。あの映画の刺激的な映像の影響(あるいは松村禎三氏の音楽)があって、私の遠藤氏の小説のイメージが、堅固に脱神秘主義の先鋭的な、アイロニーを帯びたものに思えたのだが、勘違いであったのか。
 少なくとも遠藤氏は文学において卓越していた。ウミとドクヤク=“海”と“毒薬”という発音の歯切れのいい言葉の組み合わせ、そしてそこに仕組まれた言葉の象徴性は、フランス文学もしくはサガン的作風の印画と言っていい。

 まだ少し、読み足りていないことを重々承知の上でサガンについて述べさせてもらえれば、「イタリアの空」を訳した朝吹登水子さんの解説で、サガンの小説の秀逸さを端的に言い当てている。

《男女の際どいシーンを描いていても、どきつい性の描写はなく、一種の慎みがある》
(『絹の瞳』新潮文庫より引用)

 それは遠藤氏が訳した方にも感じられた。ただ、朝吹訳の軽妙な言葉の響きに、私は感銘を受けた。

《ルイジアはふたたび彼を見つめた。それから、一言も言わずに、赤い麻のコルサージュを脱いだ。彼女の肩が陽の光のなかを滑り、それからマイルズのベッドの仄暗さのなかへ滑りこんできた》
(『絹の瞳』新潮文庫「イタリアの空」より引用)

 朝吹さんの言う、サガンらしい“一種の慎み”は、性の描写に限らず、随所に鏤められている。それはフランス語独特の言語表現に由来するのであろう。サガンの「かどのキャフェ」のラストなどは、ごくありふれた平坦な言葉で締め括られているが、それはまさに慎み――ある種の象徴と神話性とアイロニーを秘めた――によって言いくるめられ、ここにサガンのすべてが潜んでいる。

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